カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

見上げれば 空の広さに 主が見える ー 主の昇天の祝日

2020-05-24 14:00:38 | 教会

 標題は、主の昇天の祝日(A年)向けに鈴木勁介師が作られた福音川柳である(『福音せんりゅう』38頁)。今日は川柳どおりの青空だ。

 

 

復活節第7主日だが、今では日本では主の昇天の主日といったほうがピンとくる。復活節もいよいよ終わりに近づいた。
今日は久しぶりに文字通り良い天気に恵まれた。緊急事態宣言がまだ解除されていないが、やっと出口が見えてきたようだ。
テレビのYouTubeで関口教会のミサに出る。なにかこれが日常化しつつある感がある。

 今日の第1朗読は使徒言行録1:1~11,第2朗読はエフェソ1:17~23,福音朗読はマタイ28:16~2-0だ。
昨日もらってきた「聖書と典礼」によると、今日のキーワードは、「昇天」(1)と、イエスの言葉「わたしは天と地の一切の権能を
授かっている」だという(2)。関口教会のYoutubeのミサ中継は文字が入るので「聖書と典礼」は要らないのだが、手元にないと
なにか不安になる。

 菊池大司教のお説教は昇天の祝日についてではなかった。ベネディクト16世とヨハネ・パウロ2世の回勅を引用しながら、コロナ禍の
あとへの「希望」と「連帯」について縷々説明しておられた。いつもどおりのわかりやすいお話であった。すべての人のための「善益」と
いう言葉が印象的であった。

 緊急事態宣言からの脱出も視野に入ってきた。教会のミサはどのような形になっていくのだろうか。「キリスト
の聖体」の祝日に洗礼式がセットされた教会もあると聞いた。公開ミサも始まるのか。不安でもあり、楽しみでもある。

 


1 入門講座を担当しているカテキスタの人によると、「昇天」という出来事は、「復活」という出来事より、すんなりと理解されるという。
現代の日本人は、死後、「霊魂」(「霊」とは言えないところが悩ましい)がどこか別の場所に移るという観念を共有しているからだろうと
言う。とはいえ、訃報の通知などで、「召天」とか「昇天」とかいう言葉を使っているケースに時々出会うが、違和感を感じる。
さすがキリスト教では、成仏とか鬼籍に入るとかは言わないが、同じキリスト教でも、ロテスタント、正教とカトリックでは用いる用語が
違うようだ。カトリックでは「帰天」(または古くは「帰郷」)という言葉を使う。Homecoming という英訳もあるようだが
あまり見たことはない。
2 「権能」という言葉もよくわからない。日本語では法律用語らしいが、聖書だと、英語なら、power, authority か。function, priesthood という訳語もあるようだ。言葉の詮索より、「宣教せよ」というのが趣旨らしい。
 

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