年間第24主日(B年)の今日は「祖父母と高齢者のための世界祈願日」だ。ごミサの中で「病者のための塗油の秘跡」(終油の秘跡)がなされた。日曜学校の子供たちから聖歌を歌うプレゼントが贈られ、ミサ後に記念撮影がなされた。茶話会も盛会だった。
敬老の日のお祝いもあったのでミサの高齢者の出席者は多かったが、若い方も多かった。神父様のお説教も力が入っていた。今日の福音朗読はマルコ8:27-35で、長い。ペテロがイエスはメシアだと信仰告白し、イエスが死と復活を予告する場面だ。神父様はここをペテロはまだメシアという言葉の意味がわかっていないという視点から解説された。興味深い説明だった。
敬老の集いには80歳以上の方に招待状が神父様から送られた。そのためか、今日の出席者はあまりにも数が多く、祭壇の前に並んで一緒に写真を撮ることができなかった。2階席からの遠景写真が撮れただけだった。80歳以上の方の出席が多かったというのはこれはこれで教会としては喜ばしいことなのであろう。神父様からはサイン入りのカード(ご絵)がプレゼントされた。
【神父様からのカード】
現在は九月十五日は「老人の日」で、九月第3月曜日(今年は九月十六日)が国民の祝日としての「敬老の日」ということで、なにか紛らわしい。
カトリックの教会暦では、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」は七月第4日曜日で、イエスの祖父母(聖ヨアキムと聖アンナの日の7月26日)に近いのでこの日に祝う国も多いようだ(1)。ところが日本では七月の暑いさなかに敬老の気分にもなれないので九月が選ばれているのかもしれない。9月15日前後は、中秋だし、お彼岸だし、敬老の日に塗油の秘跡も違和感はない(2)。
塗油の秘跡では司祭は額に聖油を塗るときにつぎのような祈願を唱えてくれているという。「この聖なる塗油により、慈しみ深い主キリストが、聖霊の恵みであなたを助け、罪から解放してあなたを救い、起き上がらせてくださいますように」。実際には塗油の希望者全員に一人一人この祈りを唱えるのは大変なことだろうからなにか別の祈りがあるのかもしれない。
ミサ後の茶話会には神父様も参加され、各テーブルを順番に回って話に加わっておられた。信徒との交わりを大切にされる神父様のようだ。教区ではいろいろな役職を割り振られてお忙しいようだが、ミサを立てることを最も大切にされるという姿勢は好ましい。
注
1 世界祈願日には3つあるという。
①世界平和の日(1月1日)
②被造物を大切にする世界祈願日(9月1日)
③祖父母と高齢者のための世界祈願日(7月の第4日曜日):教皇フランシスコが2021年に制定
2 日本では、「祖父母と高齢者のための世界祈願日」は「敬老の日の前日の日曜日」と定められた。新型コロナウイルス感染症のパンデミックの最中に制定されたものだ。カトリック中央協議会はつぎのような説明をしている。
「この祈願日の教皇メッセージは、とりわけ高齢者自身へと向けられます。教皇は、記憶を保ち信仰を伝えるという高齢者の使命を繰り返し説いています。高齢者には、社会において担うべき役割があるのです。ですから、高齢者にとってはその使命の自覚が、後の世代にとっては高齢者の果たす役割への理解が、それぞれ求められます。家庭にも教会にも、高齢者が活躍する場、あらゆる世代がつながって協働する場が必要なのです。」
日本ではこの世界祈願日を敬老の日の近くに持ってきたということについてはいろいろ議論もあるようだ。日本のカトリック教会内の信徒の姿勢の違いは様々なところでみられるようだが、一番深い違いはいわゆる土着派と福音派の対立だろう。信者の数をとにかく増やすのが大事でローマの言いなりにならずに日本文化に適応していくことを強調する人々と、カトリックの普遍性を強調する立場の違いとでもいえようか。日本の司教団はどちらかといえば土着派に近い印象がある(七五三や敬老の日のお祝いの導入など)。最近はこの対立軸に加えて、カトリック教会は「日本の教会」なのか「日本人の教会」なのかという対立軸も生まれてきているようだ(三好千春『時の階段を下りながら』2021)。日本の信者数は40数万人とよく言われるが、実は外国人信徒の数は日本人の信徒の数より多いと言われる。外国語のミサを挙げている教会は多い。外国人信徒は日本人信徒と「一緒に」教会で活動するのか、それとも「別々に」活動するのか。日本人のカトリック信徒数が増えないなか、外国人信徒数は着実に増加しつつある。現在のところ移民労働者のなかでカトリック信徒は多い。中央協議会はどこへ日本の教会を導いていこうとしているのだろうか。