カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

神学が哲学に基盤を求めているー『今日のカトリック神学』の要約(1)

2021-09-12 09:35:09 | 神学


 4回目の緊急事態宣言のもと当方の教会も完全に閉じられ、学び合いの会は全く開くことができない状態が続いている。そこで、勉強中の『今日のカトリック神学』を少しまとめてみた。私どもの教会は完全に立ち入り禁止で、信徒会館にすら足を踏み入れることができない(1)。司教の判断か、教区司祭の判断かはわからないが、当教区と東京教区との対応姿勢の違いを感じている。
 教会の中でも、地球規模のコロナ禍は近代文明に対する神の怒りだとか陰謀説のようなものが広まっていると言うが、ここは一歩踏みとどまって冷静に対応していきたいところだ。

 さて、この『今日のカトリック神学ー展望・原理・基準」(カトリック中央協議会)はほぼ10年前2013年に出版されたものである。これはヴァチカンの「国際神学委員会」が教皇庁に2011年に提出し、教皇庁教理省が2011年に出版を許可したものを日本語に翻訳したものである。
 10年前とはいえ、出版の背景と意義は変わってはいない。第二バチカン公会議以降の新しい課題ー平和・正義・解放・環境・生命倫理などーに対応するカトリック神学は、「哲学的基盤」をより強く求めるようになっている。「神学を基礎づける、強化する哲学」、これが本書の目標であるようだ(2)。平和や正義を求める教会の祈りが空回りして一人歩きしないためにも、また、逆に過激な行動の陥穽に陥らないためにも、「神学の哲学的基盤」をはっきりさせておく必要があるわけだ。

 本文書(本書)(3)の主張は明快だ。カトリック神学の原理は「神の言葉を聞くこと」(本文4)であるというものだ(4)。では、神の声を聞く、とはどういうことなのか。
 本文書は、ある主張が、命題が、カトリック神学と認められるためには、つぎの「12の基準」を満たしていなければならない、としている。では、その要件とはなにか。

1 神の言葉の重要性
2 信仰ー神の言葉への応答
3 神学ー信仰の理解
4 神学の命としての聖書研究
5 使徒伝承への忠実さ
6 「信仰者の感覚」への配慮
7 責任を持って教導権に依拠すること
8 神学者たちの交流
9 世界との対話
10 神の真理と神学の合理性
11 方法および専門的分野の多様性における神学の唯一性
12 学術と知恵

 以上の12の基準があげられている。実際にはこれらが各節の題名となっており、目次のように見える。実際には、1~3が第1章で「神のことばに聞くこと」、4~9が第2章「教会の交わりのうちにとどまること」、10~12が第3章「神の真理を説明すること」、と題されている。これに「序」と「結び」がつけられ、詳しい「注」がつけられている。これだけだと全体的に抽象的な印象を与えるが、具体的には、どのような「哲学的基盤」が求められているというのだろうか。
 それでは、各節を簡単に要約していってみよう。適宜私のコメント、印象を付け加えてみたい。

 

【本書】

 

 


1 ご葬儀もままならないようだ
2 これはなにも、「哲学は神学の婢」と言っているわけではない。哲学的基礎づけを欠いた神学は説得力に欠けると言っている。
3 本書は、委員会の報告書がベースになっているので、「文書」と呼ばれている。日本語訳は111ページにすぎない。
4 「神のことばに聞く」とはわたしにはあまりなじまない表現なので、「神のことばに耳を傾ける」と言い換えたいところだ。具体的には、預言者の、イエスの、聖書のことばに耳を傾けること、と理解したい。といっても、今話題のイスラーム教のように原理主義的に神の声を解釈せよと言っているわけではない。

 

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