
「昔、鉄ちゃんがいました」という名前のアルバムを、別ブログに上げていた。
山陽電車に関しては、二冊に分割してコピー出来た。
枚数が増えればいずれは分割される予定だけれど関西分、関東分を二冊ずつにまとめた。
土佐電気鉄道 路面電車
高知市電とは言わないようだが…。
有名なはりまや橋、どこに橋があるのか探さないといけない。
電車の停留所名は、確かにはりまや橋である。
土佐電気鉄道 国鉄高知駅前
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松山市電 県庁前付近前方は、松山城。
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旧神戸市電577号
前照灯周りの警戒色や、広告が目立つがそれを除くと、殆ど神戸時代のままに運用されていた。
756号は、ラッピング・カーとなって、全面企業広告が描かれている。
広島電鉄 軌道線と鉄道線の接続駅。
右は、旧神戸市電580号、左は旧大阪市電1616号で改番されて752号となっている。
車体塗色は、譲渡された時のままである。
旧神戸市電756号
大阪市電からの譲渡車両は全て改番されたが、こちらは神戸時代と同じ車番で走っている。
広島電鉄
戦時中(昭和17年)に製造された市内線での最古参車両。
651~654の4両が作られた。
ドア間に4枚の窓を持つ3扉車。
後方は、鉄道線直通運用されている2500形連接車。
広島電鉄 西広島駅
軌道線の市内電車と、鉄道線の宮島線に分けられる。
鉄道線の一部(新造された2000形連接車)は、軌道線に乗り入れている。
左が1050形1053、種車は、旧阪急供出、京阪100形111である。
右に留置されているのは1031形で昭和5年に5両製造された。
当初はH16~20の車番を持っていた。
広島電鉄 軌道線への直通運用が可能な2500形連接車。
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岡山電気軌道 3000形
大半の市電はビューゲル集電だが、ここはパンタグラフを装備している。
岡電式パンタグラフと呼ばれ、独特の形状である。
別名のは、考案者の元社長の名前を採って石津式パンダグラフの別名がある。
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京福・嵐山線
嵐電、らんでん。
四条大宮から、嵐山までの本線と、途中の帷子の辻で北野白梅町までの線路を持っている。
京都市電も健在だったが、こちらは単車、ポール集電。
その雰囲気が心地よかったし、何よりも周りの寂れた風情に合っていた。
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神戸市電570形592号
国鉄神戸駅前から、湊川神社東側に延びる緩やかな勾配を上る。
線路は大倉山方面に延びていたが、廃止直前には楠公前までに縮小されていた。
神戸市電700形708号
神戸国際会館前をカーブして元町方面に向かう。
神戸市電800形801号 国鉄神戸駅前。
手前の交差点から、西への線路(新開地・長田方面)は、既に廃止されていた。
東へは、海岸通りを経由して三ノ宮方面への線路は残っていた。
神戸市電900形912号
生田神社の一の鳥居、三ノ宮・元町の中間辺りになる。
神戸市電900形946号
三ノ宮フラワーロードを元町方面にカーブする。 後方は、交通センタービル。
神戸市電1100形1102号
大橋九丁目交叉点から板宿方面に北上、国鉄ガードをくぐった辺り。
神戸市電1150形1151号
板宿から、大橋九丁目交差点に向かう。
国鉄ガードをくぐって直ぐ。周辺は 震災で壊滅的な被害を受けた場所。
尤も、神戸市電の全廃は昭和47年だから、震災の影響は受けていない。
このアルバムはOCN「ブログ人」に収録していたアルバムから抜粋、再編成したもの。
ポジからのスキャン画像なので、不鮮明な画像も含まれている。
画像下のコメントは原文のまま、撮影順にはなっていない。
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昔、鉄ちゃんがいました 私鉄編 -1 -2 -3 -4 -5 -6
昔、鉄ちゃんがいました 国鉄編 -1 -2 -3 -4
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【その後に纏めた画像】
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