久しぶりの持病日記です。
書かなかったから 調子が良かったと言うんじゃなくて じっくり自分と向き合う暇がなかった。
鬱の病院も2回もサボったまま・・・・。でも今日は予約を入れてないけど電話をして行こうと思ってる。
昨夜は自分を「抑える」のに 本当に辛かった。
何て不安定な自分。
ほんの些細な事で 潜んでいた「虚無感」が雷が落ちたみたいに急に落ちてくる。
消えたい、消えてしまいたい、消えていい存在する意味もない自分だから・・・・って
その思いばかりで頭の中が一杯になる。
身近な(たとえば私の場合は家族)の言葉が1番 神経にさわる。
身近な家族になぜか気を使ってしまいすぎる。
自分が鬱になって 後ろめたいんだろう、こんな自分がみんなに迷惑をかけてると思うと
物凄く気を使い、気を使いすぎて空回りして 些細な言葉に傷ついて「もうお終いだ」と膝から落ちるみたいな感覚になる。
昨夜のきっかけは 魚嫌いな海〇が 一生懸命作った魚のムニエルに 見るからに食べる前から憂鬱そうな顔をして
それでも私が 「食べやすい様に臭みも抜いてるしムニエルって言ってもから揚げ粉を使ったから大丈夫だよ」と言っても
『ムニエルの匂いも嫌ッちゃんね~』と空気も読めずに言う。
別に家で気は使わなくていいけど 食べものに しかも好き嫌いしてるくせに文句を平然と言うのがムカついた。
だけど それでも 「天然のブリなんだよ、青魚とか魚の脂は体に良いから摂らないとタメだし そんなに臭みはないやろ?」と聞くと
『天然って言われてもねぇ~』と言った。
もうこの言葉で 私は可笑しくなった。
何処の子どもが親が作ってくれたものに平然と文句をつけて しかも子どもなのに大人みたいに
『天然って言われてもねぇ~』って魚をほじくりながら言うその顔を見て 怒りがわかない親が居るんだろうか???
いくら難しい年頃って言っても 言っていい事とこれは言っちゃまずいだろうって事くらい15にもなったらわかんないんだろうか?
常に 食べるものがあるって事が当たり前だと思っちゃいけない。作ってもらえて当たり前って思わないで
物に感謝・人に感謝・親に感謝をしなさいって 勉強しなさいって事なんかよりズッと教えて来たのに。
今の私は かろうじて 子どもらに「生きる為に食べさせる」事だけを自分が生きてる事の意味とそれだけにすがって生きてるのに・・・。
こんな事を書きながら こんな事で生きるのがつらいとか苦しいだとか そんな風になってしまう自分が一番嫌だ。
自分が大嫌いでしょうがない。
自分はもともとこんな自分じゃなかったはずなのにって 思っていたけど
本当は これが本当の自分じゃなかったんじゃないかって そんな思いばかりが頭の中をぐるぐる回る。
鬱を抱えながら 日常を送るのがこんなにキツイとは思ってもいなかった。
持病の方の病院にすら 行く意味を失って来た。
私が病院に行かなくなったらどうなるだろう。
飲まなくては生きていけない薬を飲まなければどうなるんだろう。
排泄排便コントロールの薬だけでも飲まなければ ほっとけば2~3週間で死ぬだろうな。
持病の薬も 飲むことも 決まった期間に病院に点滴を受けに行かなければ 悪化してそのうち死ぬんだろうな。
腰も痛みの炎症が起きて 手足がしびれて腰がのた打ち回るくらい痛くて、それを放っておいたら
「痛み死に」って事になるのかも・・・・。
死なない為に 努力を無理してしてるのに 食べ物に文句を、不平不満を言われるのは許せなかった。
私は食べたい物が食べたいだけ食べられないのに。
食べられる有難さを「有難い事だ」と思わなくなってる。
私の育て方が悪かったんだろう。
何を信じていいのか解らなくなってきた。
「お母さん、これ美味しいよ」
もう この言葉が耳の左から右に抜けるだけ・・・・・。