大正末期から昭和初期にかけて沖縄県の経済的窮状をさす言葉に
「ソテツ地獄」という 言葉がある。
飢饉が起こって主食のサツマイモや米を確保することができず
ソテツを常食とせざるおえないほど苦境下にあったことから
その名が生まれた。
ソテツは猛毒を含み調理法を誤ると中毒死する。
宮古島でも1956年(昭和31年)に5人が中毒死している。
このような背景からソテツと聞けばソテツ地獄を連想しがちであるが、
ソテツにとっては 割の合わない話しである。
なぜなら、ソテツは食糧難時代に人々を飢えから救った 重要な食料で
あったから。
実も幹も食料になった。
戦後20年以上経ってからグァム島で発見された日本兵の横井さんは、
このソテツを 食べて飢えをしのいだと手記に書かれてあった。
やはり最初は中毒を何回も起こして、毒抜きを自分で発見したという。
ソテツにはサイカシンという毒があり、サイカシンは水に溶けやすく、
繰り返し 水洗いすれば毒抜きができる。
琉球王朝時代には「蘇鉄(ソテツ)方と称する役所まで設けて栽培を
奨励した記録が 残っている。ソテツの葉や実は消化、通経剤、胃痛、
傷に効く薬として使われ 葉っぱは箒や虫籠など玩具や民芸品に用いられた。
隣の奄美大島では「ソテツ地獄」という言葉はなく、高級郷土料理としてあるそうだ。
島内を歩けば、どこででも見るソテツであるが、まだ食べたことはない。
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