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うんたま森のキジムナー

ひと昔前まで宮古島の主食は芋だった。
宮古や沖縄で盛んに栽培されている農作物が芋、
沖縄では「紅芋」宮古では「紫芋」と呼ばれているが、
地域によって呼び方が違うものの、同じ作物である。

全国的には「薩摩芋」があるため、日本では薩摩が最初というイメージがあるが、
宮古が最初に中国から芋を伝来した。

1594年、砂川親雲(砂川ペーチン)という人がいた。
この人は琉球宮中や官庁に捧げる品物の管理責任者だった。
琉球王府に仕事に出向き、仕事を終えて島に帰る途中、逆風で
中国大陸に流された。ちょうどこの年、中国にルソンから芋が伝わり、
栽培普及が行われていた。
砂川ペーチンは3年間中国に滞在し、1597年、芋を持って帰途につく。
帰りにまた漂着するなどしたそうだが、この人が芋を持ち帰って芋が
伝来した。芋は台風や旱魃にも強く島の風土にも適していたので、
次第に芋が主食となった。
この人は芋の神様として「芋ヌ主御嶽」に祀られている。

戦後間もない頃まで、毎年8月に初芋を捧げて祝う祭りが盛大に
行われていたそうだ。ちなみに琉球へは1605年に野国総監が
中国から芋の苗を導入。後年、琉球の芋が薩摩に伝わって
「サツマイモ」と呼ばれるようになった。


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コメント一覧

ダイバー
軽トラの荷台に薪を焼べた竈を乗せ、煙突から煙を吐きながら焼き芋を焼いて売っています☺️ふっくら丸々としたお芋さんはそんじょそこらのショートケーキより高価です😅
きじむな
焼き芋を売る車がまわっていました。
熱々の焼き芋を買いに追いかけたことがあります。
焼き芋屋さんは今でもあるんでしょうか・・・・
ダイバー
衣食住の全て、何不自由なく成長し、日々暮らしている現代の人たちには想像も出来ないことでしょうが、戦争が終わったあの頃はお昼ご飯が食べられない子供達が沢山いました😥私の小学校時代、一クラス60人の内、20人位はアルマイトのお弁当箱の中身が空のママでした😅残りの20人の弁当箱には蒸した細いサツマイモが三本くらい入っていました😭給食が始まったのは10年ほど後のことです😥
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