ひと昔前まで宮古島の主食は芋だった。
宮古や沖縄で盛んに栽培されている農作物が芋、
沖縄では「紅芋」宮古では「紫芋」と呼ばれているが、
地域によって呼び方が違うものの、同じ作物である。
全国的には「薩摩芋」があるため、日本では薩摩が最初というイメージがあるが、
宮古が最初に中国から芋を伝来した。
1594年、砂川親雲(砂川ペーチン)という人がいた。
この人は琉球宮中や官庁に捧げる品物の管理責任者だった。
琉球王府に仕事に出向き、仕事を終えて島に帰る途中、逆風で
中国大陸に流された。ちょうどこの年、中国にルソンから芋が伝わり、
栽培普及が行われていた。
砂川ペーチンは3年間中国に滞在し、1597年、芋を持って帰途につく。
帰りにまた漂着するなどしたそうだが、この人が芋を持ち帰って芋が
伝来した。芋は台風や旱魃にも強く島の風土にも適していたので、
次第に芋が主食となった。
この人は芋の神様として「芋ヌ主御嶽」に祀られている。
戦後間もない頃まで、毎年8月に初芋を捧げて祝う祭りが盛大に
行われていたそうだ。ちなみに琉球へは1605年に野国総監が
中国から芋の苗を導入。後年、琉球の芋が薩摩に伝わって
「サツマイモ」と呼ばれるようになった。