730「ナナサンマル」とは、沖縄県において日本復帰の6年後の
1978(昭和53) 今から42年前に自動車の対面交通が
右側通行から左側通行に変更する事を
事前に周知するため実施されたキャンペーンの名称。
戦前の沖縄県は、本土と同じく自動車は左側通行で
あったが、沖縄戦終結後に沖縄を占領下においたアメリカ海軍政府が
1945年11月に出した指令により、車両は右側通行に変更された。
この車両右側通行は1972年の本土復帰後も
「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」による規定の下で
続いたが、右側通行は暫定的なものとされ、道路交通に関する
ジュネーブ条約による「一国一交通制度」を遵守する立場から、
1975以降に左側通行への切り替えを実施することが
同法律の規定に基づいて策定されたそうだ。
このナナサンマルを記念して建てられた記念碑は
宮古島の熱帯植物園前や石垣島の離島桟橋など各地に
建てられている。
沖縄では毎年、7月末になると当時の映像が繰り返し
ニュースなどで報道される。
たった1日で右側通行から左側通行に変更される世界でも例を
見ないこのプロジェクトは当時の沖縄では史上最大の
大作戦として伝えられている。
当時沖縄には信号機が500基、標識3万本が存在したが
徹夜の作業で変更した。
交通の混乱を避けるべく本土の警視庁や県警から
警察官2600名、パトカー80台
白バイ100台が配置されたこともあり大きな
事故は起こらなかった。
当時のことをよく覚えているオジィが人間や車は
1日で変更できたが馬車はしばらく
右側を歩いていたと懐かしそうに話していた。