沖縄県は唯一公営ギャンブルがない。
東急ホテルから市内にむけて下地線を走らせてくると、
市内入り口となる付近を馬場と呼ぶ。
市営馬場団地があり、馬場保育園があるところ。
その昔、下里馬場と呼ばれた。
宮古島で唯一の競馬場があった。
我々の知る競馬といえば、馬同士を走らせて着順を競う。
しかし、当時宮古島で行われていた競馬は速さを
競うものではなく、側対歩で定められた直線コースをいかに美しく、
優雅に馬を歩かせるかを競うのが琉球競馬であった。
1697年、(元禄10年)に首里王府から派遣された役人の
友寄親雲上(トモヨセペーチン)が作らせたもので、
いわゆる士族の為の競馬場だった。
明治に入り近代化が進むと、士族は弱体化し琉球競馬も
廃れていく。この馬場地区も周辺の原野を切り開いて
「宮古運動場」として再開発され、陸上競技大会を初めてとする
群規模で開催する催し物会場として転用されるようになった。
側対歩というのは、右足と右後脚を同時に動かすこと。
うまの背の上下の揺れが少ないことが美しさの基準となるそうだ。
宮古では士族以外の競馬はかたく禁じられていたが
1894年(明治27年)人頭税廃止が決定したことに歓喜した農民たちが、
鏡原の地で盛大な祝宴を開き、初めて農民による
競馬が行われたという。
それ以降、島内では昭和初期頃まで競馬が盛んに行われ、
鏡原の競馬場をはじめとして各所の馬場が設けられた。
現在、鏡原競馬場跡は宮古島市指定史跡に指定され、
今も当時の審判台が残されている。