宮古島本島の一番北にあるのが「狩俣集落」
海をはさんだ池間島とは橋で結ばれている。わずか1・4キロほどしか離れていないが
池間島は海を生活の糧にする海洋民族であり、狩俣は農耕を主とする農耕民族である。
言葉の単語も違えば発音も違う。昔々、交流がなかった時代に池間島から
大きな草鞋を作って海に流したという。
「この島には巨人がいるぞ!」と見せかけたそうだ。
狩俣は三方を海で囲まれ農業を基盤とする農耕民族で温厚な性格である。
明治の頃までは、集落は石垣と三つの門で囲われていた。
これは他の地域ではみられない。
石垣の撤去は長い間避けられてきたが、1900年代に人口増加にともない、
集落の発展という名目の元、西の大門と石垣が取り払われた。
北西にある祭祀用の石門は当時のままで、東の大門は今の生活にあわせて
改修されている。
集落内には4つの元家があり、龍宮願いや昔からの祭事が行われている。
集落の北側には狩俣の植物群落があり、宮古諸島内では最大規模の面積を
有する自然林である。この丘陵は地形や地質の変化に富んでおり、その環境に
あわせた様々な種類の植物が群生している。
中には集落にとって重要な御嶽、拝所が存在するため、立ち入りが禁じられ、
植物群落全域が神聖な場所として保護されている。