お昼休みに公園横を歩いていると、優しい水色の空に時折まだ冷たい風が頬に触って、ぽかぽか陽気にはまだ時間がかかりそうだと気づかされます。
いつのまにか、桜は満開となり、あっという間に散ってしまいました。ここ数年は、お花見のタイミングを逃してばかりです。
そんなころ、長崎、佐世保両校の入学式が執り行われました。今年もたくさんの学生を迎えることができて、学校全体がイキイキと蘇ってきました。広報担当の私としても、ひとまずほっとしているところです。
先日は、数年ぶりに学生時代の同級生と博多に集まり、ランチをしました。みんな前回より皺が1本2本と増えたとはいえ、話していくといつもの仲良しに戻っていきます。ただ年を重ねた分だけ、それぞれの歴史は積み重ねられ、乗り越えてきた山も一つや二つではなかったことがうかがい知れます。
ちょうどその日は、熊本地震から2年が経過した震災の日で、被災した熊本出身の友人は、まだ全部は片付け切れてはいないと言っていました。病気を乗り越えてきた友人や、かけがえのない家族との別れがあったり、トラブルに巻き込まれて苦しい思いをしたりしたと、友人たちは話してくれました。しかし、それ以上に幸せな時間もたくさんあったのではないかと、私はそう思いました。
会えなかった時間は長くても、ほんのひと時会えて話ができて、笑顔が見れた時間を持てたことを大切に、また次に元気で会えることを願って、博多駅で、何かちょっと変でしたが握手なんかしてそれぞれ帰路に向かいました。
春は、節目の季節。ちょうど同じころ、中学時代からの友人からもひょっこりメールが届きました。随分と前になりますが病を患ったことのあるその友人は、同じ市内にいるのに、しょっちゅう会えるわけではなく、本当に1年に1、2回の連絡で、お互いの安否を確認するかのような関係です。いつも元気でいてくれることを願いながらメールをします。
それと前後して、仕事をし出してからの友人から、本当は中学高校の同級生ですが、メールが届いて、相変わらずのクールな文面でしたが、近況の報告などしました。
たくさんではないけれど、家族以外でそうやって私のことを心に留めていてくれる人がいるということに幸せを感じます。長い人生の中でいつも私の心の支えになっていることに感謝をしています。
お互いに気にかけ合っていることが、鎖以上のつよい絆に思えてなりません。
学校では、この春、多くの学生が社会へと旅立ちました。
4月第2週目、3週目あたりが緊張で一番つらそうですが、きっと頑張ってくれると信じています。右も左もわからない職場で何を頼りにすればいいのでしょう。それは一つは明らかに自分自身、それにこれからもずっと頼りになる同期のみんなでしょう。大切に繋がっていてほしいと思います。
写真は、八重桜の蕾です。まるで赤ちゃんが掌をしっかり握っているようです。赤ちゃんはその掌に幸せを握って生まれてくると言われています。
今は固い蕾でも、これから大きく美しく未来に花開き、その手で輝く栄光を掴むかのようです。
お花見はこれからもまだ間に合うかもしれません。
Photo by mizutani