先日、実家を訪ねると、玄関の隅からリーンリーンと鈴虫の鳴き声が聞こえてきました。5年生になる甥っ子がお隣からいただいたと言って、大切にお世話をしていました。秋の夜に鈴虫の鳴き声を聞くと、やはり幼い日の郷愁を感じます。
長い梅雨だったこともあり、今年の夏は、本当にあっという間に過ぎていきました。当校では恒例の夏期講座が行われ、近隣の高校生たちが公務員試験の合格目指してたくさん参加してくれました。活気のある若いエネルギーに満ちあふれた夏休みでした。
当校では、毎年夏休みになると、就職して遠方に出て帰郷した卒業生たちがたくさん立ち寄ってくれます。懐かしい顔が次々に現れて、その当時を思い出しては思い出話に花が咲きます。
その中に、今年は、去年夏期講座に参加して公務員に合格していった当時高校3年生だった女の子が二人、訪ねてきてくれました。たった5週間のつきあいだったのに、当校のことを忘れずに、そして私たちのことを忘れずに訪ねてきてくれたことに、じんわりとうれしさがこみ上げてきました。すっかり社会人となった二人の顔は、見違えるようにきらきら輝いていました。
先週、突然、大阪に住む姪が訪ねてきました。専門学校を卒業して、大阪のホテルでフラワーアレンジメントの仕事をしていたのですが、退職して全国を旅して回っているんだと言っていました。『青春18切符』を使って鈍行列車で東日本、西日本と5日間ずつ旅して回ったということでした。姪曰く、「今青春だと思っている人は誰でも使える」というその切符を使って、若い人だけでなく、余暇を楽しむ年配の人も利用しているそうです。その話を聴いて驚いている私に、姪は、「見ただけで、『青春18』の人だとわかる。そんな人は同じにおいがする。」とおもしろいことを言っていました。時刻表をポケットに、一眼レフのカメラを首に掛けている人は鉄道マニア、缶ビール片手の女性も見かけると話してくれました。車中では、過ぎゆく景色を眺めたり、音楽を聴いたりして、まるで子供の時のようにゆっくりゆっくりと時間を使っていたそうです。
姪の仕事は、毎日ホテルの地下でお花をアレンジすることでした。残業が多くて帰るのはほとんど夜。お日様には朝の15分位しか当たらない生活をしていたそうです。繁忙期には、連日連夜のハードな毎日を過ごしていく内に、ゆったりと時間を使いたくなったのでしょう。
突然訪ねてきた3年ぶりに会ういとこと、私の娘は、昨日も会った友達のように何のわだかまりもなく一緒に食事をし、大きな声で笑っていました。
あとから、娘は「不思議だね。3年も会っていないのに最初から普通に話せた。」と言っていました。それは「構え」がないからですね。何の損得もなく、信頼している相手とは、会わない時間が長くても、いろんな要素で一瞬で『時』を挽回できるのかもしれません。
単調な日々のなかで、普段と違う体験をすることは、生きていく上でのエッセンスになります。懐かしい人との語らいや、いつもと違った時間の使い方をすることで、潤いのある穏やかな気持ちになれるのであれば、周りの人に向ける眼差しも、きっと、優しくなれるはずだと思います。
この夏、懐かしい人にたくさん会えた私は、夏休みを終えて戻ってくる学生たちや受験勉強をがんばっている公務員科の学生たちにも、優しく声を掛けられそうな気がしています。
長い梅雨だったこともあり、今年の夏は、本当にあっという間に過ぎていきました。当校では恒例の夏期講座が行われ、近隣の高校生たちが公務員試験の合格目指してたくさん参加してくれました。活気のある若いエネルギーに満ちあふれた夏休みでした。
当校では、毎年夏休みになると、就職して遠方に出て帰郷した卒業生たちがたくさん立ち寄ってくれます。懐かしい顔が次々に現れて、その当時を思い出しては思い出話に花が咲きます。
その中に、今年は、去年夏期講座に参加して公務員に合格していった当時高校3年生だった女の子が二人、訪ねてきてくれました。たった5週間のつきあいだったのに、当校のことを忘れずに、そして私たちのことを忘れずに訪ねてきてくれたことに、じんわりとうれしさがこみ上げてきました。すっかり社会人となった二人の顔は、見違えるようにきらきら輝いていました。
先週、突然、大阪に住む姪が訪ねてきました。専門学校を卒業して、大阪のホテルでフラワーアレンジメントの仕事をしていたのですが、退職して全国を旅して回っているんだと言っていました。『青春18切符』を使って鈍行列車で東日本、西日本と5日間ずつ旅して回ったということでした。姪曰く、「今青春だと思っている人は誰でも使える」というその切符を使って、若い人だけでなく、余暇を楽しむ年配の人も利用しているそうです。その話を聴いて驚いている私に、姪は、「見ただけで、『青春18』の人だとわかる。そんな人は同じにおいがする。」とおもしろいことを言っていました。時刻表をポケットに、一眼レフのカメラを首に掛けている人は鉄道マニア、缶ビール片手の女性も見かけると話してくれました。車中では、過ぎゆく景色を眺めたり、音楽を聴いたりして、まるで子供の時のようにゆっくりゆっくりと時間を使っていたそうです。
姪の仕事は、毎日ホテルの地下でお花をアレンジすることでした。残業が多くて帰るのはほとんど夜。お日様には朝の15分位しか当たらない生活をしていたそうです。繁忙期には、連日連夜のハードな毎日を過ごしていく内に、ゆったりと時間を使いたくなったのでしょう。
突然訪ねてきた3年ぶりに会ういとこと、私の娘は、昨日も会った友達のように何のわだかまりもなく一緒に食事をし、大きな声で笑っていました。
あとから、娘は「不思議だね。3年も会っていないのに最初から普通に話せた。」と言っていました。それは「構え」がないからですね。何の損得もなく、信頼している相手とは、会わない時間が長くても、いろんな要素で一瞬で『時』を挽回できるのかもしれません。
単調な日々のなかで、普段と違う体験をすることは、生きていく上でのエッセンスになります。懐かしい人との語らいや、いつもと違った時間の使い方をすることで、潤いのある穏やかな気持ちになれるのであれば、周りの人に向ける眼差しも、きっと、優しくなれるはずだと思います。
この夏、懐かしい人にたくさん会えた私は、夏休みを終えて戻ってくる学生たちや受験勉強をがんばっている公務員科の学生たちにも、優しく声を掛けられそうな気がしています。