安藤先生の月刊ブログ 「きらめき」

何気ない毎日に"きらめき"を感じていますか?

アマリリスの幻影

2010年06月01日 | 月刊ブログ
 随分昔になりますが、小学校の頃、はじめてリコーダーで吹いた曲が「アマリリス」だったような記憶があります。曲ははっきり覚えているのですが、肝心なその花は全く印象にありませんでした。
大人になって、「アマリリス」の名前につられてその花を改めて見てみると、大輪の色鮮やかな赤い色が人目を引きます。こんな立派な花だったのかと、一生懸命練習したそのメロディーを思い出してしまいました。
 
 私の生まれ育った早岐という町は、安土桃山時代の頃から海陸共に交通の要衝で、山に住んでいた猟師や山武士達が獲った鳥獣の皮等と、海辺に住む漁師が獲った魚や海草等と、物々交換をしていたことから自然発生的に「市」が立つようになって、田植え前の農閑期で、初夏のすばらしいこの季節に縁起の良い7,8,9のつく日を選び定期市が開かれるようになりました。
 最盛期は、江戸時代末期から明治時代中期の頃で、五島や平戸そして付近の島々から、六百余隻もの大小の船が集まり、遠くは博多、佐賀、長崎等からは見物人や商人達が大勢やってきたそうです。
 早岐瀬戸の周辺は「かえまっしょ、かえまっしょ」と海の幸と山の幸を交換する人々の、数万の人出があったと伝えられています。
 また、そのころは、九州のお茶の相場が早岐で決まったとも言われています。
 このころがちょうど季節の変わり目で、茶市が来ると夏がやってきます。「茶市の風に吹かれるとその年は風邪を引かない」と昔から言われていました。
 
 先日は、両親や妹の家族と、数年ぶりでその茶市にいきました。毎年、茶市の頃になると、母から茶市へのお誘いの電話が入ります。ちょうどその三日間が土曜日曜に当たれば私もいけるのですが、なかなか都合がつかず、いつも見送ってしまっていました。
 でも、その日は、うららかな春の日差しが心地よく、日頃の雑念から開放されて、ゆったりとのんびりと歩を進めて行きました。
 
 そのうち歩いている私が、まるで小学生の私が歩いているような錯覚にとらわれていきました。新茶の甘い香り、干物の生臭さも懐かしいばかりです。ところどころの駄菓子やさんやおもちゃやさんには、必ず足が止まります。かき氷や焼きとうもろこし、焼きそばにソフトクリーム、幼い私には魅力的すぎます。
 小さい私が同級生たちとはしゃいでいます。同じ学校の子供たちもたくさん来ていて、みんな楽しそうにしています。
 そのタイムスリップしたような瞬間の何とも形容しがたい感情は、まるでホームシックにかかったようなもやもや感でした。

 ふと、現実に戻ると、年老いた両親の歩調に合わせてあの時の道順で進んで行っていました。
 いつの間にか過ぎ去った遠い時間、その間のことは白紙状態で一気に飛び越えた空間は、
月日の経過をむなしく感じたり、現実を直視するきっかけにもなります。
 目の前の、寂れかけた茶市の様子や、勢いのあった通りの、今は閉店した家々、病み上がりの両親を気遣う小学生ではない私が、いるのです。
 ふるさとを思うときは、いつも自分はその当時の年齢に逆戻りしてしまいます。そして、
だからなおさら現実がはっきりと見えてくることもあるのです。

 先月の母の日には、子供たちがプレゼントを用意してくれていました。
 今月の父の日には、夫にはきっと大好きなビールがプレゼントされることでしょう。
 そして、私は、自分の父に治療で自慢の髪を無くしてしまった頭をやさしく包む、夏用の帽子をプレゼントしようと思います。

Photo by mizutani

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