ある日を境に突然梅雨が明けて、そこからは毎日炎暑が続いています。立秋を過ぎてからは、ほんの少し、風がそよいできました。
甲子園では高校球児が熱戦を繰り広げています。リオデジャネイロではスーパーアスリートたちが、世界を舞台に心身ともに自己の限界に挑んでいます。スポーツ観戦が大好きな私は、今年は、リオとの12時間の時差を乗り越え寝不足の毎日を送っているところです。
先日のテニスでの錦織圭選手の競技は感動的でした。コートの上では、たった一人です。窮地に立たされた時に、どんなことを考えてプレーをしているのだろうと、彼の表情一つ一つに心を奪われていきます。勝利の瞬間、両手で顔を覆っている姿に、どれだけのプレッシャーがかかっていたのかと、見ていた私も大きな安堵のため息が出ました。感動的な勝利をありがとうと、心から拍手を送りたいです。
先日、卒業生の結婚式に出席してきました。まだ卒業して3年という若いカップルでした。佐世保から少し離れた大村で行われたので、同じ代の卒業生2名が佐世保まで私たち教員2名を迎えに来てくれて一緒に向かいました。車の中では当時の思い出話に盛り上がりました。さらに式場で一人二人と集まり、みんなで軽く昼食を取りながら、時間まで今の仕事のことなどそれぞれから聞くことができました。そんな中、社会人として、というより人間としての心配りができる人とできない人が、気を許したこんな場面で表れることに気が付きました。レストランで席を決める時、こっちが涼しいですよと、日差しが当たらない場所を選んでくれた人や、私が飲み物を片付けようとすると、すぐに僕が持っていきますよ、と立ち上がってくれた彼の行動には、本当に清々しい気持ちになりました。その人のちょっとした行動で、周り全体がスムーズに動いていきます。思いやりのある心配りが周りを幸せな気持ちにさせてくれます。
その日は、華やかな華燭の典と、青年の何気ない心配りで幸せな一日となりました。
他人は、自分を映し、成長させる鏡になると言います。そこに同席した何人かの若者がそれらの行動を見て、自分に置き換えて実践できるようになれば、それぞれが周りを幸せにすることができるでしょう。
2500年前の孔子の言葉が収められている『論語』には「賢を見ては斉(ひと)しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みるなり。」という文があります。優れた人を見れば同じようになろうと思い、思わしくない行いの人を見たら、そうならないようにわが身を反省することだ、という内容だそうです。日常の何気ない会話や行動から、自分を見つめ自分を成長させようという意識を持つことが必要だと言います。今回の卒業生のちょっとした行いに何人の人が気づいたのかなと思いました。棒立ちで見ているだけの人は気が付いたでしょうか。キラリと光る言動に、まずは気が付くことから、始めないといけないのかもしれませんね。
8月に入ってから、関東や関西、離島から帰省した卒業生が、学校に来てくれています。ここ数日も遠方から学校に帰って来てくれました。仕事のことや私生活のことなど楽しそうに話をしてくれます。充実感と緊張感と少しだけ「慣れ」も出てきて入り混じった感じです。さすがに難関を勝ち上がった勝者です。少々の困難は諸共せずに、ぐんぐんと成長していっているのがよくわかります。アンテナを張って周りからもたくさんのことを学んでいるようです。山を乗り越えた人だけが持てる自信がうかがえます。
連日熱戦が繰り広げられているリオ・オリンピックでの勝者は、口々に、「自分との戦いでした。」と言っています。本当に最後は強い意志を持った人が勝利を勝ち取ることができるのでしょう。
今、ここで学んでいる本校の学生も、試験まであと半月となりました。自分に負けない強い意志で、この暑さとプレッシャーを乗り越えてくれることを願っています。
学校の合格神社にも、参拝者が増えました。
あと少し、運も味方につけて夢を叶えてくれるよう、祈っています。
Photo by mizutani