安藤先生の月刊ブログ 「きらめき」

何気ない毎日に"きらめき"を感じていますか?

梅雨の晴れ間

2020年06月26日 | 月刊ブログ

 

 梅雨に入っても、中休みで炎暑の毎日が続いています。なるだけ外に出ないようにしていても、窓からの様子だけで、もわっとした暑さを感じます。コロナの影響で通常の生活ができなかった期間の分、早く挽回しなくてはと気持ちだけが焦っています。

 

 外出自粛で、会いたい人にも会えず、気持ちも沈んでいましたが、ある日、友人から紫陽花の立体カードが届きました。涼しげな淡い紫色の花が幾重にも重なって咲いて、ペーパークラフトであることを忘れるくらいに、それは芸術的でした。それから数日たったある日、別の友人から、雨の中、後ろ向きに女の子が傘をさしている透明のアクリル製カードが届きました。二枚の薄いアクリルが上手にカーブを付けられることで周りの景色との遠近感がでて、これもまた芸術作品でした。

 一枚のカードが、もらった人の心を揺さぶり、優しい気持ちにさせてくれる。このカードを考案した人は、この時の私の感動をきっと予想していたに違いありません。沈みがちだった私の心は、友人たちの優しい心遣いに癒されました。

 

 学校は、5月初旬の自粛休校以降は、通常通り授業が行われています。私事ですが、担当替えによって、数年ぶりで学生たちと直接関わりながら忙しい日々を送っています。授業の準備、時間割通りの授業を行い、練習問題を作り採点をし、また次の日の授業の準備をする。残業しても間に合わず、家に持ち帰って予習をする毎日が、大変だけど充実しています。家族は、「まだやってるの」と横目であきれ顔です。体力が続く限り、学生たちの合格のために一肌脱ぐ覚悟で生活しています。

 やはり、学生たちとの会話は楽しく、質問や、面接の練習の依頼などは、どんなに忙しくても、つい引き受けて、結果的に自転車操業の毎日を繰り返すことになってしまうのです。

 

 久しぶりに「基礎国語」という科目も担当しています。先日、夏目漱石の『夢十夜』という作品に出会いました。「こんな夢を見た」という書き出しで十篇の話が書かれています。

 漱石と言えば、『吾輩は猫である』や『こころ』など有名な作品が数多くあります。しかし、私は今まで、この『夢十夜』に出会えていませんでした。

 夢の中の非現実の世界に誘い込みながら、明治の急速な近代化に違和感を覚えている漱石の心情が描かれているのだそうです。

 第一夜は、『こんな夢を見た。腕組をして枕元に坐っていると、仰向に寝た女が…』

死ぬ間際の女に「百年待っていて下さい」と自分は頼まれる。女の墓の横で待ち始めた自分は、赤い日が東から昇り、西へ沈むのを何度も見る。そのうちに女に騙されたのではないかと自分は疑い始めたとき、石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。真白い百合が咲いた。その時「百年はもう来ていたんだな」と気が付いた。という話です。ここに出てくる百合の花は、百に合うと書きますよね。

 

 第六夜は、『運慶が護国寺の山門で仁王を刻んでいると云う評判だから…』

その姿を見物していた自分は、隣の男が「運慶は、木の中に埋まっている仁王を掘り出しているだけだ」と言っているのを聞く。自分でも仁王像を彫ってみたくなり、家にある木を彫り始めるが、何度やっても仁王は見当たらなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋まっていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。という話です。

それぞれが夢の中での出来事として書かれているところに、現実では起こり得ないことを、時代の矛盾や宗教などに絡めて書かれているのではないかと思います。

 

 このように、国語のテキストの一節から未知の文学に触れることができるのは、この仕事の特権なのかもしれません。このところ読書からも遠ざかっていましたが、見逃していた名作に出会えて、なんだか得をしたような嬉しい気持ちになりました。

 

 仕事や、コロナや、梅雨や、大変な時に、ちょっとだけさわやかな風が吹いて、嬉しいことや楽しいことがあると、また頑張れる気がします。「気持ちの持ちよう」とよく言いますが、本当に精神的なことが、困難を乗り越える原動力になるのだと、梅雨の晴れ間に思っています。

 

 今月の写真は、紫陽花です。雨に濡れた様子も風情がありますが、太陽のもとの紫陽花には、パワー溢れる生命力を感じます。

 

 Photo by mizutani


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