霧の海通信・ふるさとの風景

三次市高谷山からの霧の海通信。見逃した人にも美しい景色を。変わる街の様子や四季折々の自然を発信したいと思います。

霧と雨雲、今日も蒸し暑い

2009年08月13日 | 霧の海ライブカメラ
お早うございます。        広島ブログ

湿度75%、気温28度、今日は朝から蒸し暑い。
雨雲と霧が立ち込める、余り爽やかでない朝。
霧が上昇を初め、街がかすかに見え始めるよう。

天気予報は雨70%。今夜の盆踊りは大丈夫かな。

大切に育てたベルテッセン、やっと咲きました。

街道を行くその2
司馬遼太郎は堀江文人先生のことを

”三次の史家堀江文人氏の文章を読むと、学問の基礎の堅牢さがうかがわれて、よほどの人のように思われる。その著「三次小史」はすでに古典的なもので手に入りにくいが「三次地方史論集」と言う本は最近の著作だから、我々でも手に入る。その中に「ふるさと今昔ー霧の町・三次」という随想文があり、三次史や三次の文学作品にあらわれた霧について書いておられる。”と高く評価。

 その地方史論集のなかに

”尼子・毛利の長い戦いの結果、尼子の大将義久とその夫人がとらえられ、毛利方の本拠である安芸の吉田に送られることになった途中、駕籠が三次を通ったとき、
奥方は、駕籠の簾(スダレ)をかき上げて、「ここは何処の国か」と尋ねた。江の川の霧が、あたりを暗く閉ざしていた。そばの者が、「ここは、以前に尼子方の領地であった、備後の国、三次の里」と答えた。奥方は、筆を染めて、一首の歌をものした。

 ゆく末は江の川霧せき止めて何みよし野の道や開けん

尼子義久はべつの駕籠にのっていて、この歌を示された。かれもすぐさま、

 みよし川霧せきこむる瀬々に来て世を渡らんと名をば流しつ

と 詠んだ。     とある。

 三次の霧がいかに当時の人々と関わったか、興味深い。

 続きは明日に。

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