以前から”僕の旅において最後のハイライトは西チベットの旅・カイラス巡礼だ!”と公言していたのですが、今年3月のチベット動乱などの諸々の不幸な出来事が重なり、西チベットへの旅はあきらめなければならない状況になってしまいました。この事実に僕は打ちひしがれていました。そして、失意の中で、カイラスへ行くためだけにこの半年間ずっと持ち歩いているチベットのガイドブック(旅行人・全チベット文化圏ガイド)を読んではチベットへの思いを無駄に募らせていました。しかし、そのガイドブックをよくよく読んでみると、どうやらチベット文化圏というのは、非開放の”チベット自治区”だけではなく、対外に開放されている地区にも”チベット族自治州”などという形で残されているようなのです。しかも、その開放地区も非開放地区に匹敵するような魅力的な場所がたくさんあるようなのです。なので、僕はそちらを訪れることにしました。(しかし、どうやら6月25日よりチベット自治区は外国人に再開放されたみたいですね。。。今回のブログの話は、それ以前の6月17日から20日までの話です。)
対外開放されているチベット文化圏は主に青海省、四川省、雲南省に集まっています。僕はある事情により6月22日までに北京に行く必要が会ったので、敦煌と北京の間にある青海省を訪れることにしました。よくよく調べてみるとこの青海省は現在のダライラマが生まれた場所でもあるみたいで、なぜチベット自治区ではないのか、それに非開放になっていないのかが不思議なくらいです。
まずは、敦煌から寝台バスに乗って約20時間で青海省の省都・西寧(シーニン)へ行き、そこからさらにバスに7時間揺られて興海(シンハイ)というチベット自治州の町に行きました。
寝台バス
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2階建・3列で、寝台と椅子の中間のような座席が並んでいます。この座席はリクライニングで倒れているわけではなくて、常に固定で倒れているので、昼間っからずっと乗客は寝転がっていなければいけないのです。
西寧につくと、住民の大部分が頭に白い帽子を被っている回族という中国のイスラム教徒になり、顔も少し一般的な中国人とは違ってきました。ネパールのエベレスト・トレッキングでたくさん出会ったシェルパ族に近い感じです。目が大きくぱっちりとしていて、肌の色が黒いです。ちらほらとチベット僧の姿も見かけます。彼らもシェルパと同様の顔の特徴を持ち、頬っぺたが若干赤みを帯びています。そして、なぜか体格がいい人が多いです。ネパールにもチベット僧が多くて、その時も思ったのですが、なぜかチベット僧のおっちゃん達って体格が良くて、顔がいかつくて、迫力があるのです。
興海の周りはだだっ広い草原と山です。
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海抜3000mくらいだそうです。
興海のバスターミナルについて屋根の上に積んである荷物を下ろしていると、何やら長身の薄汚い男が他の乗客にからんでいるのが見えました。どうやら物乞いのようで、他の人のカバンや服をつかんだりするなどの積極的な行動に出ていて、かなり迷惑な存在になっています。僕は、「うわあ、あいつにからまれたらいややなあ。」と思いながら、自分の荷物を屋根から下ろすと、僕のシャツの袖が引っ張られるのを感じました。振り向くと案の定その物乞いでした。必死に振り払ってもしつこくからみついてくるので、僕はそいつを殴るふりをして追い払おうとしました。すると、そいつは一瞬ひるんだ後、なんと僕の顔めがけて唾を吐きかけてきたのです。僕が唖然としていると、そいつは立ち去っていきました。周りの人達はみんな見て見ぬふりです。どうやら、チベット族自治州の旅は一筋縄ではいかないみたいです。
興海の町
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実際来てみると西寧同様、住民の多くは白い帽子をかぶっている回族(イスラム教徒)でした。チベット人は全体の3割くらいでしょうか。
ちらほらいるチベット僧
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地獄の悪臭トイレを持つ宿で一泊し、翌日、この興海へ来た唯一の目的といっていいチベット寺のセルゾン・ゴンパ(賽宗寺)へ向かいました。ガイドブックによると、宿のすぐ目の前からゴンパへ行くジープが出ているとのことですが、それらしい車は見当たりません。歩道には暇そうにしている回族の人達が大挙してたむろしているので、その中の一人にゴンパへ行く車を尋ねてみました。すると彼は、その辺にいるチベット僧の服装をしている人達に片っ端から声をかけて僕をゴンパへと連れて行ってもらえるかどうか訪ねてくれているみたいです。それが駄目だとみると走っている車を一台止めて、運転しているチベット人に交渉し、ついに僕をセルゾン・ゴンパまで連れて行ってもらえるように話をつけてくれました。車には2人のチベット人が乗っていました。年齢が40台前後と30台前後のコンビで、例のごとくガタイが良いです。彼ら2人とも英語が全く話せないし、僕は中国語もチベット語も話せないので、「セルゾン・ゴンパ、セルゾン・ゴンパ」と連呼してみると、「うん、わかってる。」というような表情を浮かべて、僕に車の後部座席に座るようにうながしました。車はBMWのセダン、サンタナです。そして、セルゾン・ゴンパを目指す長い長い一日が始まりました。
まず、車は近くの民家の前に停車。そこで、積荷のタイヤを下ろしました。そして次はまた元の場所まで戻って来て、遅めの朝食(時刻は11時ごろ)を食べ、市場でスイカや桃などの果物を購入。次は、そこから5分ほどの所にある大きい民家に入り、そこの家族にご挨拶。そして、挨拶がてら、チベット特有のバター茶とチベットパンをごちそうに。そして、その民家のとなりの洗車場に移動し、洗車屋さんに入念に車を洗ってもらいました。トイレや床は汚くても平気なくせに、車に関してはとてもきれい好きなんですね。。。
ぴかぴかになっていく車を見つめるドライバー(左端)
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洗車屋さんは、外だけではなく車内も入念に洗ってました。
この時点で僕が初めに車に乗せてもらってから2時間以上も経過しています。そして、きれいになった車にもう一人チベット人を追加して、ようやく町を出て草原の道を走り始めました。しかし、20分ほど走ると草原のど真ん中に車を止めて、みんな車外へ出て行きます。何が始まるのかと思うと、なんと、昼食を食べるらしいのです。さっき食事をしたばっかりなのに。しかも、昼食のメニューはスイカとパン。スイカといってもパンを食べた後のデザートとして食べるのではなく、パンのおかずとしてパンと一緒にスイカを食べるのです。実際やってみると、これが案外食べれました。スイカもおかずになるんですね。新発見。もう二度としないと思うけど。
おかずスイカとチベット人
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そうこうしていると、バイクで別のチベット人がやって来て、バイクの調子が悪いらしく、みんなでバイクをいろいろいじり始めました。しかし治らず、そのうち雨が降り出したので、みんなで車の中に避難したと思ったら、みんないきなり昼寝をし始めました。うわあ。もうチベット人の行動は全く予想がつきません。言葉が通じるのなら、いろいろと彼らの考えを聞いてみたいところなのですが、全く通じないので仕方なく彼らのするのを僕は黙って見ることしかできません。バイクでやってきたチベット人が携帯電話でバイクの修理屋を呼んでいたみたいで、45分後くらいに修理屋さんがやってきてバイクを引き取って去っていきました。バイクで来た人も一緒に車に乗り込み、総勢5人になり、どうやらいよいよ本格的にセルゾン・ゴンパを目指して出発を始めるみたいです。この時、既に午後3時を過ぎており、今日中に興海に戻れるかどうかちょっと不安になって来ました。
バイクを囲んであーだこーだと議論するチベット人たち
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そのうち草原の道は終わり、岩山に囲まれた完全なオフロードの道を走り始めました。相当な悪路です。普通のセダン車でこんな道をぶっ飛ばすなんて、さすがチベット人はすごいなあと感心していると、周りには特に岩山しかない場所で突然車を止めました。そして、4人とも車を降りておもむろに岩山を登り始めました。急な斜面を駆け上がっていき、何をするのかと思ったら、どうやら花を摘んで集めているようです。いや、本当にチベット人の行動には驚かされるばかりです。
急な岩山の斜面を登って花を摘むチベット人たち
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その後、数十分間そういった彼らの作業は続き、大量の野花が集められてきました。それらをトランクに詰め込み、再出発しました。岩山の間の狭い道を抜けると、大渓谷の素晴らしい景色が広がっていました。
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そして、夕方の5時ごろ、ついにセルゾン・ゴンパに到着しました。セルゾン・ゴンパは単なる寺というよりも、小さな村という感じです。岩山の中腹に寺と民家が密集して建てられている小さな集落・生活共同体です。岩山と一体化したようなその姿はとても神秘的で、僕は長い時間をかけてここまで来た甲斐があったと思いました。
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一緒に車に乗ってきた人達は、みんなちりぢりに去っていき、残った車を運転していた人が僕をある民家に案内してくれて、”泊まるところは丘の上にあるから後で来い”というようなジェスチャーをして消えていきました。その民家には小柄なチベット人がいて、僕にお茶とパンをごちそうしてくれました。ありがたくそれらをいただいていると、彼は初歩的な英語の教科書を持ち出してきて、それを指差し会話帳のように使って「どこの国から来ましたか?」とか「職業はなんですか?」などの質問をしてきました。一切発音はせずに。僕も回答を教科書を指差しながら静かに行いました。
そんな彼の家
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彼にお礼とさよならを言って、セルゾン・ゴンパの集落内をぶらぶらと歩きました。今日中に興海へ戻るかここに泊まるか考えながら。ここに一泊するのはとても魅力的な申し出だし是非泊まりたいけど、もしここに一泊してしまうと期日までに北京に行けないかもしれないという葛藤があります。
そうこうしているうちにお寺に着きました。
お寺
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若い僧侶たち
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寺の内部
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ただでさえ神秘的な内装なのに、中央に読教している僧侶が数人いて、さらに神秘性を高めていました。低くて腹の底に響くような声でした。
その後、寺の内部を見学した時に案内してくれた僧侶たちと道端でばったりと再会し、彼らは僕を彼らの家へ招待してくれました。そして、お茶やパンやヨーグルトをふるまってくれました。それにしてもチベット人はなんて親切なんでしょう。感動しました。
前の民家で英語の教科書を使ってコミュニケーションをとったことから、そういえば僕のチベットのガイドブックに簡単なチベット会話集があって、それがコミュニケーションに使えるのじゃないのか、と思いつき(今更ながら)、今回はチベット人の彼らとはそれなりにコミュニケーションがとれました。もっと早くこの方法に気付いておけば・・・。
チベットガイドブックを熱心に読むチベット人と
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おっちゃんチベット僧
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やっぱりケンカが強そうです。
その後、また集落をぶらぶら歩いていると車を運転して僕をここまで運んでくれた人に再会しました。摘んできた花を使って何かをしているみたいです。彼はジェスチャーで「夕食を食べたら、宿へ行こう」という風に言ってくれたのですが、僕はやっぱり北京へ行けるか心配になりました。でも、明日中に西寧まで戻れれば北京には予定通りに到着できるので、西寧に明日中に戻れるかどうかを聞きました。周りにいたチベット人達がわらわらと集まってきて議論した結果、「今からジープが出るからそれに乗りなさい」ということになりました。ここに泊まりたいのはやまやまなのですが、仕方ないので諦めて今日中に興海に戻ることにしました。
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セルゾン・ゴンパのチベット人はとてもいい人達ばかりでした。しかもみんなかっこいい!
そうして、僕はちょうどやって来たジープに乗せてもらい、興海へ戻りました。行きは何だかんだで7時間くらいかかったのに、帰りはたったの1時間半でした。ジープの運転手の兄ちゃんは、金を受取らずにかっこよく去っていきました。結局、この日は行きも帰りもタダで送ってもらい、食事も全部ごちそうになりました。
こうして僕のちょっとだけチベット観光は終わりました。
たった一日のチベット観光でしたが、なんか一週間分くらいの刺激があったようなそんなような感動が後に残りました。
何度口があんぐりとなったことか。
自分では行かないの?
すごい。面白いな。
自分は行くことないけど、面白い。
僕もこんなチベット族自治州があるなんて想像もしてなかったです。ガイドブックを何気なく見てたら気づいたのです。でも、いつかまた、次は長い時間をかけて、チベットへ、そしてカイラスへ行ってみたいものです。
エリーちゃん
いつも素敵な触れ合いがあるわけではないよ(汗)!ごくたまにおこる触れ合いを話を膨らまして書いているだけなのです・・・。
チベット暴動が起きたときちょうどネパールにいたので、チベットにいけずに日本に帰国している人に何人も会いました。。。
俺もオリンピック前に再解放されるとは、夢にも思わなかったよ。中国やるなあ・・・。
帰国は、8月末前後の予定ですよー。日本で飲みに行きましょう!
さいとうさん
不思議やろお。困惑しっぱなしやったけど、ほっこりしました。
ほっこりツアーですな。
なんか、いつも素敵な触れ合いがあるよね、しんさんは。
きっと人柄なのかな~??
旅先であった人もチベット行けなくて失意で日本に帰った人がいるよ。でも再解放されたんだね。オリンピック前なのにびっくりです。
気をつけて旅してください。
こんなチベット族自治州があるのは知りませんでした。