ラオス紀行 ~ 仏陀のいとし子の住まう国
目次
①旅の始まり
②カンボジア編
2.の1.カンプチア・アゲイン
2.の2.クバール・スピアン(『川の源流』の意)
2.の3.ベン・メリア(『花束の池』の意)
2.の4.トンレサップ湖
2.の5.ガイド列伝
③南ラオス編
3.の1.ラオスへ、ワット・プー
3.の2.大メコンの滝、四千もの川中島
3.の3.いかだみたいなフェリーボート
3.の4.ラオスのファランたち
3.の5.南ラオスのガイド君、自然体の猫
3.の6.モン族の悲劇
④北ラオス編
4.の1.ルアンパバーン
4.の2.ムアンゴイのニンニンハウス
4.の3.ムアンゴイ村散策
4.の4.パラボラアンテナ
4.の5.ボーペンニャン
4.の6.オー・マイ・ブッダ、だまされた!
4.の7.野菜、ステーキ、そしてカオ・ニャオ
⑤番外編
番外編~ハノイの足うらマッサージ
ラオス紀行 ~ 仏陀のいとし子の住まう国
①旅の始まり
アジアの片田舎シリーズの第二段。今回の主役はラオス。え、「らおす」って何?それって国の名前ですか?7~8人の若い衆に聞いてみたが、正確に分かった者はいなかった。「ベトナムのラオスですね。」惜しい!でも何かい。それじゃあ、日本は中国の日本なのかいな。「国旗が日本に似ている国。でもどこにあるのか分からない。」「アフリカ?あっヨーロッパ」「何?キャバクラですか?」一番傑作だったのは、「小○君、ラオス行こうぜ。」「❘❘❘❘北海道ですか?」「ウハ、お土産は昆布ね。」自分が理解出来ない言葉に遭遇して相手の発音のせいにし、❘❘❘❘秒の間に強引に「羅臼」に置き換えた小○君の根性に脱帽。
ラオスは、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに囲まれた海無しの国。面積は日本の本州位で(カンボジアより大きい)人口は約六百万人だから、横浜市程度か。十四世紀のラーンサーン王国(『百万頭の象』の意)から、十九世紀末にフランスの植民地となり大戦中一時日本軍が占領したが、終戦と共にフランスが戻った。そのフランスがベトナムでホーチミン率いる解放軍に敗戦、撤退。アメリカの介入、アメリカのベトナムでの敗戦、撤退。共産勢力(パテート・ラーオ)による首都、ビエンチャンの無血解放、今日に至る。ラオスは社会主義国です。一時は仏教を禁止して僧侶を還俗させたりしたが、今は観光に力を入れ欧米では旅行の隠れた人気スポットになっています。とはいえベトナム、タイ、そしてアンコール・ワットのあるカンボジアに比べれば、観光客は五十分の一か百分の一じゃなかろうか。ラオスでは相棒(前回と同じ親父)を除いて、日本人には一人も会わなかった。一度街で日本語を聞いたのみ。さて、微笑みの国ラオスに旅立つ前に、カンボジアに立ち寄ったので少々お付き合いを、よろしく。
②カンボジア編
2.の1.カンプチア アゲイン
僕らは再びシェムリアップ空港に着いた。出迎えてくれたのは、かわいらしいガイドのルームちゃん。彼女が送り迎えを入れて4日間ずっとついてくれたから、おじさん達幸せ一杯のカンプチア(現地発音)旅行になった。ドライバーは耳が立派につっ立った、背の高い実直そうな中年男性でしたが、彼はなかなかの曲者でかなりの飛ばしや。運転には相当ヒヤヒヤさせられました。彼の名前は、最初にルームちゃんに聞いたら、「えーと、何だっけ」という事でそのままになった。
さて前回は2008年3月に来てアンコール・ワットを訪れ、その美しさに感動したのですが、当時はリーマンショック、株価暴落の兆しはなく、シェムリアップの街は大型ホテルとアパートの建設ラッシュで忙しく、泊まったホテルのロビーはお迎えを待つ観光客で座る所がない盛況振りでした。今回は様変わりしていて、同じホテルのロビーはガラガラ。遺跡ではなくゴルフに行く親父がチラホラしているだけで、その為アンコール・トムの第一回廊がたっぷり楽しめました。その浮き彫りですが、いくつか紹介したいと思います。
a. 闘鶏。現在でも盛ん。男たちを熱くする。闘犬も。
b. 出産のシーン
c. 将棋に興じる人
d. 行軍。
e. 湖上を進撃してきたチャンパー軍。歩兵は半そでジャケット、半ズボン。頭巾を垂らした兜をかぶり、手に楯と槍を持つ。
f. クメール軍に雇われた中国人外人部隊の行進。
g. 調理のシーン。ブタを茹で、バナナを焼く。
h. 対チャンパー戦争に勝利し、アンコール・トムを作った大王、ジャヤヴァルマン七世は后が逝去したときに、その姉を次の后とした。二人とも大変聡明な女性でした。写真のどちらが姉か妹か忘れた。
i. 観世音菩薩の四面塔
2.の2.クバール・スピアン(『川の源流』の意)
この遺跡は山の上を流れる清流の中にあります。遺跡までの小登山は結構きつかった。朝早くから登山を始めたので、この遺跡も貸切り状態なのかと思ったのですが、九時十時と時間がたつうちにフランス人の団体等が次々に登ってきて、下りはかなり待たされました。むき出しの硬い大きな岩が地面からたくさん出ていて、場所によっては両手を使って登る所もある。乾季の今は川の水量は少なく水は澄みきっていて、川底の千本リンガがよく見えます。ルームちゃんは何度も来ているが、落ち葉が水面を覆っていたり、水量が多くて濁っている時もあるそうです。山の頂に滝があり、川の中の岩にヴィシュヌ神が掘られています。千年近く昔に彫られたのに、鮮やかに残っています。
この山からの眺望は素晴らしく、濃淡のある、滴るような緑一色の熱帯雨林が眼下一面に広がっています。山の木々も珍しいものが多い。それにしてもルームちゃんは、長そで、マフラーをして汗ひとつかかない。「私汗かかないんです。汗をかかないのは体によくないのではないでしょうか?」どうなんだろ。汗だく親父には分からない。
ふもとの駐車場にやっとたどり着き、三人で拍手。休憩、そして昼食。ここに来た時にTシャツを売っていた娘たちが、山から下りてきた我々を見てワッと集まってきた。日本語で、「お兄さん、カッコいいね。」「私のこと、覚えてる?ネーお兄さん」買わずに振り切ると、「今日は仕事にならないヨー」よく見るとかわいらしい少女達です。昼食の弁当に入っていたクッキーをあげると、遠慮したりして初々しいじゃありませんか。新しい外国人がやって来るとワッと走り出す。様々な国の言葉をかける。英語、フランス語、韓国語。けれども昼食が終わるまでにTシャツは一枚も売れませんでした。
2.の3.ベン・メリア(『花束の池』の意)
ガイドのルームちゃんは、仕事で来日し東京の三鷹で一年間暮らしたそうです。「日本の人、カンボジアを知らない。でもアンコール・ワットは分かる。」とちょっと悲しそうに話していました。けれどもクメールの遺跡は、アンコール・ワットだけではない。隣にあるアンコール・トムは別にして、熱帯雨林の中に、アンコール・ワット級の遺跡があと5つあり、辺鄙な場所では補修がなされずに朽ち果てるままに放置されています。
a.ソンボール・プレイ・クック(コンポン・トム州)
ここは前回訪問。7世紀からの古い、前アンコール時代の遺跡。
b.ベン・メリア(『東のアンコール・ワット』)今回訪問。
ベン・メリアは、アンコール・ワットのミニチュア版といえる仏教寺院で、碑文が発見されていない謎めいた遺跡。
c. 断崖寺院、プリア・ヴィヘアとピマイ寺院(『タイのアンコール・ワット』)
ここはタイから行ったほうが便利。現在はタイVSカンボジア軍の紛争があり危険。
ピマイ寺院はタイ国内、ピマイ市の中心部にある。
d. パンテアイ・チュマール(密林に消えた巨大遺跡)
アンコール・ワットの北西150キロ、タイとの国境まで二ニキロ。ジャヤヴァルマン七世により建立された平面展開の仏教寺院。放置されて数十年、何ら保護活動がなされていない。行けないこともないが、地雷と強盗団にはご用心。
e.コンポン・スヴァイの大プリア・カーン(王道に沿ってベン・メリアの北60km)
ここに行くのは観光の範疇から外れる。ガイドさんも行ったことがない。雨季には道が無くなる。アンコール時代最大の寺院。(広さはアンコール・ワットの四・七倍)
さて、『東のアンコール・ワット』と呼ばれるベン・メリアを訪れました。アンコール・ワットから昔の『王道』に沿って東へ40km。意外とちゃんとした道路で、耳の立派なドライバーがビュンビュン飛ばして一時間弱で到着。観光客はぐんと少ないが、ここは割と簡単に行けます。お堀の石橋を渡り、ナーガの立派な彫像で始まる参道を抜け、境内に入る。この遺跡は相当崩壊していて、タ・プロムのような巨木ではないが、細かい枝が石に食い込み、鉱物と植物が融合した世界を築いている。前回の旅行記で木が石を侵食しているように書いたが、逆に崩れるのを食い止めているケースもあります。タ・プロムには今回も行きました。
ベン・メリアの浮き彫りには見るべきほどの物はないが、遺跡の周囲の大木が日陰を作り、また遺跡も陰影を持っていて美しい。陽だまりの石の上に細長いヘビがとぐろを巻いていました。死んでいるのかな、と思い近づきましたが、ルームちゃんから注意されました。「気をつけて下さい。ここにいるヘビは、ほとんどが毒を持っています。」
2.の4.トンレサップ湖
この湖を訪れるのも2度目ですが、今回は十一月中旬、前回の三月末が渇水期なのに比べ、九月末迄に降った雨季の水がまだ大量に残っているはずです。前回とは違い、車で船着場まで行く道路が舗装されていて快適です。この国のインフラはみるみる内に整っていく。ありました。水量が多いため、森が丸ごと水没しています。木々の先端だけが水上に出ていて、ボートが湖に広く点在しているらしく、混み合った感じがしません。湖上生活者の船群は遠くにいるのでしょう、ほとんど見えませんでした。
今は琵琶湖の十五倍ほどの大きさがあるはずで、まるで海かノアの洪水の跡。前回と同じ水上レストランに行ったのですが、僕らが船に上がる時に、ちょうど子供3人が乗った手漕ぎボートがやってきました。みすぼらしい服を着た小学校4年生位のおとなしそうなお姉ちゃんと、パンツ一丁の弟、幼稚園くらいのちびちゃん(妹)の3人です。自分が船に乗り移ったら後ろでボコっという音がして、振り返ると弟が両手を頭に当て目を見張り、顔中で痛いよーと訴え、ビエーと泣き出しました。ん、なんだ。どうしたん。ちょうど後から上がってきた相棒が一部始終を見ていたのですが、弟がお姉ちゃんに何か言い、怒ったお姉ちゃんがオールをサっと弟の頭上十五センチの所に構え、また弟が憎たれ口をたたき、お姉ちゃんがオールを持った手を本当に離し、オールは弟の頭直撃、ボコっ、ビエー、という構図なわけ。この兄弟は後でタライ舟に乗って「ワンダラー」「ワンダラー」とやっていました。
2.の5.ガイド列伝
前回の旅行でお世話になった2人のガイドさんを今回指名したのですが、2人とも退職していました。今回は会えないものと思っていたところ、生まれてから一度もビールを飲んだことのないソッキさんは、3ヶ月前に第一子の男の子が生まれていた。彼女は別のガイドの会社に移っていたが、かなり年下と思われるダンナさんが、元の会社(我々が使った、ルームちゃんのいる会社)でやはり日本語のガイドをやっていたので、持参したお土産をたくしました。
先生との恋に悩む青年、ソトム君はやはり別の会社に移りガイドを続けていました。たまたまホテルのロビーで会いました。先生の彼女とはうまくいっているようで、その事はみんなが知っていた。良かったね。もう悩んでないのね。皆さんたくましく暮らしています。ルームちゃんは若いお嬢さんだから、ビールも飲むし、今回はポル・ポト時代の話はほとんど出なかった。景気は悪くても、ホテルのフロントのお兄さんはたくましく、小遣いかせぎでトュクトュク(バイタクシー)を呼び、ホテルにマッサージルームが出来たのにもかかわらず、宿泊客に外のマッサージを斡旋し、ホテルのそばには二十四時間営業のコンビニもどきが出来ていた。
この国の子供たちは毎日元気に登校している。雨季で水が溜まった時、ルームちゃんのお父さんは、家からボートを出して子供たちを学校に送ったそうです。自分は世話になったガイドさんにチップはあげないが、日本から菓子折りを持っていく。しかしたいがいこの国の人のありがとう(オークン)は素っ気ないものだ。でもルームちゃんに百円ショップで買った万華鏡をあげた時は面白かった。興味津々でしばらく上の空でした。アジアで女の子と子供と仲良くなりたかったら、百円ショップに行くべし。
最後に夕飯の時、ルームちゃんが相棒の顔(頭)を見て言いました。「お客さん、帽子を取ると本当にお坊さんみたい。」「ん?これってほめられてるの?」ルームちゃん、それ日本では言わないほうがいいかも。
目次
①旅の始まり
②カンボジア編
2.の1.カンプチア・アゲイン
2.の2.クバール・スピアン(『川の源流』の意)
2.の3.ベン・メリア(『花束の池』の意)
2.の4.トンレサップ湖
2.の5.ガイド列伝
③南ラオス編
3.の1.ラオスへ、ワット・プー
3.の2.大メコンの滝、四千もの川中島
3.の3.いかだみたいなフェリーボート
3.の4.ラオスのファランたち
3.の5.南ラオスのガイド君、自然体の猫
3.の6.モン族の悲劇
④北ラオス編
4.の1.ルアンパバーン
4.の2.ムアンゴイのニンニンハウス
4.の3.ムアンゴイ村散策
4.の4.パラボラアンテナ
4.の5.ボーペンニャン
4.の6.オー・マイ・ブッダ、だまされた!
4.の7.野菜、ステーキ、そしてカオ・ニャオ
⑤番外編
番外編~ハノイの足うらマッサージ
ラオス紀行 ~ 仏陀のいとし子の住まう国
①旅の始まり
アジアの片田舎シリーズの第二段。今回の主役はラオス。え、「らおす」って何?それって国の名前ですか?7~8人の若い衆に聞いてみたが、正確に分かった者はいなかった。「ベトナムのラオスですね。」惜しい!でも何かい。それじゃあ、日本は中国の日本なのかいな。「国旗が日本に似ている国。でもどこにあるのか分からない。」「アフリカ?あっヨーロッパ」「何?キャバクラですか?」一番傑作だったのは、「小○君、ラオス行こうぜ。」「❘❘❘❘北海道ですか?」「ウハ、お土産は昆布ね。」自分が理解出来ない言葉に遭遇して相手の発音のせいにし、❘❘❘❘秒の間に強引に「羅臼」に置き換えた小○君の根性に脱帽。
ラオスは、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマーに囲まれた海無しの国。面積は日本の本州位で(カンボジアより大きい)人口は約六百万人だから、横浜市程度か。十四世紀のラーンサーン王国(『百万頭の象』の意)から、十九世紀末にフランスの植民地となり大戦中一時日本軍が占領したが、終戦と共にフランスが戻った。そのフランスがベトナムでホーチミン率いる解放軍に敗戦、撤退。アメリカの介入、アメリカのベトナムでの敗戦、撤退。共産勢力(パテート・ラーオ)による首都、ビエンチャンの無血解放、今日に至る。ラオスは社会主義国です。一時は仏教を禁止して僧侶を還俗させたりしたが、今は観光に力を入れ欧米では旅行の隠れた人気スポットになっています。とはいえベトナム、タイ、そしてアンコール・ワットのあるカンボジアに比べれば、観光客は五十分の一か百分の一じゃなかろうか。ラオスでは相棒(前回と同じ親父)を除いて、日本人には一人も会わなかった。一度街で日本語を聞いたのみ。さて、微笑みの国ラオスに旅立つ前に、カンボジアに立ち寄ったので少々お付き合いを、よろしく。
②カンボジア編
2.の1.カンプチア アゲイン
僕らは再びシェムリアップ空港に着いた。出迎えてくれたのは、かわいらしいガイドのルームちゃん。彼女が送り迎えを入れて4日間ずっとついてくれたから、おじさん達幸せ一杯のカンプチア(現地発音)旅行になった。ドライバーは耳が立派につっ立った、背の高い実直そうな中年男性でしたが、彼はなかなかの曲者でかなりの飛ばしや。運転には相当ヒヤヒヤさせられました。彼の名前は、最初にルームちゃんに聞いたら、「えーと、何だっけ」という事でそのままになった。
さて前回は2008年3月に来てアンコール・ワットを訪れ、その美しさに感動したのですが、当時はリーマンショック、株価暴落の兆しはなく、シェムリアップの街は大型ホテルとアパートの建設ラッシュで忙しく、泊まったホテルのロビーはお迎えを待つ観光客で座る所がない盛況振りでした。今回は様変わりしていて、同じホテルのロビーはガラガラ。遺跡ではなくゴルフに行く親父がチラホラしているだけで、その為アンコール・トムの第一回廊がたっぷり楽しめました。その浮き彫りですが、いくつか紹介したいと思います。
a. 闘鶏。現在でも盛ん。男たちを熱くする。闘犬も。
b. 出産のシーン
c. 将棋に興じる人
d. 行軍。
e. 湖上を進撃してきたチャンパー軍。歩兵は半そでジャケット、半ズボン。頭巾を垂らした兜をかぶり、手に楯と槍を持つ。
f. クメール軍に雇われた中国人外人部隊の行進。
g. 調理のシーン。ブタを茹で、バナナを焼く。
h. 対チャンパー戦争に勝利し、アンコール・トムを作った大王、ジャヤヴァルマン七世は后が逝去したときに、その姉を次の后とした。二人とも大変聡明な女性でした。写真のどちらが姉か妹か忘れた。
i. 観世音菩薩の四面塔
2.の2.クバール・スピアン(『川の源流』の意)
この遺跡は山の上を流れる清流の中にあります。遺跡までの小登山は結構きつかった。朝早くから登山を始めたので、この遺跡も貸切り状態なのかと思ったのですが、九時十時と時間がたつうちにフランス人の団体等が次々に登ってきて、下りはかなり待たされました。むき出しの硬い大きな岩が地面からたくさん出ていて、場所によっては両手を使って登る所もある。乾季の今は川の水量は少なく水は澄みきっていて、川底の千本リンガがよく見えます。ルームちゃんは何度も来ているが、落ち葉が水面を覆っていたり、水量が多くて濁っている時もあるそうです。山の頂に滝があり、川の中の岩にヴィシュヌ神が掘られています。千年近く昔に彫られたのに、鮮やかに残っています。
この山からの眺望は素晴らしく、濃淡のある、滴るような緑一色の熱帯雨林が眼下一面に広がっています。山の木々も珍しいものが多い。それにしてもルームちゃんは、長そで、マフラーをして汗ひとつかかない。「私汗かかないんです。汗をかかないのは体によくないのではないでしょうか?」どうなんだろ。汗だく親父には分からない。
ふもとの駐車場にやっとたどり着き、三人で拍手。休憩、そして昼食。ここに来た時にTシャツを売っていた娘たちが、山から下りてきた我々を見てワッと集まってきた。日本語で、「お兄さん、カッコいいね。」「私のこと、覚えてる?ネーお兄さん」買わずに振り切ると、「今日は仕事にならないヨー」よく見るとかわいらしい少女達です。昼食の弁当に入っていたクッキーをあげると、遠慮したりして初々しいじゃありませんか。新しい外国人がやって来るとワッと走り出す。様々な国の言葉をかける。英語、フランス語、韓国語。けれども昼食が終わるまでにTシャツは一枚も売れませんでした。
2.の3.ベン・メリア(『花束の池』の意)
ガイドのルームちゃんは、仕事で来日し東京の三鷹で一年間暮らしたそうです。「日本の人、カンボジアを知らない。でもアンコール・ワットは分かる。」とちょっと悲しそうに話していました。けれどもクメールの遺跡は、アンコール・ワットだけではない。隣にあるアンコール・トムは別にして、熱帯雨林の中に、アンコール・ワット級の遺跡があと5つあり、辺鄙な場所では補修がなされずに朽ち果てるままに放置されています。
a.ソンボール・プレイ・クック(コンポン・トム州)
ここは前回訪問。7世紀からの古い、前アンコール時代の遺跡。
b.ベン・メリア(『東のアンコール・ワット』)今回訪問。
ベン・メリアは、アンコール・ワットのミニチュア版といえる仏教寺院で、碑文が発見されていない謎めいた遺跡。
c. 断崖寺院、プリア・ヴィヘアとピマイ寺院(『タイのアンコール・ワット』)
ここはタイから行ったほうが便利。現在はタイVSカンボジア軍の紛争があり危険。
ピマイ寺院はタイ国内、ピマイ市の中心部にある。
d. パンテアイ・チュマール(密林に消えた巨大遺跡)
アンコール・ワットの北西150キロ、タイとの国境まで二ニキロ。ジャヤヴァルマン七世により建立された平面展開の仏教寺院。放置されて数十年、何ら保護活動がなされていない。行けないこともないが、地雷と強盗団にはご用心。
e.コンポン・スヴァイの大プリア・カーン(王道に沿ってベン・メリアの北60km)
ここに行くのは観光の範疇から外れる。ガイドさんも行ったことがない。雨季には道が無くなる。アンコール時代最大の寺院。(広さはアンコール・ワットの四・七倍)
さて、『東のアンコール・ワット』と呼ばれるベン・メリアを訪れました。アンコール・ワットから昔の『王道』に沿って東へ40km。意外とちゃんとした道路で、耳の立派なドライバーがビュンビュン飛ばして一時間弱で到着。観光客はぐんと少ないが、ここは割と簡単に行けます。お堀の石橋を渡り、ナーガの立派な彫像で始まる参道を抜け、境内に入る。この遺跡は相当崩壊していて、タ・プロムのような巨木ではないが、細かい枝が石に食い込み、鉱物と植物が融合した世界を築いている。前回の旅行記で木が石を侵食しているように書いたが、逆に崩れるのを食い止めているケースもあります。タ・プロムには今回も行きました。
ベン・メリアの浮き彫りには見るべきほどの物はないが、遺跡の周囲の大木が日陰を作り、また遺跡も陰影を持っていて美しい。陽だまりの石の上に細長いヘビがとぐろを巻いていました。死んでいるのかな、と思い近づきましたが、ルームちゃんから注意されました。「気をつけて下さい。ここにいるヘビは、ほとんどが毒を持っています。」
2.の4.トンレサップ湖
この湖を訪れるのも2度目ですが、今回は十一月中旬、前回の三月末が渇水期なのに比べ、九月末迄に降った雨季の水がまだ大量に残っているはずです。前回とは違い、車で船着場まで行く道路が舗装されていて快適です。この国のインフラはみるみる内に整っていく。ありました。水量が多いため、森が丸ごと水没しています。木々の先端だけが水上に出ていて、ボートが湖に広く点在しているらしく、混み合った感じがしません。湖上生活者の船群は遠くにいるのでしょう、ほとんど見えませんでした。
今は琵琶湖の十五倍ほどの大きさがあるはずで、まるで海かノアの洪水の跡。前回と同じ水上レストランに行ったのですが、僕らが船に上がる時に、ちょうど子供3人が乗った手漕ぎボートがやってきました。みすぼらしい服を着た小学校4年生位のおとなしそうなお姉ちゃんと、パンツ一丁の弟、幼稚園くらいのちびちゃん(妹)の3人です。自分が船に乗り移ったら後ろでボコっという音がして、振り返ると弟が両手を頭に当て目を見張り、顔中で痛いよーと訴え、ビエーと泣き出しました。ん、なんだ。どうしたん。ちょうど後から上がってきた相棒が一部始終を見ていたのですが、弟がお姉ちゃんに何か言い、怒ったお姉ちゃんがオールをサっと弟の頭上十五センチの所に構え、また弟が憎たれ口をたたき、お姉ちゃんがオールを持った手を本当に離し、オールは弟の頭直撃、ボコっ、ビエー、という構図なわけ。この兄弟は後でタライ舟に乗って「ワンダラー」「ワンダラー」とやっていました。
2.の5.ガイド列伝
前回の旅行でお世話になった2人のガイドさんを今回指名したのですが、2人とも退職していました。今回は会えないものと思っていたところ、生まれてから一度もビールを飲んだことのないソッキさんは、3ヶ月前に第一子の男の子が生まれていた。彼女は別のガイドの会社に移っていたが、かなり年下と思われるダンナさんが、元の会社(我々が使った、ルームちゃんのいる会社)でやはり日本語のガイドをやっていたので、持参したお土産をたくしました。
先生との恋に悩む青年、ソトム君はやはり別の会社に移りガイドを続けていました。たまたまホテルのロビーで会いました。先生の彼女とはうまくいっているようで、その事はみんなが知っていた。良かったね。もう悩んでないのね。皆さんたくましく暮らしています。ルームちゃんは若いお嬢さんだから、ビールも飲むし、今回はポル・ポト時代の話はほとんど出なかった。景気は悪くても、ホテルのフロントのお兄さんはたくましく、小遣いかせぎでトュクトュク(バイタクシー)を呼び、ホテルにマッサージルームが出来たのにもかかわらず、宿泊客に外のマッサージを斡旋し、ホテルのそばには二十四時間営業のコンビニもどきが出来ていた。
この国の子供たちは毎日元気に登校している。雨季で水が溜まった時、ルームちゃんのお父さんは、家からボートを出して子供たちを学校に送ったそうです。自分は世話になったガイドさんにチップはあげないが、日本から菓子折りを持っていく。しかしたいがいこの国の人のありがとう(オークン)は素っ気ないものだ。でもルームちゃんに百円ショップで買った万華鏡をあげた時は面白かった。興味津々でしばらく上の空でした。アジアで女の子と子供と仲良くなりたかったら、百円ショップに行くべし。
最後に夕飯の時、ルームちゃんが相棒の顔(頭)を見て言いました。「お客さん、帽子を取ると本当にお坊さんみたい。」「ん?これってほめられてるの?」ルームちゃん、それ日本では言わないほうがいいかも。
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