旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

ドラムビート作戦 

2016年08月07日 17時47分31秒 | エッセイ
ドラムビート作戦   

 また戦争かよ。ごめん、女性愛読者が減ってしまうな。女は大てい戦争が嫌いだよね。女にとって戦争でいいことが一つもないからね。ウチのカミさんなんぞ戦争の話を始めると、最初はフーンと生返事、次には返事もしなくなる。だけどもうすぐ8/15、もうちびっと我慢してね。別プランもあるでよ。

 ドラムビート、太鼓連打、変な名前の作戦だがドイツ語で発音すると、バウケンシュラーク、ちょっと良い。続けざまに打撃を与える、という意味だろう。この作戦は今日でも、その成果のほどには知られていない。あまりに莫大な被害にアメリカが報道を規制し、虚偽の発表を流した。大本営発表は日本だけではなかったのだ。
 1941年12月7日(米国時間)の真珠湾奇襲と10日のマレー沖海戦は、ヒットラーを驚かした。何んでこの時期。アメリカとはいずれは戦争になることは明らかだったが、ソ連と死闘を繰り広げている今はマズい。それにしても日本の鮮やかな勝利はどうだ。足手まといのイタリア軍に較べて、遥かに頼りになるじゃあないか。願わくば米英軍を太平洋に釘づけにしていて欲しいものだ。あとウラジオストックに攻め込んでくれ。ソ連を東西から挟撃しようじゃないか。東部戦線で頭が一杯のヒットラーとしては、こんな具合だったと思われる。

 しかし日本は、ソ連とは戦わなかった。三正面作戦を避けたのだ。海軍は主に米軍(他に英軍、豪軍)と太平洋で全面戦争、陸軍は大陸で中国に3~4、南方(太平洋&東南アジア)に1の勢力を向けていた。この上、強敵ソ連と戦う余力は微塵もない。独伊は12月11日にアメリカに宣戦布告をする。アメリカはそれまで中立と言いながら公然とイギリスを援助し石油・武器弾薬・食糧、ありとあらゆる戦略物資を、大西洋を越えて送り込んできた。50隻の中古駆逐艦をイギリスに無償貸与している。Uボートと死闘を繰り広げている英軍によって、これ以上の贈り物はない。それでも建て前は中立だと言うのだから笑わせる。アメリカの支援が無ければイギリスは数週間で干上がる。石油が無ければ戦えない。漢字で書くなら〝油断〟か。中国人は凄いな。
 Uボート乗りにとって、アメリカのまやかしの中立が無くなる事は万万歳だ。今日までアメリカの参入を避けたいヒットラーによって、アメリカ船籍への攻撃を固く禁じられていた。そのため物資を満載して英国に向かう輸送船団を、みすみす見逃すことが度々だった。片手を縛って戦うようなものだ。だが今日からは無制限、無制約で思い切り戦える。
 潜水戦隊の司令官デーニッツは、真っ先にアメリカ東海岸への攻撃を思案した。戦争の準備が整い、警戒が厳重になる前に東側からの奇襲だ。この作戦に大量のUボートを投入したかったのだが、ヒットラーはタンク(戦車)の製造を優先してUボートの製造を抑えた。また北アフリカ戦線に協力するため、ジブラルタルと地中海に全Uボートを集中させられた。
 ドイツは戦略を大きく誤った。第二次大戦で連合軍にとって最も脅威だったのは、V2ロケットでもティーガー(タイガー)戦車でもなく、Uボートだった。戦後チャーチルが言っている。「私が本当に怖れたのはUボートの脅威だけである。」Uボートが大西洋で暴れまくり、連合軍の船舶の製造量を上回る損害を与えた数カ月がもう少し続いていれば、英国はドイツに屈服していただろう。水を断てば植物は枯れる。石油が無ければ戦争は続けられない。デーニッツがやっと都合をつけたのは旧型のUボート5隻に過ぎなかったが、この5隻が上げた戦果が凄い。

Uボートは日本の伊号潜水艦に比べて小さい。アメリカのガトー級、日本の伊号潜水艦と比較してみよう。

          全長  全幅 潜水深度 乗組員   最大速度     航続距離
Uボート(IXC型) 76.8m 6.8m 230m 44(内士官4) 水上18.3kt,水中7.3kt 水上10ktで13,540海里、水中4ktで63海里
          兵装 魚雷発射管(艦首4,艦尾2,搭載22本)、105mm単装砲x1、複数の対空機関砲。
ガトー級(アメリカ) 95m 8.2m 90m 80名程度  水上20.75kt,水中8.75kt 水上20.75ktで11,800海里、水中2ktで96海里
          兵装 魚雷発射管(艦首6,艦尾4,搭載24本)、3インチ(76mm)砲x1, 20mm機関砲x2
伊号五十八     106.7m 9.3m 100m? 94名   水上17.7kt,水中6.5kt 水上16ktで21,000海里、水中3ktで194km
兵装 (魚雷発射管6,搭載19本)、25mm連装機銃x1、水上偵察機x1

*参考:大戦末期、連合軍の進化した対潜部隊とレーダーの高性能化によって、Uボートは出撃の度に沈められ出した。最早水上航行では生き残れない。そこでドイツが開発したのが、UボートXXI型である。このUボートは水中で17.5kt(ノット)という驚異的なスピードを出した。118隻建造されたが出現が遅過ぎて、戦果はほとんど無かった。優秀なUボート乗りは皆海の底だったから、訓練から始めなければならない。魚雷発射管は艦首に6門が集中し、ソナーからのデータを電気信号で解析するので、潜望鏡を使わなくも攻撃出来る。魚雷の再装てんは10分で可能。あと半年早く出来ていれば、大西洋は再び地獄と化した。

*Uボートとは、ドイツ語のUnterseeboot(ウンターゼーボート、水の下の船)の略語。第一次大戦では約300隻が建造され、商船5,300隻を撃沈した。(凄い戦果だ。)第二次大戦では1,131隻が建造され、終戦までに商船約3,000隻、空母2隻、戦艦2隻を撃沈したが、849隻のUボートが海底に沈んだ。Uボート乗組員の死傷率は実に63%、捕虜を含めると73%になる。ドイツ軍でこれほどの損害を出した部隊は他にない。第二次大戦の最期の5ヶ月間、連合国商船の損失は単独航行の46隻のみで、Uボートは151隻が撃沈された。

 さてUボートが潜水艦基地、フランスのロリアンを出てニューヨーク沖に到着するには、水上航行をメインに燃料効率の良いスピードで22日かかる。東海岸で作戦に使える日数は、帰りの燃料を考慮すると9B級なら6~7日、9C級で15日だ。日本の伊号潜水艦ならもっとずっと長く活動が出来るが、図体がでかくて発生音の大きい伊号では、対潜水艦戦術の発展した大西洋で生き残ることは難しい。潜水艦戦で活躍した国は第一次大戦でドイツ、第二次大戦ではドイツ、アメリカ、日本だ。手ひどくやられたのが英国と日本、ぐっと開いて米国だった。

 日本軍はバカだ。子供っぽい。油を断たれそうになって始めた戦争なのに、敵の油を断つことを考えない。真珠湾で据え物の石油タンク群を攻撃しなかった。カブト首(戦艦、空母)を獲ることばかり考えている。敵のばかりか、味方の輜重隊を軽視する。古来から勝つ戦は、敵の貯蔵庫や輸送隊を奪ったり焼き払ったりするものなのに。昔なら猪武者として軽く扱われただろう。猪武者も必要だが、猪が軍を率いることはない。日本の潜水艦は戦闘艦を沈めなければ評価されないので、輸送船狩りに消極的だった。潜水艦の使い方が間違っている。潜水艦はもともと通商破壊に使うものだ。もっとも伊号の諸元を見ると、商船狩りには向いていないのかもしれない。小さいのにUボートの搭載魚雷は多い。砲の口径も大きい。
 太平洋戦争で日本のタンカー、輸送船はアメリカの潜水艦にことごとくやられ、日本は油を断たれた。ついでのように空母も戦艦も沈められた。しかし真珠湾攻撃では何の戦果もなかった伊号潜水艦9隻は、12/8の後、アメリカの西海岸に散って通商破壊戦を展開した。その結果、タンカーや貨物船を5隻撃沈、5隻大破した(総トン数6万4,669トン)。その後も伊17が浮上してカリフォルニアの石油製油所へ砲撃するなど暴れた。
 また伊25は搭載していた水上機を飛ばしてオレゴン州の森林地帯に焼夷弾を落とした。そして最後は風船爆弾。これは多少の山火事は起こしたようだが、下手をすると敵に笑われる。

 話をドラムビート作戦に戻す。時化の大西洋を渡ってきたUボートが1942年1月、ニューヨークの沖で見たものは、平時に変わらない軽薄でゴージャスなアメリカだった。航空機の哨戒はほとんど無く、警戒の戦闘艦は見当たらない。海岸線は電燈が一直線に点灯し、ヘッドライトを点けた車が行き交っている。海岸沿いの遊園地、コニーアイランドの観覧車のイルミネーションが輝き、客の歓声が聞こえてきそうだ。港の灯台はまぶしく海面を照らし、獲物のタンカーや貨物船が陸からの光にシルエットを浮き立たせているが、自身も船外灯を煌々と灯している。
 過酷な戦闘に慣れ、今回もそれを覚悟してきたUボートの乗組員は、受信したラジオから流れるジャズを聞いてあっけにとられた。本当に戦争をやっているのか。アメリカ東海岸の資料は乏しく、パリの図書館から持ち出した観光ガイドを渡されていたが、そんなものはいらない。目の前には無防備な獲物が行き交っている。この最初のドラムビート作戦に参加したUボートはラッキーだ。戦果は15万693トン、24隻を沈めてUボートの損害は皆無だった。作戦中、魚雷の不発や異常(手前で爆発したり、深く沈んだり、海面に飛び出したり)が頻発した。これが無ければさらに戦果が上がっていた。魚雷を撃ち尽くしたUボートは、帰りがけに浮上して砲だけで貨物船を撃沈している。この戦果は1940年10月、8隻のUボートが集まり(群狼作戦)、夜間交互に護送船団を攻撃して15万2,000トン沈めたのと匹敵する。

 ではアメリカは全くフイをつかれたのか。それがそうとも言えないのだ。ドイツ軍の暗号を解読していた英国情報部は、5隻のUボートがアメリカ東海岸に向かっている事を、到着予定日から艦長の名前と経歴までを米国に繰り返し連絡していた。ドイツ軍の暗号送受信器エニグマは、ローターを介して一回ごとに信号が変わる複雑なものだが、英軍は戦闘中に有毒ガスの発生で乗組員が飛び出したUボートを拿捕した。このUボートからエニグマ本体とローターの配列表を入手したので、ドイツ軍の通信は筒抜けになった。その後大西洋に散らばってUボートに燃料や魚雷を洋上で渡していた、乳牛と呼ばれた補給船が9隻中8隻やられた。デーニッツは暗号の漏えいを疑い、エニグマのローターを二重にしたので、英軍は再び通信の解読が出来なくなった。しかしロリアンの港にUボートを誘導する部隊や、訓練学校が古い暗号システムを使っていたので、出入りの動きだけは追えた。これはドイツ軍の手落ちである。そして1年ほどして、再びUボートが拿捕されエニグマが再解読された。
 英軍は自国の潜水艦の性能から、Uボートの潜水深度は100mほどだろうと考えていたが、拿捕したUボートを試験したところ楽に200mは潜れることが分かった。今までの爆雷攻撃がなかなか効果の上がらなかった原因はこれだ。それ以降は爆雷の深度設定を深くした。欧州の情報戦は激しい。ドイツ軍もアメリカ軍の暗号を解読していて、アフリカのロンメル軍団が一時これを利用して有利に戦った。

 アメリカ海軍は、真珠湾の衝撃から中々立ち直れず混乱が何カ月も続いた。結果から言えば、日本の連合艦隊はインド洋や豪州ではなく、時を置かずに再度ハワイを攻撃すれば良かった。混乱した人事の中から大西洋戦隊司令となったキング提督は、頭の固い男だった。当時米国海軍は大西洋など見向きもせず、太平洋に集中していたが、これは無理もない。しかしキングが自国の情報部を「ちっぽけなおもちゃ、遊び道具」と軽視したことで、大きなつけを払わされる。中々どうしてアメリカ情報部のオタク達は優秀だった。けれども上が取り上げないのでは仕方がない。またキングはUボートに対抗する小艦艇の活用を、そんなものは役に立たん、と意味もなく無視した。失われた物資と人命の大きさを考えると、犯罪的な頑固さ、無意味な愚劣さだ。
 大成功を収めた第一回のドラムビートに続いて、デーニッツ提督は第二回、三回と攻撃を仕掛けてきた。話を聞いて本来遠征に向かない小型のUボートの艦長達も、真水のタンクに燃料を詰めて参加を志願した。地中海やノルウェー沖北海での気の滅入る任務よりは、命を落としても夢の狩り場で自由に戦いたい。メキシコ湾が無警戒なのが分かり、湾内に入り込んで次々にタンカー、輸送船を沈めた。昼は海底に鎮座し、夜間浮上して獲物を襲う。獲物は船外灯を点けて行きかっている。
 アメリカ市民はハイウェイに車を停めて、目の前で貨物船が襲撃され燃え上がるのを眺めた。海岸に住む住人は、海岸に油や船の破片、焼け焦げた死体が毎日のように流れ着くのを目にした。「海軍はどこにいるんだ!」ではアメリカには反撃の手段が無かったのか?ところが、元々Uボート対策で集めた駆逐艦が25隻、何故か基地に留まりこの時期に不急の訓練を繰り返していた。航空機は、イギリスに渡すために倉庫にしまったままのB17やB24がゴロゴロしていた。
 民間のヨット協会や民間航空機の団体も、早くからUボートの発見に協力を申し出ていた。燃料欲しさだろう、と断ってきたのは海軍の方だ。高まる批判をかわすため、海軍は28隻のUボートの撃沈を発表した。しかし元々の攻撃は5隻だけだし、発表の時点で失われたUボートは一隻も無かった。2度目以降の作戦では流石に警戒が強まっていたが、戦域をカリブ海やメキシコ湾に拡大し、3月4日までに65隻(内タンカー27隻)を撃沈した。同じような比率で年内に損害が続くと、沿岸で運行しているタンカー320隻のうち125隻がなくなる計算だ。しかしそうはならなかった。

 イギリスが苦労して得たあらゆる忠告を受け入れず、小型哨戒艇や哨戒機を導入しないアメリカに腹を立てたチャーチルは、ルーズベルトにねじ込むとともに対潜トロール船24隻を、熟練した乗組員とともに派遣してきた。わずか9~11ノットの速力だが、彼らは優秀で小型艦は実に有効だった。小型ボート(カッター)がアメリカ水域で最初に撃沈されたUボート3隻の内2隻を仕留めている。
 航空機による哨戒網も構築され、Uボートは日中に浮上することが出来なくなってきた。海岸の灯火管制は限定的だったが、タンカーは夜間の航行を避け、小型の警戒船を伴うようになった。撃沈されるUボートが出始め、1942年夏までにドラムビート作戦は終了した。その後ドイツがアメリカ東海岸を襲撃することは無かった。遠い戦場に派遣するような余裕が無くなっていた。

*余談になるが、デーニッツは第一次大戦ではUボート艦長であった。彼は第二次大戦で、乃木将軍のように二人の息子を失っている。ドイツ海軍は全く政治的ではなく、ヒットラー暗殺計画にも無縁だった。ヒットラーは自殺する時に、数ある側近を選ばずデーニッツを後継者に選んだ。デーニッツはソビエト赤軍の暴行から国民を守るべく、西側諸国に正式に降伏する道を選んだ。しかし最後の総統になったため、戦後投獄されることになった。

 意外に思うかもしれないが、Uボートは滅多に潜水しない。Uボートは潜水する船ではなく、潜水を出来る船だった。攻撃は余程のことが無い限り、夜間浮上して行う。戦闘記録を見ると、5~600m時には400mまで接近して魚雷を打ち込んでいる。破損したタンカーから飛び散ったガソリンを浴びてそれが引火し、危険な目に遭ったりしている。通常貨物船には一発魚雷を打ち込み、攻撃を受けた船がSOSを無線で発したらすかさず無線室を狙って砲撃する。乗組員が救命ボートに乗り移り避難するのを待ち、後は砲撃で沈める。とにかく搭載魚雷を大事に使う。大型タンカーは一発の魚雷ではなかなか沈まない。相手が静止している時は、艦尾の魚雷を打ち込むことが多い。魚雷を使い果たしたら、砲撃だけで沈めることもしばしばだ。
 伊号潜水艦やガトー級に比べて2廻りも小さいUボートが、同数か上回る数の魚雷を搭載している。早く何本か打ち出してくれないと、寝る場所すらない。特に最初の頃は、生鮮食糧も満載している。Uボートの居住空間は、日米の潜水艦に比べても極端に悪い。乗組員はドイツでは給与も高く憧れの英雄だが、捕虜になると手ひどい扱いを受けた。Uボートが救命艇を機銃で撃つという話しが、故意にか広まっていたのだ。実際にはそんなことはしない。彼らのほとんどは、ナチス党員ではないし政治に興味も関心も無かった。

 ドラムビート作戦でも小さな貨物船を追いかけて捕まえ、撃沈した大型船の乗組員の救助を依頼している。陸に向かって砲撃すると、流れ弾が陸上の人に当るかもしれないと、わざわざ陸側(水深が浅くて危険)に廻って砲撃したりもした。そのために逃げ場を失い、危うく沈められるところだった。またアメリカはUボート狩りのおとり船〝Qシップ〟を3隻用意した。タンカーや貨物船に見せかけ、魚雷を受けるが沈まない。船内に浮き材を目一杯詰め込んでいるためだ。救命ボートを出して一隊が逃げ出す(シナリオに沿って)が、止めを刺しにUボートが近づくと、隠しておいた砲や機銃で仕留めるという作戦だ。2度目のドラムビートで一隻のUボートがQシップに遭い、機銃で一名が戦死したが、砲ともう一発の魚雷を浴びせて沈めている。他の2隻のQシップはついに会敵しなかった。この作戦では消極的すぎる。相手が来なければ勝負にならない。第一次大戦で活躍したドイツの仮装巡洋艦エムデンは、中立国の貨物船に化けて主にインド洋で、30隻を超える連合国の船舶を撃沈または拿捕した。最後は沈められたが、連合国はエムデン狩りに70隻もの軍艦を派遣している。エムデンの活躍はドイツだけでなく、敵国にまで称賛された。
 日本の潜水艦は潜水して攻撃したが、アメリカの潜水艦も主に夜間浮上攻撃によって、日本の輸送船団を仕留めた。暗い海で灰暗色の船体をちょこっとだけ出した潜水艦を見つけるのは至難だ。レーダーを持っていない日本の輸送船など、恰好の鴨だ。ただし夜光虫が多くいる海域では、航跡が線を引くので見つけやすい。ところでドラムビートで浅い海域に沈んだ多くのタンカーは、引き揚げられて再就航している。中にはもう一度別の海域でUボートに沈められたタンカーもある。少なくとも2隻はそうだった。

 映画〝Uボート〟では2,200m先から放射状に4本の魚雷を発射し直ぐに潜行し、海中で2発の命中音を聞いているが、実戦ではそんな撃ち方はあまりしなかった。一本一本の魚雷を大事に使っている。無線を発しない場合には、救命ボートの船乗りに船名を聞いている。また映画の中ではよく、乗組員がワーワーと怒鳴り合っていたが、生き残った元乗組員が映画を見て言った。「俺達ボートの中で大きな声を出したりはしなかったよ。」若者は猛り狂って戦ったのではなく、静かに淡々と戦い散っていった。北極海の冷たい海底から、アフリカ沿岸の暖かい海の底まで、800を超える鉄の棺に入ったままの若い水兵が、今も静かに眠っている。その中にはメキシコ湾やニューヨークの沖に横たわる者もいる。


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