
衝撃のヨン様フィーバー/平成の韓流名場面集1
日本で本格的な韓流ブームが起きてから15年になる。
この間、日本で韓流はどんな名場面をつくりだしてきたのだろうか。
それを振り返る連載の第1回目は、やはりこの人をはずしては成り立たない。
韓流ブームの担い手
『冬のソナタ』が韓国で放送されたのは2002年1月14日から3月19日まで。
それから1年4カ月遅れて、NHKのBSで『冬のソナタ』が始まった。
そのインパクトは強烈だった。韓国にまるで興味がなかった人にとって、
韓国ドラマは未知の世界。それがかえって視聴者に新鮮な驚きをもたらした。
その驚きの先に待っていたのは、1人の魅惑的な俳優が
日本の多くの女性のハートを射抜いたという事実だった。
ペ・ヨンジュンは韓流ブームの担い手となり、
“ヨン様”という敬称で呼ばれるほどの存在になった。
あまりの人気に、NHKは『冬のソナタ』を地上波で放送することを決定し、
2004年4月から総合テレビで放送された。
それに合わせてペ・ヨンジュンが4月3日に初来日した。
5000人を越す人たちが羽田空港に押しかけた。
その映像はテレビニュースを通して全国に伝わった。
彼の来日イベントは渋谷公会堂(当時)で行なわれた。
会場は大変な熱気に包まれた。
本人も心底驚いただろうが、謙虚でファンを大事にする姿勢は
日本でさらなる信頼と愛情を受けた。
「いつも誠実に生き、最善を尽くしたい」
慎み深くそう語るペ・ヨンジュンは、今までの俳優の概念を越えるスターだった。
彼の最高の魅力は、まさにその真摯な生き方であり、
心の豊かさからほとばしる人間性であった。
ヨン様熱風
初来日の様子を『月刊女性朝鮮』は2004年5月号で次のように伝えていた。
「日本でペ・ヨンジュンの人気が恐るべき威力をもっていることが、
今度の日本訪問を通して証明された。
特に、中年女性こそが、ペ・ヨンジュンの一番根強い支持基盤だ。
この年齢層の支持は、10代の少女たちの場合とは明らかに違う。
凄い購買力をもち、テレビのチャンネル権を掌握し、
一度ファンになればその気持ちを長く継続する。
おかげで、ペ・ヨンジュン人気にあやかって、出演ドラマ、映画、
アクセサリーなどが売り上げを大幅にあげている。
今後も『ヨン様熱風』がそう簡単にはやみそうにない状況である」
その言葉どおり、ペ・ヨンジュンの人気は別格となった。
なお、初めて来日したときの羽田空港で、ペ・ヨンジュンは非常に印象的な光景を見た。
からだを張ってファンを制する警備の人たちが、
困難な体勢の中でも腰を低くしてファンの視線を遮らないようにしていたことだ。
それは韓国ではなかなか見られない光景で、
日本人の気配りの深さに本当に感心する思いだった。
百年に1人の……
2004年11月25日、ペ・ヨンジュンは二度目の公式来日を果たした。
そのときも成田空港がファンによって埋めつくされた。
滞在中にファンの転倒事故もあったのだが、
ペ・ヨンジュンは誠実な謝罪会見を開いて深謝している。
ペ・ヨンジュンは、それまでの日本にまったくいないタイプの俳優だった。
存在そのものが、先入観が及ばない神秘の世界を旅する男性のように思えた。
そして、彼に惹かれた多くの女性たちが取った次の一手には度肝を抜かれた。
彼女たちは、自ら積極的に行動を始めたのだ。
追っかけをする、韓国のロケ地を訪ねる、韓国語を習い始める、
情報を得るためにパソコンを覚える、
ファン同士でオフ会を数多く開いて交流する……など、
自ら楽しみながら新しいことにチャレンジした。
日本にこれほどの影響力を及ぼした人は、それまでの日韓の歴史に1人もいなかった。
まさに「百年に1人のカリスマ」だった。