みゅうの細腕繁盛記

コブクロ、馬場さん、ナオトが大好き♪これからの人生、更に楽しく生きたいと願います。初めての方のコメント大歓迎です!!

二人だけのオフ会♪

2007年09月28日 | オフ会
今日、私はある方と二人だけのオフ会をしてきた。
遡れば、6月末、その方からブログにメールを頂いていた。
私はメールチェックなんてしていなかったから、最近まで実は気づかなかった。
ふと、何気なくメールチェックをしてみる気になって、つついていたら、何と
3通のメールが届いていた。
もう、びっくり!
一つは、もえちゃんからの温かいメール。
もう一つは、るんちゃんからの心温まるグリーティングカード。
私はそれらに気づかず、お返事もしていなかった。
本当にごめんなさい。

そこで、慌てて過去を遡ってみた。
あった!!
それは6月の末に頂いたメールだった。
以前もブログに2回ほど書き込みして下さった、同じ市内にお住まいの
「ごましおらーめん」さんからのものだった。
私は急いでお返事を送った。
まずは自分の非礼を詫びた。
3ヶ月遅れの返事。
彼女は怒るどころか、私からの返事を喜んで下さった。
心の広い方だ。
数回メールで楽しく会話をし、翌日には失礼かと思ったが、私の方から
お会いしたい旨を伝えた。
彼女は快く引き受けて下さり、早速お互いの日程の調節をし、待ち合わせ
場所と、互いの特徴を告げた。
彼女は「背が低くて、ぽっちゃり」とご自分のことを仰った。
私は「背が高くてひょろっとしてる」と自分の特徴を告げた。
すると、彼女から
「コブクロ女バージョン♪」と笑えるお返事がきた。

会うのは1週間後。何だか急に緊張してきた。
だが、その頃、掲示板のことで考えるところがあった私は、是非先輩コブファミ
さんのお話を聞いてみたかった。

そして、今日それが実現した。
私は待ち合わせ時間より数分前に着いたが、彼女はすでに待ってくれていた。
私達は不思議とお互いが、すぐに分かり、手を振りながら駆け寄った。

彼女は聞くと、私より5つ年下だった。お肌の張りが違う。笑
ファンになったのは、「太陽」の頃、2002年からということ。
息子さんとある学園祭に行って、そこに出演していたコブクロにすぐにノックアウト
されたようだ。
過去行ったライブの記録を見せて頂いた。
びっしり書かれた記録は数え切れない。
席もどこだったか記録されている。すごーい!!
3人のお子さんが皆コブクロファンなので、毎回4人分で大出費よ!と嬉しそうに
話して下さった。
話は初対面とは思えないほど、盛りあがる。
子供の年令も比較的近い為、教育費を嘆いたり、でも、コブクロの為に使うお金は
別物。唯一の楽しみであり、癒しであることなどを語った。

話は掲示板に及んだ。
今は、ほとんど書き込みはしない。読むのも斜め読み、とのこと。
ファンが増えたせいか、以前の掲示板とは明らかに違う、と仰った。
「書き込みするのが恐い」とも・・・。
書き込む前に、一度メモしてみて、これが誰をも傷つけないか、考えないといけない
、そう話された。
そういう意味では、もう掲示板は卒業した・・・と。
私は深く考えさせられた。

彼女は私にプレゼントを下さった。
何かは具体的には書けないが、超お宝映像だ♪
このお陰で、これから数日、私は寝不足になるだろう。
でも、嬉しい寝不足♪
それと、チケットゲットの秘策。
彼女にも、コブクロ仲間のネットワークがある。
皆で協力し合って、ゲットするらしい。

お二人との握手会も経験されている。
緊張したが、とにかく目をしっかり見つめ、思いを告げたとのこと。
小渕君は前髪の奥から覗く目をしっかり見つめたそうだ。
黒ちゃんには「大好きです!」と愛の告白をしたそう♪
羨ましい~~~~~!!
でも、5年間、一途に思いつづけ、労力とお金をかけてきている。
他のことは我慢してでも。
その熱い思いは圧倒される。でも、分かる~~~!!

今は、馬場さんの歌を聴いているそうだ。
「風に吹かれて」に向けて。
馬場さんのライブにも行ってきたとのこと。

私達はまた会うことを約束して別れた。
帰ってから、すぐにお礼のメールをした。
彼女のお返事が可笑しかった。
「私、黒ちゃんの喉仏が好きなんだ~」
どうやら、喉仏フェチのようだ。爆笑(嘘よ~。ごましおちゃん♪)

今日は、本当に楽しい有意義な一日となった。
サシオフ・・・悪くないかも♪

素敵な一日

2007年09月23日 | 仕事
昨日は、2階の大切なお客様の結婚式だった。

2階の店・・・主人がサラリーマンを辞めて、実家に帰り家屋の一部を改装してオープンしたもの。
あれから、26年。
私と結婚して今年で25年。
その中、店で結ばれたカップルもたぶん同じ数くらい。
26組はいるだろう。
そのうち2回は、若くして私達夫婦が仲人もさせて頂いた。
披露宴に招待される時、大抵は主人が代表して出席する。

だが、今回は主人ではなく、私に招待状が届いた。
送り主は、ウチのお客様で、6年近い付き合いのある女性からだった。
彼女は30代後半に差しかかっていた。
私は、彼女を何としてもウチの店からお嫁に出したかった。
だけど、今回それは叶わなかった。
彼女は自分の趣味の仲間と結ばれた。
今日までの長い付き合いの中、当然、ウチの店の中でも彼女の恋愛はあった。
しかし、どれも結婚には結びつかなかった。

彼女と私は10歳ほど年令が離れている。
私達の間には、客と店の人間の関係を超えて、親子?姉妹?女友達・・・そんな
仲が構築されていた。
ひとつの恋が破れた・・・・そんな夜は朝方まで彼女の涙に付き合った。
去年は一緒にサンマリにコブクロを観に行った

何年かぶりに招待される披露宴は、さまざまな演出がほどこされていた。
受け付けまでの間、ウエイティングルームに通され自由に飲み物が頼める。
そして、受け付け終了後、広場に出ると、バルーンを一杯持った新郎新婦。
2人から招待客に一つ一つバルーンが手渡され、皆が揃ったところで掛け声と
共にバルーンを一斉に空へと放つ。
空一面に広がっていく色とりどりのバルーン。
2人の幸せな未来を連想させた。

白いウエディングドレスに包まれた彼女は、いつもに増して美しく輝いていた。
初めてお会いする新郎。素朴そうで、誠実な性格が滲み出ている。
私は自分のことのように幸せな気分に浸った。

そして、披露宴の始まり。
沢山の余興があり、楽しい時間が過ぎていく。
新郎側の友達が唄った曲はコブクロの「永遠にともに」
新婦側の友達は小田和正の「こころ」
どちらも胸に響き、熱いものが込み上げる。
お料理も素敵で、目と舌を楽しませてくれた。
素敵な時間は時を刻むのが早い。
いよいよ、エンディングが近づいていた。
昔なら、キャンドルサービス。
だが、今回はキャンドルリレーと言って、各テーブルから一人づつ代表して
自分のテーブルの前にある、薔薇の形の小さなキャンドルを持って、横並び
に整列する。端の一人のキャンドルに灯が灯される。
それを、お隣に、お隣に・・・と繋いでいく。
代表者は自分の席に戻り、次は自分のテーブルの人達が隣へ隣へと繋ぐ。
全員のキャンドルに灯が灯り、薄暗い会場が幻想的な空気に包まれる。
そして、新郎新婦、各々の代表が彼等のキャンドルに灯を点ける。

「新郎代表0000さん、新婦代表、いつもお世話になっている・・・・」
何とそこで、私の名前が呼ばれた。
「えっ!?」私は驚きを隠せない。そして、にくい演出をしてくれた彼女に
嬉しさで一杯の気持ちになった。
私は席を立ち、彼女の元に近づき「ありがとう。すごく綺麗よ」と囁いた。
私の灯が彼女のキャンドルに手渡され、全ての灯が灯った後、皆で掛け声と
ともに、一斉に灯を消した。
会場が連帯感に包まれていく。

その後、彼女からご両親への挨拶、両家を代表して彼のお父様のご挨拶。
最後は締めくくりで、彼の挨拶。
こうして披露宴は滞りなく終了した。

その間、私は各シーンで何度も目頭を熱くした。
本当に素晴らしい宴で、いつまでも余韻が残った。
最後、両家のご両親と新郎新婦の見送りを受け、会場を後にした。

彼女の人生・・・きっとこれから、色んなことが待ちうけているだろう。
だが、きっと2人で支え合っていくことだろう。
どうか、どうか幸せになって欲しい。

昨日は私にとっても素敵な1日となった。
ありがとう!感謝の気持ちで一杯だ。
人間関係・・・なんて素敵だろう。

ふと、蕾組のことを考えた。
今回は、本当に皆に支えられた。
皆がいなかったら、私はパソコンを開くことは、もうなかったかもしれない。
まだ、お会いしたこともない私達。
いつしか、友情で結ばれている。
なんて素敵!
私は、どんなことがあっても、やはり人との関わりを大切にしたい。
そして、信じることをやめない。
そう誓った。



今日は愚痴大会です♪

2007年09月01日 | 家族
やっと涼しい風が時折感じられ、あの酷暑も終わりを告げましたね。
皆さん、元気でお過ごしですか?

今日は思いきり愚痴っちゃいます。
若いお嬢さん方は読まないほうがいいかも!

主人の母、認知症が発覚して一年。
あまりに物忘れが酷いので、義姉の勧めで受診したのがきっかけ。
長谷川式という認知度を計るテストで、義母は初期の認知症だということが
分かった。
そして、アリセプトというアルツハイマーに効く薬が認知症にも効果があるという
ことで、処方して頂いた。
その後、すぐに介護保険を申請し、要支援1に認定され、現在週に一度介護施設
に通っている。

その後も定期的に長谷川式の検査を受けているが、特に進行していないとのこと。
だが、義母は確実に日々おかしくなっている。
長谷川式・・・本当に正確なのか、少し疑問。
最近の義母、今のことを今忘れる状態。
だから、さっきのことを何度も私に聞く毎日。
薬は、ビタミン剤以外は全て私が管理しているが、最近大変な事が発覚した。
義母は以前、眠れない日があると言って、いつも腰痛で通っている整形外科で
睡眠導入剤を処方してもらった。
つい最近も「昨日眠れなかったの」と言うので、「導入剤は頂いてるんでしょ?」
と私が聞くと「今はもう貰ってない」との返事。

私もうっかりしていた。
義母の言葉を信じ、整形外科で処方されているのはビタミン剤だけだと思って
いた。
この夏は酷暑だったこともあり、義母も「しんどい、しんどい」が口癖のように
毎日何度も私に訴える。呆け方も、ちょっと尋常じゃない。暑さのせいだけじゃ
なさそうな気がしていた。
そして、義母が留守の時、整形外科の薬を確認した。
なんと!!毎食後と書かれた袋の中に、睡眠導入剤が入っていたのだ。
私は慌てて医院に確認した。
睡眠導入剤は毎回処方されていた。もちろん袋は別にして。
それを義母は全部同じ袋に入れてしまっていたのだ。

この夏、「頭がぼんやりして、自分の頭じゃないみたい」と、いつも言っていた。
そりゃそうだ。昼間から眠剤を飲んでいたのだから!
そうとは知らず、脳外科にも連れて行った。
当然、異常なし。これも当たり前。
義母がお出かけから帰ってきて、私は早速、薬の袋の中身を義母に見せた。
「これは何の薬か分かってる?」と聞いたら「さぁ、何かしら?」
「いつも飲んでいたの?」と聞くと「そうね、忘れる時もあるけど」とのこと。
「お母さん、これ睡眠導入剤ですよ。これを朝や昼に飲んでいたってことですよ」
そういう私に、事の重大さが分からないのか「そう?」と言うだけ。
早速取り上げる私。
「頭がいつもぼんやりしてたのは、この薬を飲んでいたからよ」
そう言っても「そうかしらねぇ」
すでに、自分の行動も認識できなければ、事の重大さもピンとこないようだ。
転んで怪我をしなかったのは奇跡のようなもの。
この義母、今後はどうなっていくんだろう・・・。

私が義母と同居を始めたのは24年前。舅が亡くなり、一人で寂しいと訴える
義母が可哀想で、結婚半年目に同居に踏み切った。
同居一日目に言われた言葉。
「みゅうさん、あなたは私の面倒をみる義務があるのよ。この土地をあげるんだから」
私は、直後に同居を後悔した。
妊娠中は「妊婦はトイレの掃除をしたら綺麗な子が産まれるのよ」と言い、産まれ
たら子育てに干渉する。
子供達に用意したお弁当を開き「もう少し緑が欲しいわね」と言ったり。
受験の時は、こちらもピリピリしているのに、やはり口出しをする。
24年間、語ればキリがないほどの出来事の中で、私の中には義母に対して頑な
で冷ややかな確執ができていた。

なのに、どうだろう。
あんなにプライドが高く、美しく、聡明だった人が、今は私なくしては何もできない。
「みゅうさん、あなたがいないと私は死んでしまうわ」
すっかり弱弱しくなった義母は、私にそう言う。
私の中の冷たい氷は、完全に溶けたとは言えないが、確実に私だけを頼りに生き
ている義母を見ていると、手を差し伸ばさざるを得ない。
これも、私に与えられた試練なのか・・・。
神様は私を試そうとなさっているのか・・・。
最近はそんなことを考える。
そして、今日もまた、義母の食卓に今晩の薬を用意してあげた。
地獄はまだ始まったばかりだろう・・・。