みゅうの細腕繁盛記

コブクロ、馬場さん、ナオトが大好き♪これからの人生、更に楽しく生きたいと願います。初めての方のコメント大歓迎です!!

愛する私の店

2007年06月24日 | 仕事
昨日から、主人は店の常連10人近くと沖縄に行っている。仕入れを兼ねて大好きなダイビングもその目的のひとつだ。毎年沖縄の梅雨明けを待って、沖縄に行き、沢山の食材を仕入れ、7月の1ヶ月間だけ沖縄フェアをやっている。今年で10年目。
一人留守番の私は、いつも通り1階のお好み焼き屋をアルバイトと二人で閉店までやると、疲れた体に渇を入れて、2階の店を開けた。
何故なら、待ってくれるお客がいるからだ。主人が沖縄で私一人留守番と知っていて、何人かの常連達が「みゅうさん、一人でしょ?行くからね~!」と言ってくれた。皆、もううちの娘達と年齢が近い子ばかり。それでも、うちの店を愛して集まってきてくれる。
「開店は10時になっちゃうよ~」それでも行くよ~!と言ってくれる。幸せなことだ。

1階の店は義母が作りあげた店だ。私は2代目として、いまだに正直愛着を感じる事ができない。でも、生活のためだ!頑張っている。
私と主人の2階の店。これは何て例えたらいいだろう・・・。スナックでもない。バーでもない。ある常連が面白い表現をした。「授業が終った後のクラブの部室みたい」だと。
そうかもしれないと私も思う。新しい客が来る。古くからの客は気持ちよく彼らを迎え入れる。仲間にしてしまう。そんな店だから、なんと結婚したカップルはすでに30組近くになる。この秋も常連だった女の子の結婚式に招待をされている。
何を隠そう、主人と私が第1号だ。私は、かつてこの店の客だったのだ。そして、独身だったマスターは客に手を出したというわけだ!笑
普通のOLだった私の人生は、そこから大きく変わった。
嫌なことも、苦しいことも一杯あった。やむなく客を追い返したことも数知れず。お尻を触られた時は激怒して土下座騒ぎにもなった。うちはそんな店ではない。

そして、昨夜10時を過ぎた頃から、次々と女の子から男の子からやって来て、10人座れるカウンターはすぐに一杯になった。テーブル席も3つある。でも、誰もがカウンターに座りたい連中だ。皆、楽しそうに会話が弾んでいる。私はそれを幸せな気持ちで見守る。
そこへ、古くからの常連がやって来た。かつては自分達がデンと居座っていた場所を、今は新しい常連が占めている。彼はカウンターの片隅に座り「新しい客で盛り上がっているね」と微笑んだ。自分達が青春時代の1ページとして刻まれた店が、また新しい客によって繁栄していることを心から喜んでくれている様子だった。
私は、ふとコブクロの掲示板みたい・・・・と思った。新しい人がどんどん増える。それを温かい目で見守る古い客。そこは、かつて彼等と私達が築いてきたものと何ら変わりはない。確かにジェネレーションギャップはある。でも、うちの店を愛してくれる気持ちは皆同じ。
何時の間にか新旧入り乱れて会話が弾み出した。
この店をやってきて良かったと思う。辛かった記憶なんて吹っ飛ぶ瞬間だ。
さんざん盛りあがり、時計を見ると1時が過ぎていた。
それぞれが、私の体を気遣い席を立ち始めた。

店が終わり、お風呂に入り、また1杯やりつつコブクロのDVDを見ながら幸せな気分に浸っていると、時計は3時をまわっていた。そろそろ寝なくちゃ。明日も仕事だ。頑張るぞ!と自分につぶやき、私は心地よさに包まれながら床についた。

ライブ行って来ました~!!!

2007年06月18日 | コブクロ
昨日、ツアー2日目。グリーンアリーナ行って来ました!!
でも、詳細は避けます。まだ、これからの人もいるので。
どうしても知りたい方はドットコムへ行こう!!
ただ、少しだけ触れます。
新曲満載です!だから、しっかり集中して聴かないといけません。
でも、新旧の方が楽しめる曲もしっかりリストに入っています。
行かれる方、お楽しみに~♪

と、いうわけで今日は昨日の出来事について話したいと思います。
私とツアーを共にしてくれる友達、彼女は特にコブクロのファンというわけではありません。ただ、音楽をこよなく愛する人です。大学で4年間音楽を学んだ人ですから。
私は彼女との待ち合わせよりも2時間先にアリーナに向かいました。
何故ならツアートラックにスリスリする為です!笑
そこは、すでにファンで一杯でした。私はあらゆる角度から写メを取り、じーっと眺め、
あ~、いよいよ来たなぁと、しみじみ感慨に耽っていました。
そこへ3人組の女性達からシャッターを押してもらえませんか?と頼まれ、ツアートラックをバックに快くシャッターを切り、同時に私もお願いしました。
「どちらからお見えになったんですか?」と声をかけたら、何と京都!「ようこそ、はるばる広島へ!」と言いました。「お席は?」と聞くと「何とアリーナの前から3番目なんですよ~!」とはしゃぐ彼女達!「きゃ~!凄いですね~!汗飛んでくるかも!」と会話が弾みました!やっぱりコブクロファンって楽しい♪
その後、いつもの「どこから来ましたか~?」の時、前から3番目の3人組が「京都~!」と叫んでいるのが、私のスタンド席からもはっきりと見え、とても微笑ましかったです。
ライブは超盛り上がり、感動と興奮も冷めぬまま、さあ次はまりちゃんとの対面!
待ち合わせ場所に行くと、お母様らしき方とお兄さんと可愛い少女が待っていてくれて
私は一目でまりちゃんと分かりました!
「まりちゃん?」と声をかけると、少しはにかんだように「はい」って応えてくれました。
まずは、お隣にいらっしゃる優しそうなお母様にご挨拶。それから、私の友達に頼んで記念のツーショット写メを!すると、彼女の横でまりちゃんのお兄ちゃんも私達のツーショットを撮ってくれていました!(ん~<可愛い♪)そして、私は素敵なご家族に別れを告げました。別れ際、小さな声で「またブログに行きますね!」とまりちゃんが言ってくれました。(ん~、これも可愛い♪)

帰り路、音楽通の私の友達が「ねえ、みゅうちゃん、今日小渕さん、何本のギターを使ったか分かる?8本よ!最初がこれで、次はこれで・・・・」と説明を聞いたけど、チンプンカンプンな私。「彼のギターの腕は半端じゃないわ」と彼女。自分のことのように喜ぶ変な私♪さすが、楽器にも詳しい私の素敵な友達♪

そういえば、入り口に花が届いていました!ワーナーミュージックとカルビーから。
そこで私の友達「来年はヤマダ電器も送らなきゃね!」と。これはまりちゃんには、すぐに分かると思いますが、昨日は何故か、ウエーブの後の「コブクロ ドットコム!」が、「やま~だでんき!」だったのです。黒ちゃん笑える~!これも知りたい方は、ドットコムのツアー掲示板へ行こう!

こうして、私の熱い1日は終わりました。
感想は「コブクロ最高!!!」この一言に尽きます。
今は、祭りの後のむなしさに少々襲われています。
次は、いつ会えるんだろう・・・・・、。

コブクロ!「Way Back to Tomorrow」 DVD!!

2007年06月14日 | コブクロ
皆さ~ん、もう見ましたか?
私は2日かけて、やっと副音声まで辿りつきました!
まだの方は、読まないでね。後のお楽しみがなくなるから!笑

いや~去年のグリーンアリーナでの記憶が鮮明に蘇りました。
まさにコブクロ最高!!

副音声では笑いすぎて涙が出ちゃった!
あんなおふざけな副音声。しかも小渕君の大きなくしゃみ!おい!ビックリするだろ!
って思わず、突っ込みたくなりました。
が、最後の締めの言葉はさすがだなって。
ちょっと引用させてもらいます。過去を振り返った小渕君の言葉です。
「どの思いもぶれてない。その思いも、その時全力で考えてきたことだから。嘘じゃないって言い切れるんです。これって大きなことだと思います。80点かもしれないけど、100点だと思った時は嘘じゃない。それが幼ければ幼くていいし、背伸びしていたら背伸びでもいい。でも、嘘じゃないということが大事なことなんだと思うのです。」

私、人生にも繋がるなぁって思いました。
私もそうして生きてきたな・・・って。
今、思えば80点どころか、マイナス80点だったと思うこともあったけど、その時の自分は100点だと信じてやってきたんですね。
それで、いいんじゃないかな、って思う。

そうやって、いくつになっても自分を冷静に振り帰る気持ち。反省する心。
そして、次はもっともっと頑張ろうって思えたら、それでいいんじゃないかと。
私の人生は前向きですよ~!
はい!今日もお仕事真面目に頑張りま~す!笑

娘の「はじめてのおつかい」

2007年06月10日 | 家族
ドットコムでも一度チラリと書き込んだことがあったが、ウチの次女まりは、かの有名な「はじめてのおつかい」に出たことがある。
もう15年も前の話だ。あれは娘が4才になったばかりの春、突然お話を頂いた。確か、あの番組は一般公募はしていないのだろう。長女と同じピアノ教室に通うお母様から、
知り合いにスタッフがいるということで申し込み書を頂いたことから始まった。
私達夫婦も大好きな番組だ。夫婦は喜んで申し込み書類を書いた。
書類は何故か一次通過したらしい。しばらくして、番組のプロデューサーとスタッフの二人が家庭訪問に来られた。まず、親に「どんなおつかいをさせたいか?」という質問があり、いきなり主人の口から飛び出したのが「僕の親父の出身であるOO島へフェリーでおつかいさせたい」だった。私は内心「え?!そんな・・・船から間違って落ちたらどうするの?」そんな不安がよぎった。スタッフは「私達は自分の身を呈してお子さんを守ります。ですが、不慮の出来事が起こった場合の責任は取れません」と言った。主人は「分かりました」とあっさり同意したのだった。
何故か、2次審査も通過し、約10名近い子供達を撮影し、その中から番組には2名だけ起用させてもらうということだった。

そして迎えた撮影日。まりは何も知らない。そして本当に生まれてはじめてのおつかい
を大人達の勝手な意向でしなければならない日を迎えた。
まず、店で焼いたお好み焼きを出前し、その後フェリーに乗り釣りに出かけたお父さんにお弁当を届けるという設定だ。
朝早くから、カメラさん、照明さん、その他子供を見守るスタッフ等、10数名が店に集結した。何も知らないまりは、二階の居間で一人子供番組を良い子で見ていた。
さぁ、全ての準備が整い私はまりを「ねえ、店手伝って」と声をかけた。
当時、何でも自分でやりたがったまりは嬉しそうにそそくさと店に出てきた。お客のふりをして待機しているのは皆スタッフだ。何にも知らず、小さな手で皆におしぼりを配る娘。健気~。そこからは私と娘とのやり取り次第。勝負がかかっている!「行かない!」と駄々をこねたら、そこで終了。「まり、お父さんね、島に釣りに行ってるの。母さん忙しいからお弁当届けてくれないかなぁ?」何度か墓参りに行った島であったが、まさか一人でなんて予想もしてなかっただろう。一瞬、娘の顔が曇った。すかさず奥の手登場。「じゃあ、お姉ちゃんに頼もうかな」娘は当時、何でもお姉ちゃんのようにしたかった、丁度そんな時期だったのだ。「まりが行く!」内心安堵しながらも、やはり不安は募る。私は信号を渡る時の注意点などを何度も言い聞かせ、娘のリュックに二人分のお弁当と、右手には出前のお好み焼きを持たせた。
「行ってきまーす!」娘が店を出た途端、それまで客のふりしていたスタッフが一斉に店を飛び出した。その後のことは、私もテレビの放映でしか見ていない。娘は出前先で600円のお好み焼きを「ひゃっぴゃく円」と言って800円頂いたり、島でもとんちんかんな事を繰り返し、面白さを充分に発揮したらしい。
そして、帰りの船の中で初めて緊張の糸が切れたのか、突然「お父さんがいない。まり寂しいよ~」と泣き出した。それは、テレビを見ている人の涙を誘ったらしい。
運良くテレビで放映が決まった娘のおつかい。「あれから12年・・・」にも高校生になったばかりの時、撮影して放映して頂いた。
娘が初めてテレビに映った自分の姿を見た時、すごく複雑な顔をし、それから数年、彼女の中でそれは封印されてしまった。自分が泣いている姿を皆に見せることとなったのが娘には耐えがたいものとなったらしい。封印が溶けたのは、小学校の高学年だったかな。今では、娘にとっても笑える記憶だ。面白がって、ビデオを友達にも貸したりしている。
私達には、決してみることのできない子供のはじめてのおつかいの姿を、記録として残せてもらえたこと。何にも替え難い素敵な思い出となった。今でも、それは貴重な財産だ。

鬱・・・そして、コブクロとの出会い

2007年06月06日 | コブクロ
鬱、それは突然ではなく、少しずつ兆項が現れていた。
一昨年の正月、従業員が倒れ、姑も老いが目立ち、物忘れが日ごと増える中
私達夫婦は突然、これまで姑が従業員とやっていたお好み焼き屋もやらざる
を得なくなった。
私の生活はある日突然急変した。
昼までに掃除、洗濯、夕飯の買い物を済ませ、昼間はお好み焼き屋を主人と
二人でやり、暇な時間帯に夕食の準備。夕方からはもう1つの店がある。
そして、店が退けるのは深夜に及んだ。
最初は2代目女将として張り切っていた。が、私の心と身体は次第に限界を
迎えていた。
その夏、年中無休の私にとって一番楽しみな友達との台北旅行を控えていた。
だが、その少し前から胃がしくしく痛む。何をしても楽しくない。あんなに楽しみ
にしていた旅行なのに、一体私どうしちゃったの???そんな日々が続いていた。

そして、それは旅行先で突然襲われた。
私達は楽しみにしていた足踏みマッサージに意気揚揚として出かけた・・・はず
だった。だが、私はそこでパニック症候群の発作を起こしてしまったのだ。
気が遠くなる、自分の体が変になる感じ。心臓もバクバクしている。身の置き場が
ない感じ。それはものすごい恐怖だ。
旅から帰って、私はすぐに心療科を受診した。店に出ると憂鬱でたまらないと、最近
の心境も告白した。そして下された病名は「鬱病」だった。
最近は薬もどんどん開発されていて、私の憂鬱感は薬の服用によって比較的すぐに治まった。

そんな時だった。深夜、サンマリに出演するアーティストのPVが毎晩TSSで流れていた。
偶然、いや、あれは必然だったのかもしれない。私はコブクロというアーティスト
と、その日初めて出会う事になったのだ。
「ここにしか咲かない花」のPVを見ながら、私は何故か泣いていた。
涙がとめどなく流れる。一体どうしたことか?
私は深夜、コブクロのPVを見ては泣くのが習慣になっていた。
泣いた後の開放感。心をすっかり洗われる感覚。
私は毎晩泣く事によって、あの日々を保っていたような気がする。
それ以来、私の中でコブクロは特別な存在となった。
どんな薬より、カウンセラーよりもコブクロの歌が私を一番癒してくれる。
そして、それは今も変わらない。今、私の病気はほぼ完治していると私は思っている。
もう無理はしない。楽に生きよう!私はそう決めた。

普通のOLから自営業に、そして姑との同居

2007年06月04日 | 日記
普通のOLだった私がひょんなことから現在の主人と知り合い、自営業の
家庭に嫁いだ。
いや、私は普通のOLではなかった。優雅なOLだった。
私が勤めていた某損保(CMでコブクロの歌を起用したんだよね~)は、
当時、文系大学生の人気企業のランキング1位という優良企業だった。
ボーナスは年9.2ヶ月分。
週末は仲間と飲み歩き、休日はテニスにスキー。有給を使ってヨーロッパ
へも旅行した。パリやローマではブランド品を買い漁り、当時流行っていた
ニュートラファッションに身を包み、な~んの苦労も知らない、私はお馬鹿な
ただのミーハ―娘だったのだ。

だが、その生活は自営業でおまけに姑と同居という主人と結婚したことにより
一変した。
今は、来る日も来る日も汗だくになり、鉄板の前でお好み焼きを焼いている。
そして、それが終ると2階の店に上がり、深夜までお酒を飲みながら常連客を
盛り上げる。
そう、日銭を稼ぐために・・・。涙
女の人生は結婚相手によって、こうも違うものなのか?
だが、そんな愚痴を今更言っても仕方ない。自分の選んだ人生だ!
二人の可愛い娘にも恵まれた。これも結婚の賜物。感謝!感謝!

さあ、今夜もお仕事頑張るぞ!

次回は私がこよなく愛するコブクロとの出会い、そして鬱病について触れたいと
思います。