前回は、仁徳天皇の時代にも、于がわ行の「う」を表記する漢字だったということを論じました。
そこで今回は、本ブログの「古代歌謡の分析1」で論じた、応神天皇の時代には伊がや行の「い」を表記する漢字であったという結論が、仁徳天皇の時代にも通用するのか調べてみました。
次の歌は、仁徳天皇の四十年に、天皇が異母妹の雌鳥皇女(めどりのひめみこ)を妃にするため、異母弟の隼別皇子(はやぶさわけのみこ)を仲人として遣わしたところ、雌鳥皇女が隼別皇子と恋仲になり、皇子の舎人(とねり=従者)たちが詠んだとされるものです。
なお、漢字の表記と読みについては『日本紀標註』を、意味については『紀記論究外篇 古代歌謡 上巻』を参照しました。
原文
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読み
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意味
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破夜歩佐波 | はやぶさは | ハヤブサは |
阿梅珥能朋利 | あめにのぼり | 天に昇り |
等弭箇慨梨 | とびかけり | 飛び翔けり |
伊菟岐餓宇倍能 | いつきがうへの | いつき(槻=けやき)の上の |
娑弉岐等羅佐泥 | さざきとらさね | 小鳥を捕れ |
仁徳天皇の和名は大鷦鷯(おほさざき)で、鷦鷯は借字ですが、これがミソサザイという小鳥を意味するので、隼別皇子をハヤブサに、仁徳天皇を小鳥に見立てて、皇子が天皇を倒すようそそのかす内容となっています。
ここで注目すべきは伊菟岐(いつき)で、「つき」は強い木という意味であって種名ではなく、他の巨木と区別するために「い」を冠したものだそうです。
また、「ゆつき」(由槻)という山名もあるところから、この「い、ゆ」は齋(さい=飲食や行ないを慎み、心身を清める行為)という意味でなければならないのだそうです。
つまり、「い」は「ゆ」と同じ意味の言葉ですから、「いつき」の「い」はや行の「い」に間違いないでしょう。
したがって、仁徳天皇の時代においても、伊がや行の「い」を表記する漢字だったと思われるのです。
次回も古代歌謡の分析です。
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