親子の縁を切る
実際母親が 自分を産んだという事実
遺伝的な繋がりは変えようが無い
しかし他人よりも疎遠にして 生きていくことは可能
5歳で私を手放した実母は法的に親子の縁は切れている
養母に関しては養子離縁で縁は切れた
生みの親より育ての親というが一概に当てはまらない
二人の女性に翻弄され育った自分は欠陥人間となりどちらにも愛情を感じない事で自分を責めた
自分は何と冷血な無感情人間なんだと・・
人生の失敗も「甘えられない愛情不足」がなせる業だと結論付けている
今生みの母と同居することになった時の母の年(71)になり改めて客観的に考えてみたがやはり理解できない
2年間の同居だった
何の因果か?4人の子供の内捨てた子と最期を過ごすとは
最後まで自分勝手な言い訳をしていた
私の苦しみは最後まで理解しなかった
作られた人間は努力で克服しようと頑張るがトラウマは人生に大きな影響を及ぼす
せめて反面教師として学ぶしかない
2年の暮らしでとうとう母を理解することはできず今までの自分の考えを確実にするものだった
不器用な人だったのかもしれない
人生最後まで答えの出ない事がある
哲学は経験からもたらせれるもので想像は想像でしかない
それぞれの人生の分哲学がある
答えなど求めなくていいんではないか?
やり直しはきかないし
ないものねだりしてもしょうがないし
正解不正解は問わず自分は信念をもって生きてきたことは良かったと思っている
あの時こうすればよかった
ああすればよかったは数々あるが・・・
何でも一生懸命だったなぁ
それもあの親がいたからの負けじ魂でできた
今はもう失くしてしまった情熱をもって生きていた
後2年で母が亡くなった年になる
母よりは後悔のない良い人生だったと思う
それだけで十分ではないか