今日も良いお天気でした。
昨日は抹茶のラングドシャを2回作り
今日はクルミのタルトを作りました。
昨年から左肩の痛みで日常の生活も苦しい日々を過ごしましたが、
今年の3月に入って痛みが無くなりました。
痛くてたまらなかった日々の中で
働きに出たくても出来ない状態の中で、
過去のことからしっかりと自分自身と向き合って過ごし
気づいた事がたくさんありました。
自分のお店を持とうと思います。
すぐにではないけど、
(いや、本当はすぐの方が良いよ)
自分の持っている能力をきちんと活かせる場所にいる事
わたしはもう今年48歳になります。
これから先、死ぬときまで働くためには
自分でその場所を作るべきだと思いました。
すぐ始めるべきと思いつつも
ゆっくり準備しています。
東京で一人で
自分をなくして
死んでもおかしくなかったくらい働き
苦しくて苦しくて
こんなに努力しているのに、それに見合った報酬がない。
私は自分のいるべき場所を間違えている。
睡眠をまともに取ることもできず、立ちっぱなしで朝5時から夜の11時まで
子宮が落っこちそうになる感覚に、お腹を押さえながら家に帰った。
よく 生きてたな
私って身体強いな。
寝ないとね、全身の身体痛くなるんだよ。
いつも脚が痛かった。
始発の電車に乗って、駅を降りたらダッシュで走って、
エスカレーターを駆け足でのぼり、お店に入るのが
開店5分前
羽田空港の駅から空港の売店までって結構な距離なのよ
そこを毎日猛ダッシュするの
エスカレーターを走らないと完全に遅刻なの
少しでも遅くなったら遅刻だし、ましてや開店が出来ない。
早番は一人だからね。
脚が痛くてたまらなかったけど、歩いたら終わり
身体の悲鳴は半端なかった。
自分が休んだら、遅刻したら開店出来ないから
責任のプレッシャーで眠れなくなってしまって
ひどい頭痛で、処方された薬の抗うつ剤を飲んで、頭が朦朧として顔がすごく変なになって
駅のホームに落ちそうになるくらい、身体がふらふらになった状態でも
そんな状態で意識がときどきなくなっているのに
走って走って
遅刻しないでお店開店させたのよ。
苦しかった
思い返しても、よく生きてたなと 感心する。
40過ぎの女がパート、アルバイトで生活することの大変さ
寝ないで働いても、やっと手取り30万
なんでこんなになってまで、そんな事をしていたの?
理解されないんだけど
私はそうしないと
自分の子を守れなかったから
口で言うのは誰にでも出来る
結果を出すためには、自分の良心を守るためには
子供を守るためには
どんなに苦しくても、やらなくてはならない時がある
周りの人から死んじゃいますよーなんて言われても、
私だってこんなこと、良いなんて思っていない。
こんな生活をずっと出来るなんて思っていない。
ただ、
一生の中で、じぶんが守るもののためになりふり構わないで
自分をなくしてでも
やらなくてはいけないことってあると思うから。
本当に
苦しかった。
苦しかったけど、
その努力を苦しみを超えて、上回るものがちゃんとあったから
その後、傷ついた身体を治すのには、自分を守らずに働いた時間と同じだけの月日がかかった。
『女はね、自分で自分の子も守れるくらい、生活力を持たなくてはいけない。』
一生出来る仕事を持つことの大切さを、
当時高校三年生の大学の受験生だった娘に
会うたびに話してあげました。
自分の場所は
自分で作らないと。
もうかなりいい歳になったのだから。