母と会った
帰りは手を握って元気でねと涙ながらにお別れするわけだが
母は寂しい寂しいと言う
そうだね、私も寂しいけれど
私と母の違いは何だっただろう
私は母に似ているところもあるし、反面教師としているところもある
私のことを心配してくれる母親に
最後に会えて良かった
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私は子どもの可能性を信じて成長を願った。
(自分の手元に置いて成長を見たいとか、自分を一人置いていくのか、なんて思ったりがなかった。相手方にこれを言われた時、親なのにと思ったけど
そういう人は自分が一番で自分しか信じていないし、自分基準で物事を判断するし、
自分を一番に大切にしてもらいたいからそういう言動をするんだなと理解してる。)
友達とたくさん話をして、
初めて友達に話したわけだが
お父さんは本当のことを言って欲しかったと思うよ
と言ってくれた。
それが出来なかった当時の私の状態と、父を思うばかりに何も言わずに去ったことを
それもわかったら
もし私のことを少しでも思ってくれるなら
父は悔しくて堪らないだろう
でもね
私は
父を護ったんだ。父はそんなことを望んでいなかっただろう。
わかってるよ。
でも私は父のことが大好きで大切だったから
あの時、何も言えなかったんだ。
年老いて、心臓が悪くなっていた父に
どうしても出来なかった。
当時の私の言動がわからずにあなたたちは怒っただろうけど、
理解したら
なんて私に言うの?
苦しかったよ。
父は娘の私を護ってくれただろうか?
年老いて、心臓が悪くて
私はもう父を苦しめたくないから悪者になって去ったんだ。
本当のことを知ったら
もっと苦しいだろうと思ったから
誰一人、話を聞いてくれる人、味方になってくれる人がいない状態で
生きながら流された時、
泣いて泣いて、母が堕胎した二人の水子を抱きしめて、こんなに悲しいんだねと二人の気持ちを一緒に感じながら泣いて泣いて
流されたのに、二人の水子のお兄さんお姉さんは生きていないのに
私は、
生きている
ものすごく驚きと、感謝の気持ちが溢れて
自分はなんて幸せなんだろうと
全身で幸せに思い感謝の気持ちが溢れ出た。
息子と暮らすアパートが見つからなくて困っていた時、すんなりと契約出来たアパートは、私の産土神、八幡神社のすぐ側だった。
その時も八幡様にとても感謝したけれど、
誰一人味方になってくれる人がいない
一人ぼっちで、悲しい、苦しい、寂しい、怖い、不安、
それを抱えながら、
でも私は息子を護り育てなくてはいけないから
私は私を捨てて
誰一人味方になってくれる人がいなかったけれど
お父さん、
私は、小さい頃から通った八幡様やお不動様からそっと見護られていたんだよ。
生きながらに流されて
泣いて泣いて、ものすごい感謝の気持ちが溢れて、
私は流されてしまったけれど
私は自分の子供も、孫もひ孫もその子供もずっと護り育てると
心に神仏に強く誓ったんだ。
そして新宿のコンクール会場に向かって、
その日は結果発表の日で
息子は6位なのに、誰よりも多くスカラシップをもらい、
たった一人、フルスカラシップをもらって、
一ヶ月後にスイスに飛び立った。
運命がガラガラと変わるのを感じた。
これが私の
3番目の奇跡
神様はその人が苦しい時に、どんな言動をしたのか
それをそっと見ていて
そして、
ちょっと手を貸してくれたり、ハンカチを落とすように
そっとチャンスをくれるのは
こういう時なんだと、私はわかったんだ。
『君はいつも苦しいイバラの道ばかりを選んで行くよね』
そう少しさげすみながら、しみじみと憐れみながら言われたが
そうね、でもその経験からわかることや体験することがあるんだよ。
こんな感動の経験は、どんなにお金を積んでも出来ないのよ。
私たちはね、感動するために生きているの。
経験が財産なの。
だから
生きている間は全てに意味と価値があるんだよ。
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感謝の気持ちってどこから湧くんだろうと思ったら
私は
本当に小さい頃から八幡様やお不動様にいくのが好きで、
今も必ずご挨拶に参っているし
小さい頃から仏壇に手を合わせるのが好きな子どもだった
無宗教なのに信仰心があって
感謝の気持ちって
信仰心を持っていると、
思いやすいんだろうな、と
言葉にするのが難しいんだけど
そう思います。