アイスホッケーの全国中学が中止になったそうです。
というか、1か月前に発表されていたようですが。
コロナという理由とはいえ、取り戻せない思い出の場を奪われた中学生選手にはかける言葉も見つからず。
軽々に前を向いて頑張れ!、と言うのもどうかと思いますが、
まだまだ先の長い無限大の可能性を秘めた皆さんですから、やっぱり元気に前進してほしいと心から思います。
30年近くも前の話ではありますが、自分たちは3年間そんなリスクなど全くなく(社会情勢に無知だったので知らないだけかもしれませんが)
予選さえ勝ち抜けば普通に出場できていたワケで、今と比べるのもあれですが、恵まれていたなぁ、と今更ながら思うわけで。
日々青春時代の記憶が薄れているのでオッサン化してきました。
将来への記録と思い、独り言として記したいと思います。
当時も今も自分の地元には中学のアイスホッケー部が全く存在しない為、都道府県選抜として出場していました。
全国大会には地区大会で4位に入れば出場できたので、1勝さえしてしまえば出場できたワケです。
中学の時は学校の部活として野球部にも所属していましたが
当時、自分の地域から全国までの道のりですと、
「地区大会3~4勝、県大会4勝、地方大会3~4勝」でようやく全国中学に出場できるワケですから
どれだけマイナースポーツの全国出場ハードルが低いのかお分かり頂けるかと思います。
今は少子化で学校も減っているでしょうけど、野球やサッカーなどは今でも長い道のりには変わりないものと思われます。
で、選抜チームたるものは、学校単位のアイスホッケー部のない都道府県はどこもクラブチーム単位で活動しており、所属中学もバラバラ。
それらが都道府県選抜として招集されて出場する、というシステムですね。
まずはクラブチームで県大会を争い優勝チームから多く選抜されるケースが多いですね。
クラブチームが1チームだとそれすら開催されないワケで、多くても東京の7チームって所でしょうか。なお、自分の地域は当時3チームで争ったものです。
で、昨年の関東大会ですと、東京、埼玉、神奈川、栃木、群馬、山梨、千葉の全てが選抜チームで構成されて、4つの席を争っていたようです。
他の団体競技ではこんなシステムはあるんでしょうか???
なお、そのまま東京が全国も準優勝、一昨年は埼玉が全国4位になっていますから、決して北国だけが強い、ってワケでもないのです。
とはいえ北海道だけは別格ですが。
そんな北海島も苫小牧市ですと学校単位で10校近く存在していましたが、今では単独1~2チーム、他は選手が足りない為に地域の選抜チームを組んでいるらしいのです。
日本最大のメッカである地ですらこうですから、少子化や他競技への流出により、ますますアイスホッケー人口が減ってマイナー化が進んでいる、というワケです。
そんな中学の時ですが、思い返せば1年の時からチームに選んで頂き3年間出場しましたが、
自分が3年の時よりも、2つ上の兄が主戦だった1年の記憶が鮮明に残っています。
この大会は初戦で敗退しましたが、アイスホッケー部のない進学校受験を予定していた、
最後になるであろう兄のリンク姿と言う事もあり、弟ながらベンチで一生懸命に応援したものです。
途中お情けで出場したのかしていないのか。。。全く記憶にありませんが、それ位、兄の事ばかり見ていたという事でしょうか。
ユニフォームをなびかせてリンクを滑走する牛若丸みたいな姿には、ずいぶんと憧れたものです。
実はインターハイの試合は映像が全く残っていないんですが、中学3年次は父兄の方が撮影しておりまして、奇跡的に2試合ともフルバージョンで残っております。
ビデオだとダメになるので社会人になってからDVDで残しているんですが、どこにやったかな笑
掘り出してみて、無駄な時間と知りながらたまには当時を思い返してみたいと思います。
今回は田舎の親からアルバムで残してくれていた新聞記事の写メを送ってもらいました。
3年次の初戦ですね。
今の息子に負けないくらい、元気いっぱいだった時ですが
今こんな体勢になったら腰が真っすぐに戻らないか、足をつって終わりでしょう。
今日は課員からのトラブル相談がやたら多く心労が絶えない1日でした。
今夜だけは現実を忘れたいと思いますので、もう少し懐かしい思いにふけたいと思います。
もちろん明日からは現実に向き合い1つ1つこなしていきたいと思います。