頼政神社の大灯篭。
もう一基。
ボディに何やら書いてある。
なになに・・・?
「奉寄進石燈籠 両基
頼政明神 宝前
元禄五年五月二十六日
従四位下上州高崎
城主右京大夫源輝貞」
って書いてあるッぽい。
これが「古河城 水底に沈んだ名城」の頼政郭のところに載ってたヤツですな。
「元禄7年(1694)、古河城主となる松平信輝は、摂津源氏の子孫を称するため、その先祖にあたる頼政の廟所が城内にあることを喜び、同9年、その社殿を修理した。
またそのとき、信輝の弟で、当時高崎城主であった松平輝貞は大灯籠を寄進している。」(同書より)
境内には他にも小ぶりの灯籠がひとつ
ふたつ
三つ
四つある。
こっちは御手洗(みたらし)かな?
同様に、「元禄九丙子(ひのえね)歳」の文字。
狛犬。
神社に向かって右側。
口を開いた阿形。
こっちは左側で、口を閉じた吽形。
仁王像なんかもそうだけど、左右一対で「阿吽」になってる。
サンスクリット語の始まりが「阿」で終わりが「吽」なのだそうで。
それぞれが宇宙の始まりと、究極の姿を表すのだとか。
始まりと終わりを持ってくることで、この世界の全て、を表現しているみたいで、壮大なロマンだなぁ。
比べると、英語の”A to Z”は小さく感じられる。
「御獅子ノ銘」と刻まれた石碑。
作られたのはごく最近だけど、名前を残そうという気持ちが読み取れますね。
やっぱり日付は、「元禄九丙子年五月日」。
社殿修理の際、全て揃えたものだってことだね。
元禄のものが現在に引き継がれてるって、すごいことだよなぁ。
「その他」っていうタイトルが、大変失礼なんだけど、まぁ、僕も興味がある部分と薄い部分があるワケで・・・
こっちは薄い部分です。
すいませ~ん(汗)
さあて、次は、追手門址に向かうついでに、ちょっと寄り道。
寄り道1「古河藩作事役所址」に続く
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ボディに何やら書いてある。
なになに・・・?
「奉寄進石燈籠 両基
頼政明神 宝前
元禄五年五月二十六日
従四位下上州高崎
城主右京大夫源輝貞」
って書いてあるッぽい。
これが「古河城 水底に沈んだ名城」の頼政郭のところに載ってたヤツですな。
「元禄7年(1694)、古河城主となる松平信輝は、摂津源氏の子孫を称するため、その先祖にあたる頼政の廟所が城内にあることを喜び、同9年、その社殿を修理した。
またそのとき、信輝の弟で、当時高崎城主であった松平輝貞は大灯籠を寄進している。」(同書より)
境内には他にも小ぶりの灯籠がひとつ
ふたつ
三つ
四つある。
こっちは御手洗(みたらし)かな?
同様に、「元禄九丙子(ひのえね)歳」の文字。
狛犬。
神社に向かって右側。
口を開いた阿形。
こっちは左側で、口を閉じた吽形。
仁王像なんかもそうだけど、左右一対で「阿吽」になってる。
サンスクリット語の始まりが「阿」で終わりが「吽」なのだそうで。
それぞれが宇宙の始まりと、究極の姿を表すのだとか。
始まりと終わりを持ってくることで、この世界の全て、を表現しているみたいで、壮大なロマンだなぁ。
比べると、英語の”A to Z”は小さく感じられる。
「御獅子ノ銘」と刻まれた石碑。
作られたのはごく最近だけど、名前を残そうという気持ちが読み取れますね。
やっぱり日付は、「元禄九丙子年五月日」。
社殿修理の際、全て揃えたものだってことだね。
元禄のものが現在に引き継がれてるって、すごいことだよなぁ。
「その他」っていうタイトルが、大変失礼なんだけど、まぁ、僕も興味がある部分と薄い部分があるワケで・・・
こっちは薄い部分です。
すいませ~ん(汗)
さあて、次は、追手門址に向かうついでに、ちょっと寄り道。
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