M2
この1年はいい思い出がほぼない。
1日耐えれば、研究室を去る日が近づく。。それのみが楽しみだった。
修論の世話は、仕方なくみてやる、、みたいなことを毎週のように言われた。
心の底から腹立たしかったが、我慢した。
アメリカ帰りのMのために、2研室から追い出された。
用意された席は、4回生が座るような席。
屈辱的だった。
それも耐えた。というか、自暴自棄の境地のため。どうでもよかった。
自分の性格のため、腐らず過ごした。やる気に満ちあふれていたわけではない。仕方なく日々を過ごした。
年末。
これまでと同じように年賀状を書いた。
去年のことが思い出されて苦しかったが、なんとか書いた。
ムラ社会なので、ここは無理しないといけなかった。
1月の下旬 阪神大震災があった。
早朝だったが、経験したことのない揺れ。
明るくなったと同時に学校に向かった。
学校に対して、そんな義理あいもなかったが。
地震の前後で、自分の部屋のちらかり具合は全く変化なかったし。
1番のりだった。
いちばん立場の悪い自分が学校に1番のり。
教授側からいい思いをしてる人ほど遅くに来る。
世の中そんなものなんだろうな。
要領のいい阪大生一般。要領の極端に悪い自分
研究室の中がぐっちゃぐちゃになってる様子に、笑いがこみ上げてきた。ほかに誰もいなかったので、多分、声を出して笑ってたと思う。
天罰じゃ、ぼけ~~。。自然と、そんなことも言ったと思う。
その直後に、非常に強い余震がきた。早朝の一発めより大きいのではないか。悪い心は持たないことだな、と自らを戒めた。
修士修了まであと少し。
なんの得もない、誰の得もないが、結構、頑張った、つもり。
修論もなんとか終えた。
3月中旬。追い出しコンパ。
今年は、追い出される立場である。
前の年は、Bさんの件があったので、私だけ二次会の出席を避けた。
今年の追い出す側は、みんな居る。
みんな居ることはありがたいな~。欠けていると、嫌な思いするなぁ。。と思ってたが、去年、自分はそれをやった。
心証よくなかったな。1学年上の方々には、申し訳ないことしたな。
学校を去る日が来た。
もう、嫌な思いをすることがないので、清々しい。
ただ、追い出す側も、私が去ることについて、清々しい思いをしてるんだろうな、と思うと、腹立たしい。
自分が去ることについて、寂しいとか、悲しいとか思ってくれる人は誰もいない。つらいことである。
前年、Bさんとは口もきかない間柄になってしまったが、お別れの日は、独りで悲しい思いはしていた。
自分には、そういう人はいない。
不徳と無能。
自分を呪うしかない。
学校を出ると、4月から、就職先の静岡の御殿場へ。
関西から出たくない一心で、大学受験を関西の学校に絞って臨んだが、結局、仕事は、東に行くことになった。
まっさらで再出発するには、ちょうどいいかな。
会社の人事の人から、薬剤師の試験を受けるように強く言われていたので、残り少ない勉強時間ながら、忙しかった。感傷に浸る暇なし。