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ちまちました人にならないために 6

2022-06-15 21:30:04 | ひとりごと
M1

希望に燃えて合成の部屋に来て1年になった。

院試験も頑張ってしのいで、同じ部屋で継続できることになった。

希望の光は乏しいが、まだ、努力する姿勢はなえていなかった。

4月の第1週のどこかで、4回生が入ってくる。

みんな、1年前の自分と同じく、希望に燃えて入ってくるはず。

その中にBさんもいる。

4回生が入ってくる日の前の日の晩。考えた。

以前から知っている間柄だからといって、なれなれしく接するようなことはよくないと思った。Bさんがやりにくくなる。研究室の1年は、楽しく充実したものでないといけない掛け替えのない1年になる。

そう考えたので、なるべく、厚かましい態度は取らないことに決めた。他に女子は3名いたので、それぞれにフラットに接することに決めた。

Bさんが来てくれたことは、本当は飛び上がりたくなるほど嬉しかったが、そういうのはなるべく隠すことにした。

同じ研究室で過ごせた喜び、本当は喜んでたけど、あまり話もできなかったお詫び、院試験の勉強の発憤材料にBさんの存在を利用したことのお詫び、卒業する頃合いに、諸々伝えないといけないかな、、などと構想しつつ、自分の気持ちを抑えた。

新4回生が入ってきたが、自分ひとりだけ頼りない先輩ではある。

ずっとグループ内で立場が悪かった。

負けないように気合いを入れつつ、学校には行っていたが、期待されていないことと戦う日々だった。つらかった。自分の存在ってなんなんだろう?

真面目には通っていた。

そんな自分を見せるのは、やっぱりかっこ悪かったので、4回生、特に、Bさんには、素っ気なく振る舞うようになっていった。

途中から、1研から2研に席替えになった。

よそ者、お荷物が来た、みたいな目が辛かった。

2研は、1学年上のTさん、4回生のS君と、Bさんと、新入りの私の4人。

院試のときに期待していたのと、ちょっと違うけど、昨年望んでいた配置。年内までは、なんとかこなしていた。

年末になる。

年が明けたら、4回生とM2は、それぞれ、卒業発表があるので忙しくなる。M1の私たちは、ゆとりがあるが、その代わり、就職の動きもある。

年始は、年中行事で、年賀状をみなに出す。

研究室における年賀状は、任意ではない。漏れのないかたちで、出さないといけないもの。狭いムラ社会。

仲の良い円満な人には、当然、やりとりはあるもの。

肝腎なのは、あまり仲のよくない人にも、気を使って特に細心の注意を払わないといけない。学生同士のはなしではない。T先生や、jやK先生のほか、ドクターの方にはそれがあてはまる。私の場合、グループ内の関係が最悪だったので、そちらも特に気をつけなくではいけなかった。

同学年や、1つ上の学年、1つ下の学年の人とは、気楽にやりとりできるだろうか。当然、Bさんからも年賀状もらう気でいた。むしろ、楽しみにしてた。

年があける。

実家から豊中の下宿に帰って、届いた年賀状をチェック。

先生どもや、教室の学生仲間からはちゃんと来てたのを確認。ただし、Bさんからだけ、なかった。

事故でもあったのかな、と心配したが、年末のギリギリまで学校に行ってたし、会ってたし、話も多少はしてたと思う。正月に年賀状に着くように、と逆算すると、事故はない。

手渡しでも悪くはないかな、とのんびりしたこと考えてたが、何事もなく年始の日は終了。同じ2研の仲間なのに。

みんなに出してないとしたら、ちょっと、非常識ちゃうかな、、と心配してたが、なにもそういう感じもなかったので、出してないのは、自分だけなんだろうか、、

家に帰ると、毎日、郵便を確認したが、届いてない。

もう自分にはないものと思うことにした。無礼なことされて心外だった。

ところが、1月の中旬も過ぎようか、という時期に届いた。

もう年賀状とは言えない時期だった。

年賀状のはがきではなくて普通のはがきだった。

だから結局は年賀状ではない

文言は、その後、一旦、無理矢理に忘れるようにしたが、これを書いてる時点の数年前、このときから、20年以上経過したときに、突然に思い出した。

その中には、

  私はちまちました人は好きではないので近藤さんを見ているとほっとします。いつまでも気が優しくて力持ちな人でいてください。遅くなり申し訳ありませんでした。

とあった。

一字一句思い出した.。昔の一時期までは頭の中に記憶してた。アホだなぁなどと思う。

記載の内容については嬉しい部分はあった。

ただ、「遅くなり申し訳ありませんでした」のほうがどうしても気になった。

意図的に、こんな遅い時期に出したんやな。

自分は他の人とは、1段も2段も下の扱いをしても許される、という意思表示なんだろうか、と。

謝ったくらいで、必ず許さないといけないのかな。

相当、いらいらするものではあったが、不問にした。怒ったところで仕方ないし。

ただ、このときからBさんに対する見る目は、だいぶ変わってしまった、、とは言える。

そこから数日後、さらに追い打ちをかけるような事が起こる。

深夜には至らない、22時まわったくらい。

遅くまでいる人、数名

先生方や4回生は大体帰っている。

のんびりした時間帯。

翌日の実験の器具、薬品を揃えるために1研に出向いていた。

なんかのタイミングで雑談に入ったのだと思う。詳しくは忘れてしまった。

その中で、同級のWから突然言われた。

「みっちゃん、Bから年賀状もらってないやろ?」

いきなりそう言われた。

私からそんなこと他の人に言わないので、Bさんが言ったんだろう。

「もらってない」、と答えると、さらに、

「もらえてないの、みっちゃんだけやで。」

言われた瞬間、気が遠くなった。悟られてはないと思うが。。

Bさんは、なぜ、そんなことを他の人に言ったのか。どういう意図があるのか。

と、戸惑った感じでいると、ちょっと離れたところから、M2のEさんが、

Bには、K(同級)が一番大事なんや、みっちゃんは、一番下なんや、、みたいなことを馬鹿笑いで言ってくる。

自分には、これ以上ない罵声に聞こえた。

何故かお祭り騒ぎみたいになった。Eさんには同じことを何度も繰り返して言われた。

なにが楽しかったのか、WとEさん。

なにか悪いやつを成敗したったみたいになってるけど、成敗された人間は目の前にいる。笑う場合ではない。

たかが、年賀状の話だったが、これ以上ない、ひどい屈辱感のあることになった。

どうやって、その場を切り抜けたのか覚えてない。

帰宅の後、布団のうえで、3時過ぎまで、ひたすら、枕を強く殴っていた。3時ころになって急に我に返った。自分は何をしてるんだろう。ほかのことは記憶にない。ただ、悔しかった。枕には悪いことをした。馬鹿だなあぁ

次の日から、Bさんとは、さらにまともに向き合えなくなった。

同じ2研に席があったので、相当につらかった。

以降、Bさんが卒業で去るまでの2月、3月の間、Bさんと話した記憶はない。多少はあったかもしれないが、後になって忘れようと努力した結果だと思う。自分も器用なことができるもんだ。

3月中頃 恒例の追いコンがあった。千里中央の居酒屋

当然、Bさんとは遠く離れた席にいた。

宴も終わり、店から出て、若干の時間たむろ状態

暇なんで、というところでトイレに行った。

みなが居るところに戻るところの角のところでBさんと出会い頭に顔を合わせた。

ちょっと焦った。。なんか悪かったな、と反省。

みんなタクシーに乗り合わせて学校に戻るが、私は、Bさんと乗り合わせになるとつらい。その可能性もあるので、ちょっと歩いてひとりでモノレールで山田まで

そこから歩いて校舎に戻る。

学生仲間は、みな、既にいた。これから二次会のカラオケに行く体制になっている。

私は参加する気がなかったので、適当なタイミングで帰ることにした。

M2の先輩方とのお別れでもあるので、Bさんのことがなければ、私も参加したかった。

私が研究室に居た時点でBさんはなぜか居なかったが、会わずに済むので、むしろ好都合かな、と。

ネームプレート不在にひっくり返して、さあ、帰ろうとして歩き出す。

角のところで、また、Bさんと出会い頭に向き合うかたちになった。

1秒くらいだったけど、Bさんの顔が見えた。もう、これで顔見るの最後やろし、、との思いがあったから。

そのまま階段を下りていった。振り返れなかった。振り返っても、Bさんは私のことを目線で追ってないだろう、もうそこには居ないだろうと思っていたので。それを確認するのが怖かった。

4回生は、3月以降は、薬剤師の試験のために、来なくなる。

4回生とM2の人が研究室を去る日にも私も居合わせたが、私のところだけ、素通りしていったかな、Bさん。

3月末は、私の東京で就職試験があり、そのまま、薬学会の発表がある。

東大

同学年の3人とEさんと私の合わせて5人の行動。それなりの気晴らしにはなった。

学会になると、いつも留守番役のK先生も今回は学会にいる。

帰りは、学生のみんなで、青春18切符で在来線乗り継いで帰宅した。

なにが青春やねん!言いたい気持ちながら、ここも気晴らしにはなった。

こうして暗転のM1を終えた。

Bさんがいたころ、悪態のひとつでもつくこともできたけど、それをすると、人気者だった、Bさんの人物評価は下がるかもしれない。

そう思ったので、なにも言わずに我慢した。

今から考えると、手紙の一つでも書いておけばよかったかな。その発想はその時点ではなかった。

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