冨山和彦さんの『なぜローカル経済から日本は甦るのか』についての続きです。
前ブログに書いたように、Gについては大賛成です。
一方、Lについては、まだ十分理解が出来ていません。
1.冨山さんが言われる、Lの世界で、生産性の低い企業には退出してもらって、生産性の高い企業に集約化させるのは、良いと思います。そのために、これまでの中小企業を守る政策を改め、市場から退出しやすい政策に変えることも賛成です。
2.冨山さんは、Lの世界では、地域独占が働きやすいので、生産性の低い企業も生き延びてしまっている。ゆえに、集約化による生産性向上を期待できる余地がある。むしろ、生産性の高い企業は、賃金を高めてしまえば、生産性の低い企業は(人手不足のなか)退出せざるをえないといいます。
3.また、Lの世界の労働は、Gの世界の日本企業のように、企業内文化を知らないと上手く働けない(年功序列的な企業風土)とは異なり、運転とか、介護とか、小売など、その技で企業間を移動しやすい分野である。したがって、生産性の低い企業が退出しても、生産性が高く、人手を求める企業に再雇用されやすい。
4.Lの世界で生産性の高い企業への集約を進めるにあたっては、「スマートレギュレーション(賢い規制)」が必要であるとしています。地域独占が働きやすいので、たとえば、一度独占してしまうと、低賃金・長時間労働のブラック企業が生き延びてしまう可能性がある。たとえば、タクシー業界で規制緩和をしたら、台数が増えて、労働環境が悪化し、安全性が確保されなくなり、急遽、台数規制と価格規制が行われたが、そうではなく、最低賃金の上昇や労働監督強化で規制した方が「賢い」。台数規制では、ブラック企業が温存されやすいと言います。バス業界の労働環境悪化で事故が起きたり、介護業界の労働環境悪化で高齢者をベットにしばりつけるような状況が生まれたりしています。
介護保険制度では、施設の定員や〇時間いくらなどの価格が決められています。知人がデイサービスをやっていましたが、定員が決められているものの、今日はお休みしたいという人が数人出ると、施設の稼働率が下がって赤字になってしまう。高齢者が帰りたくても、一定時間以上居てもらわないと点数が低いので、帰らせないようにしないと、経営が悪化してしまう。一人一人の高齢者の気持ちに沿ったサービス提供ができない・・と、いったん事業を辞めてしまいました。
一つひとつの業種に対して、(既得権益が生まれてしまっているなか)「賢い規制」をすることが出来るものでしょうか。業界大手は、既存の規制に対応して、高齢者にとって不自由なサービス提供、働く人の労働環境悪化でうまくやっているのですから、「声をあげる」ことはないでしょう。知人のように心ある業者や介護を求める高齢者一人一人が実態を理解して「声をあげなければ」、「賢い規制」になるとは思えません。
5.地域独占が働きやすく、ブラック化しやすいLの世界に対し、アメリカでは、「非営利ホールディングカンパニー」が登場していると言います。株主主権型ではなく、社会的規律に主眼を置いたステークホルダー主権型を目指すもので、アメリカでは、新たな会社モデルが制度的に施行されているとのことです。経営陣は、資本を預かる立場の代表と、公益に資する人の代表で構成される。利益が出た時に、どれだけを資本投資に回し、どれだけを内部留保に回すかを客観的に見れるようにする。冨山さんによれば、医療と介護の分野で、2015年の導入を目指しているとのこと。ネット検索すると、既に、厚労省が検討しており、それへのコメントなども沢山書かれていた。
私は、昔、岩手県藤沢町(現在一関市)の医療・介護が一体になっている「町営」サービスを見せて頂いたことがあり、こういうのは、小さな町だからできるのだろうが、羨ましいなぁと思ったことがある。
非営利ホールディングカンパニーは、そうしたことを狙っているようで、実現したら、とても良いと思う。
6.冨山さんは、コンパクトシティ化と駅前商店街の復活が今後必要であるとし、これと対にして、地方の限界集落の退出を提案している。そして、今日問題視されている日本の限界集落の多くは、戦後、一時的に人口が増えたから人工的に作られたのであり(最初は、引揚者や都心で焼け出された人、次には、列島改造により、地方に工場が進出したから)、それがもとに戻るだけのことだと言っている。その根拠として県別の人口が戦前より多いか少ないかを挙げている。暗に藻谷さんの『里山資本主義』を取り上げて、里山を守るというのは郷愁でしかないようなニュアンスの論調だ。
これについては、もう少し、精度を高めた検討が必要なのではないかと思っている。現在の限界集落の多くは、戦前には、農林漁業を営んでいたのであり、そこに里山もあったわけで、県全体の人口で判断するには、大まか過ぎると思う。
また、駅前商店街を復活するとしても、地域地域で事情が異なっており、地主でもある商店主が小さなビルを建てて家賃収入を得ていたりすると、商店街全体の活性化をするには、長期定期借地権などで全体を借り上げ、適切な店や施設を配置し直すような(高松市の丸亀商店街は、その好例)、ダイナミックなことをやれる人たちがいるかどうかにもかかわってくる。
ここには、前に読んだ木下さんの本にあるように不動産の価値を高めるためにまちづくりをするといった発想とプレーヤーが必要だろう。
7.「GもLも、どちらも素晴らしい」という考え方には、大賛成だ。海士町の町長さんが、自分たちは、息子たちに「こんな田舎でくすぶっていないで、東京の大学や企業に行け」と尻を叩いた。これでは、Lの世界に戻ろうという人財が育たないはずだと反省し、現在は、「仕事がなければ、自分で作ろう」と田舎に戻る人財育成に力を入れている。
先日、フィンランドの教育の話を聞く機会があった。フィンランドは、学力で世界トップクラスとして有名だが、半分の人は、職業高校に進学するという。また、ブルーカラーとホワイトカラーの賃金格差がなく、差別的な見方もないという。今でも、子ども達は、大工さんの仕事を見ると、大工さんになりたいと言うと聞いたことがある。しかし、おそらく、お母さんは、そんなことは聞き流し、塾で勉強して、良い大学に入り、安定した企業に入りなさいと言ってお尻を叩いているに違いない。職業に貴賤はなくて、それぞれに向いた仕事で一生懸命やれば良い。どんな仕事もやっていれば、深みがあり、そこからいろいろ学んで、それなりの人生観を得られるはずだ。
冨山さんの言われるように、多くの人や企業が働くLの世界をより効率よく、利用者にとっても、働く人にとっても良いように変えることができれば、日本は、ハッピーになれる。
そのためには、制度を変える、職業への考え方を変えることが大切で、その力は、もちろん政府にも地方自治体にも負うところは大きいが、良い方向を後押しするのは、私たち、Lの世界に住む多くの人であるはずだ。
前ブログに書いたように、Gについては大賛成です。
一方、Lについては、まだ十分理解が出来ていません。
1.冨山さんが言われる、Lの世界で、生産性の低い企業には退出してもらって、生産性の高い企業に集約化させるのは、良いと思います。そのために、これまでの中小企業を守る政策を改め、市場から退出しやすい政策に変えることも賛成です。
2.冨山さんは、Lの世界では、地域独占が働きやすいので、生産性の低い企業も生き延びてしまっている。ゆえに、集約化による生産性向上を期待できる余地がある。むしろ、生産性の高い企業は、賃金を高めてしまえば、生産性の低い企業は(人手不足のなか)退出せざるをえないといいます。
3.また、Lの世界の労働は、Gの世界の日本企業のように、企業内文化を知らないと上手く働けない(年功序列的な企業風土)とは異なり、運転とか、介護とか、小売など、その技で企業間を移動しやすい分野である。したがって、生産性の低い企業が退出しても、生産性が高く、人手を求める企業に再雇用されやすい。
4.Lの世界で生産性の高い企業への集約を進めるにあたっては、「スマートレギュレーション(賢い規制)」が必要であるとしています。地域独占が働きやすいので、たとえば、一度独占してしまうと、低賃金・長時間労働のブラック企業が生き延びてしまう可能性がある。たとえば、タクシー業界で規制緩和をしたら、台数が増えて、労働環境が悪化し、安全性が確保されなくなり、急遽、台数規制と価格規制が行われたが、そうではなく、最低賃金の上昇や労働監督強化で規制した方が「賢い」。台数規制では、ブラック企業が温存されやすいと言います。バス業界の労働環境悪化で事故が起きたり、介護業界の労働環境悪化で高齢者をベットにしばりつけるような状況が生まれたりしています。
介護保険制度では、施設の定員や〇時間いくらなどの価格が決められています。知人がデイサービスをやっていましたが、定員が決められているものの、今日はお休みしたいという人が数人出ると、施設の稼働率が下がって赤字になってしまう。高齢者が帰りたくても、一定時間以上居てもらわないと点数が低いので、帰らせないようにしないと、経営が悪化してしまう。一人一人の高齢者の気持ちに沿ったサービス提供ができない・・と、いったん事業を辞めてしまいました。
一つひとつの業種に対して、(既得権益が生まれてしまっているなか)「賢い規制」をすることが出来るものでしょうか。業界大手は、既存の規制に対応して、高齢者にとって不自由なサービス提供、働く人の労働環境悪化でうまくやっているのですから、「声をあげる」ことはないでしょう。知人のように心ある業者や介護を求める高齢者一人一人が実態を理解して「声をあげなければ」、「賢い規制」になるとは思えません。
5.地域独占が働きやすく、ブラック化しやすいLの世界に対し、アメリカでは、「非営利ホールディングカンパニー」が登場していると言います。株主主権型ではなく、社会的規律に主眼を置いたステークホルダー主権型を目指すもので、アメリカでは、新たな会社モデルが制度的に施行されているとのことです。経営陣は、資本を預かる立場の代表と、公益に資する人の代表で構成される。利益が出た時に、どれだけを資本投資に回し、どれだけを内部留保に回すかを客観的に見れるようにする。冨山さんによれば、医療と介護の分野で、2015年の導入を目指しているとのこと。ネット検索すると、既に、厚労省が検討しており、それへのコメントなども沢山書かれていた。
私は、昔、岩手県藤沢町(現在一関市)の医療・介護が一体になっている「町営」サービスを見せて頂いたことがあり、こういうのは、小さな町だからできるのだろうが、羨ましいなぁと思ったことがある。
非営利ホールディングカンパニーは、そうしたことを狙っているようで、実現したら、とても良いと思う。
6.冨山さんは、コンパクトシティ化と駅前商店街の復活が今後必要であるとし、これと対にして、地方の限界集落の退出を提案している。そして、今日問題視されている日本の限界集落の多くは、戦後、一時的に人口が増えたから人工的に作られたのであり(最初は、引揚者や都心で焼け出された人、次には、列島改造により、地方に工場が進出したから)、それがもとに戻るだけのことだと言っている。その根拠として県別の人口が戦前より多いか少ないかを挙げている。暗に藻谷さんの『里山資本主義』を取り上げて、里山を守るというのは郷愁でしかないようなニュアンスの論調だ。
これについては、もう少し、精度を高めた検討が必要なのではないかと思っている。現在の限界集落の多くは、戦前には、農林漁業を営んでいたのであり、そこに里山もあったわけで、県全体の人口で判断するには、大まか過ぎると思う。
また、駅前商店街を復活するとしても、地域地域で事情が異なっており、地主でもある商店主が小さなビルを建てて家賃収入を得ていたりすると、商店街全体の活性化をするには、長期定期借地権などで全体を借り上げ、適切な店や施設を配置し直すような(高松市の丸亀商店街は、その好例)、ダイナミックなことをやれる人たちがいるかどうかにもかかわってくる。
ここには、前に読んだ木下さんの本にあるように不動産の価値を高めるためにまちづくりをするといった発想とプレーヤーが必要だろう。
7.「GもLも、どちらも素晴らしい」という考え方には、大賛成だ。海士町の町長さんが、自分たちは、息子たちに「こんな田舎でくすぶっていないで、東京の大学や企業に行け」と尻を叩いた。これでは、Lの世界に戻ろうという人財が育たないはずだと反省し、現在は、「仕事がなければ、自分で作ろう」と田舎に戻る人財育成に力を入れている。
先日、フィンランドの教育の話を聞く機会があった。フィンランドは、学力で世界トップクラスとして有名だが、半分の人は、職業高校に進学するという。また、ブルーカラーとホワイトカラーの賃金格差がなく、差別的な見方もないという。今でも、子ども達は、大工さんの仕事を見ると、大工さんになりたいと言うと聞いたことがある。しかし、おそらく、お母さんは、そんなことは聞き流し、塾で勉強して、良い大学に入り、安定した企業に入りなさいと言ってお尻を叩いているに違いない。職業に貴賤はなくて、それぞれに向いた仕事で一生懸命やれば良い。どんな仕事もやっていれば、深みがあり、そこからいろいろ学んで、それなりの人生観を得られるはずだ。
冨山さんの言われるように、多くの人や企業が働くLの世界をより効率よく、利用者にとっても、働く人にとっても良いように変えることができれば、日本は、ハッピーになれる。
そのためには、制度を変える、職業への考え方を変えることが大切で、その力は、もちろん政府にも地方自治体にも負うところは大きいが、良い方向を後押しするのは、私たち、Lの世界に住む多くの人であるはずだ。
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