前ブログで、日本の多くの人は、サービス業で働くことになるという冨山さんの指摘を紹介した。
実際、一部のエリート企業、そうした世界企業に雇用されたエリート人財が頑張ってくれるのは嬉しいが、これらは、多くの人にとっての問題ではない。もちろんそのための高度人財育成方法も改善する必要はあるが。
残りの多くの人がこれから働くと思われる(需要が無くならない)分野は、地域密着型のサービス業となる。
もちろん、農業分野でも、高齢化が進むなか、集約化・企業化を進め、六次産業化しているところも登場しており、今後も期待される。そのなかには、海外展開する企業も出てくるだろう。
冨山さんは、Lの世界では、オリンピックに出るような選手ではなく、国体などで優勝する選手レベルの優れた経営者が必要になるという。そういう人たちが地域企業の集約化や効率化を図り、生産性を上げていることをイメージしている。
生産性の高い企業が生まれてくれれば、想像もつくのだろうが、現在のところ、若い人たちが魅力に感じるLの世界の雇用というのがなかなかイメージしにくい。
子どもが好きで保母さんになる、運転が好きで運転手になる、学費を稼ぐためにスーパーでパートをする(裏方で仕入れのチェックをしたり、荷捌きをする、あるいは、レジを打つ・・)、美容師になる、整体師になる、ネイルアーティストになる、スポーツジムのインストラクターになる・・。好きではじめた、あるいは家計を助けるためにはじめた・・までは良いが、そのあとに、夢や希望が持てないと悲しい。
1.誇りを持つ、興味を持つ
どんな仕事でも、工夫の余地はあるし、習熟したなりの面白さもあるものだ。最初、それほど興味なく始めても、やっているうちに面白くなることもあるし、そこから別の道に興味を持っていくこともあると思う。
先輩や周りの人が「でもしか」でその仕事をやっていると悪い影響を受けるが、先輩のなかにその道を大好きな人が一人でもいれば、自分もその仕事に誇りを持ち、興味を持つことができるはずだ。
それには、高校くらいから、多様な職業学校への進路を用意することや、小中学校時代からインターンシップのような形でさまざまな職業体験をしてみることも必要かもしれない。
もちろん周囲の目も大事だ。その仕事への尊敬の念を周囲が持つことも必要だ。
地域や路線によっては、バス代金を払っている人たちが降車するときに、「有難うございました」と言って降りるのを見たことがある。こんなことも(無理やりではなく自ずと)出来るようになると良いように思う。
2.生活できる給与
そうは言っても、生活ができなければ、困る。高度経済成長期のように、毎年給与が上がるということは望めないにしても、初心者からある程度習熟度を高めた場合には、相応に給与が上がって欲しい。冨山さん言うように、ある程度に達したら、給与は、暮らしていける水準であれば良いだろう。需要がある業種ならば、生産性の高い企業がシェアを高めれば、一定の給与水準にすることは可能になるのだろう(*1)。
だが、生産性の高い企業が地域のなかで勝ち残るまでの道のりは、結構時間がかかりそうだ。冨山さんが提案しているさまざまな法制度をこの方向に舵取りしたとしても、15~20年かかるのではないだろうか。
その間にも、人口は、どんどん減るので、予想外に整理淘汰は、進むかもしれない。
私の周辺にいる若い人で、大学や大学院まで出ているし、判断力なども優れているが、3年契約というような形で働いている人は多い。
それでも、彼らは、やりたいことが漠然とだがあって、人生のプロセスの一つとして、今の仕事をやっている。そうした仕事を通して、人脈を形成したり、本当にやってみたいことを見つけ出す可能性は高い。
ほとんどの人がLの世界で生きていくなか、おそらく、これまででは、想像できなかった多様な働き方が普通になるのだと思う。
3.何が起こるか分からないなかで判断する力、生き延びる力
ミュージシャンを目指す若者が、最初は、路上ライブをしたり、ネットを使って配信し、さまざまなきっかけを得て、メジャーデビューを果たすのと同じようなことが、おそらく、多様な分野で起きるのではないだろうか。
小麦粉がタイ焼きになるのを面白いと思った若者が、多様なタイ焼きを移動キッチンで販売し、店を持つというケースもあるだろう。
消しゴムはんこで有名になり、メーカーと組んで、ライセンスを渡す仕組みを設けて、富を得る人も出てきていると聞く。
このように、何が起こるか分からない環境のなかで、どのように自分の人生を作り上げていくか、こうした力を養うことが一番重要かもしれない。
基礎学力の習得は、もちろん必要だが、「良い学校に入って、良い企業に就職し、安定した暮らしを得る」ということは、もう絵に描いた餅でしかない。
これからの子どもにとっては、何が起こるかわからないなかで判断する力、ネットワークを作る力、一歩踏み出す力、自分を差別化できる力・・・といったようなものが必要になってくるのではないだろうか。
(*1)自分は、働いている時には、額面約1000万円の給与だった。だから大人買いのような買い物の仕方で平気だった。サラリーマンというのは、怠けていても、毎月、給与が入るからだ。ところが、年金暮らしになって、月20万円、年間240万円と4分の1以下となった。すぐの頃には、どうやって暮らそうかと青くなった(幸い、家は、あるけれども)。新聞広告をチェックし、安売り品をこまめに購入した。しかし、慣れてくると、それで十分暮らせるようになった。もちろん、子育て中、住宅ローンの支払い中だと大変だろうが、一定の生活水準が得られるならば、それほど多くなくても大丈夫だろう。
実際、一部のエリート企業、そうした世界企業に雇用されたエリート人財が頑張ってくれるのは嬉しいが、これらは、多くの人にとっての問題ではない。もちろんそのための高度人財育成方法も改善する必要はあるが。
残りの多くの人がこれから働くと思われる(需要が無くならない)分野は、地域密着型のサービス業となる。
もちろん、農業分野でも、高齢化が進むなか、集約化・企業化を進め、六次産業化しているところも登場しており、今後も期待される。そのなかには、海外展開する企業も出てくるだろう。
冨山さんは、Lの世界では、オリンピックに出るような選手ではなく、国体などで優勝する選手レベルの優れた経営者が必要になるという。そういう人たちが地域企業の集約化や効率化を図り、生産性を上げていることをイメージしている。
生産性の高い企業が生まれてくれれば、想像もつくのだろうが、現在のところ、若い人たちが魅力に感じるLの世界の雇用というのがなかなかイメージしにくい。
子どもが好きで保母さんになる、運転が好きで運転手になる、学費を稼ぐためにスーパーでパートをする(裏方で仕入れのチェックをしたり、荷捌きをする、あるいは、レジを打つ・・)、美容師になる、整体師になる、ネイルアーティストになる、スポーツジムのインストラクターになる・・。好きではじめた、あるいは家計を助けるためにはじめた・・までは良いが、そのあとに、夢や希望が持てないと悲しい。
1.誇りを持つ、興味を持つ
どんな仕事でも、工夫の余地はあるし、習熟したなりの面白さもあるものだ。最初、それほど興味なく始めても、やっているうちに面白くなることもあるし、そこから別の道に興味を持っていくこともあると思う。
先輩や周りの人が「でもしか」でその仕事をやっていると悪い影響を受けるが、先輩のなかにその道を大好きな人が一人でもいれば、自分もその仕事に誇りを持ち、興味を持つことができるはずだ。
それには、高校くらいから、多様な職業学校への進路を用意することや、小中学校時代からインターンシップのような形でさまざまな職業体験をしてみることも必要かもしれない。
もちろん周囲の目も大事だ。その仕事への尊敬の念を周囲が持つことも必要だ。
地域や路線によっては、バス代金を払っている人たちが降車するときに、「有難うございました」と言って降りるのを見たことがある。こんなことも(無理やりではなく自ずと)出来るようになると良いように思う。
2.生活できる給与
そうは言っても、生活ができなければ、困る。高度経済成長期のように、毎年給与が上がるということは望めないにしても、初心者からある程度習熟度を高めた場合には、相応に給与が上がって欲しい。冨山さん言うように、ある程度に達したら、給与は、暮らしていける水準であれば良いだろう。需要がある業種ならば、生産性の高い企業がシェアを高めれば、一定の給与水準にすることは可能になるのだろう(*1)。
だが、生産性の高い企業が地域のなかで勝ち残るまでの道のりは、結構時間がかかりそうだ。冨山さんが提案しているさまざまな法制度をこの方向に舵取りしたとしても、15~20年かかるのではないだろうか。
その間にも、人口は、どんどん減るので、予想外に整理淘汰は、進むかもしれない。
私の周辺にいる若い人で、大学や大学院まで出ているし、判断力なども優れているが、3年契約というような形で働いている人は多い。
それでも、彼らは、やりたいことが漠然とだがあって、人生のプロセスの一つとして、今の仕事をやっている。そうした仕事を通して、人脈を形成したり、本当にやってみたいことを見つけ出す可能性は高い。
ほとんどの人がLの世界で生きていくなか、おそらく、これまででは、想像できなかった多様な働き方が普通になるのだと思う。
3.何が起こるか分からないなかで判断する力、生き延びる力
ミュージシャンを目指す若者が、最初は、路上ライブをしたり、ネットを使って配信し、さまざまなきっかけを得て、メジャーデビューを果たすのと同じようなことが、おそらく、多様な分野で起きるのではないだろうか。
小麦粉がタイ焼きになるのを面白いと思った若者が、多様なタイ焼きを移動キッチンで販売し、店を持つというケースもあるだろう。
消しゴムはんこで有名になり、メーカーと組んで、ライセンスを渡す仕組みを設けて、富を得る人も出てきていると聞く。
このように、何が起こるか分からない環境のなかで、どのように自分の人生を作り上げていくか、こうした力を養うことが一番重要かもしれない。
基礎学力の習得は、もちろん必要だが、「良い学校に入って、良い企業に就職し、安定した暮らしを得る」ということは、もう絵に描いた餅でしかない。
これからの子どもにとっては、何が起こるかわからないなかで判断する力、ネットワークを作る力、一歩踏み出す力、自分を差別化できる力・・・といったようなものが必要になってくるのではないだろうか。
(*1)自分は、働いている時には、額面約1000万円の給与だった。だから大人買いのような買い物の仕方で平気だった。サラリーマンというのは、怠けていても、毎月、給与が入るからだ。ところが、年金暮らしになって、月20万円、年間240万円と4分の1以下となった。すぐの頃には、どうやって暮らそうかと青くなった(幸い、家は、あるけれども)。新聞広告をチェックし、安売り品をこまめに購入した。しかし、慣れてくると、それで十分暮らせるようになった。もちろん、子育て中、住宅ローンの支払い中だと大変だろうが、一定の生活水準が得られるならば、それほど多くなくても大丈夫だろう。
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