今更かもしれませんが、富山のライトレールに乗ってきました。
富山市がコンパクトシティを標ぼうしていて、その一つの切り札がライトレールという認識だったのですが、これは、山の方ではなく、昔は、北前船、その後は、重工業地帯として栄えた岩瀬浜という海の方向に行く路線なのだということに、行くことになって初めて知りました。もっと、ライトレールが山の方にも延びているのかと思っていました。
ライトレールが話題になって、行ってみたいと思いながらようやく行けたのですが、なんともう10周年ということでした。
連休のさなかなのに、岩瀬浜に降り立っても人がいないので、あれまぁと思いましたが、朝早かった(といっても9時半ころ)からかもしれません。観光の目玉の回船問屋のお屋敷が立ち並ぶ通りには、そこそこ観光客もいて、見学ができる森家には、10数人の見学客が2組くらいいました。
一番面白かったのは、森家を案内・説明する高齢の女性説明員の方でした。お客さんと会う座敷では、半畳の畳があって、商売繁盛にかけているとか。我が家も畳の部屋に半畳の畳を入れようかと思いました(^o^)
自分たちの生活は、若夫婦、子供たちとそれぞれ6畳の間で質素に暮らしていたが、お客さんのトイレには、屋久島の屋久杉が使われているとか。また、雪国なのに、坪庭を見れるよう、柱のないガラス戸になっていて、それは、天井にななめにつっかえ棒があって、それが座敷の柱で支えられているとか。茶室のふすまを開けると、そこになんと金庫があって、三重の扉をあけると、大福帳が出てきて、北海道からニシンの搾りかす(肥料にする)を持って来て、それを販売したことが書かれていて、お金が未納のページを見せてくれ、払えないと田んぼをタンポにして土地を得たなどのお話をおもしろおかしく話てくれた。
ライトレールも、もともとは、回船問屋の人たちがお金も土地も提供して作った鉄道であったらしい。お金持ちが5軒ほどあって、一軒は、富山大学を一軒は北陸銀行を一軒は富山銀行を作ったなどなど。
昨日・今日と風が強く、思わず入ったお店がおしゃれなお店でした。一階がヨーロッパから仕入れた衣料、二階が喫茶店になっていて、思わず、コーヒーを頂戴しました。以前は、富山の町中にあったが、20数年前にこちらに引っ越してきたとか。「法事があって喪服ですが、良いですか」と女性3人のお客さん、店主の方は、「こういうのが地域(文化)なんだよね」と言われていました。お話ししていたら、三回忌とのこと、西東京市の人も今日来ているとか。一度入ったら、このお店が気に入って皆がまた行きたいというので来たとのこと。
回船問屋街の最初にある昆布のお店、店主の若い女性は、都会の大学に行き、きゃぴきゃぴした繁華街も大好きなのだけど、この家に育ったので、知らないうちに自然を求めていたりする。この家は、使いにくいのだけど、やっぱり心の底にこの雰囲気がある、昆布巻は、自分のソウルフードと言われていました。
富山駅に戻り、市電に乗って、商店街として力を入れている総曲輪(そうがわ)を歩いてみてみました。行政がチカラを入れており、お店の入れ替えをしたり、途中にプラザを作るなどしてにぎわいを作ろうとしているようです。できて半年という和風小物のお店でシールを購入、少し歩いたところのレストランで昼食し、緑の羽に募金し、富山城を見て帰りました。商店街には、学生さんたちが面白いことを仕掛ける拠点「MAG.net」などもありました。
何かいろいろ工事も行われていましたが、富山は、どうも「官」くさい感じで好きになれません。もともとは、岩瀬のように、民の財がベースになってまちが作られていたのに、どうしてなんだろう?
写真1:ライトレール
写真2: お洒落なお店、COMMON天下堂
写真3:昆布や昆布巻を打っているお店、野村商店
写真4:森家の半畳、 立派な梁、桜の木の天井(龍に見えるとか)、柱のないガラス戸、金庫、肥料大福帳、屋久杉を使った客用トイレ
写真5:街並み
写真6:富山湾風強し
写真7:立山?新幹線の中から撮りました(撮れないかとおもったら、それなりに)
写真8:富山城
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