1.「ソメ研」が母体
田無スマイル大学は、2012年3月に「地域イノベーター養成講座」を始めたことからスタートした。足掛け3年目になる。
2010年12月に発足した「田無ソーシャルメディア研究会(通称ソメ研)」というゆるい会が母体だ。ソメ研とは、サラリーマンで日ごろは、地元では寝るだけだが、それだけでなく、まちを面白くしたいと思う人たちが集まっていた。日ごろはなかなか会えないので、ソーシャルメディアを活用しながら時々集まって面白いことをしようということだった。これは、途中で名前を変えて、現在は「ソーグッド西東京」となっている。
私も、それまでは、いわゆる会社勤めだったので、田無で生まれ育ったけれども、地元とはほとんど縁がなかった。たまたま、大学院で1コマ「地域イノベーション論」という講義を受け持っていたものの、母の介護で動けず、各地の目覚ましい動きなどを二次情報で知る程度の知識しかなかった。地域活動で活発なケースに足を運ぶこともなく、かつ地元で活動もしないで講義をするのに忸怩たる思いがあった。
ちょうど、地域の活動情報を得るために入会していたメーリングリストで「田無で活動を始めた」という話を知り、お仲間に入れてもらった。
このメンバーとは、市民祭りで「西東京野菜を使った鶏鍋」を販売したり、アースディなどを使って「スマイルフォト100」を作成したり、メンバーの奥様の振り付けで「スマイルダンス」のビデオを作ったりしていた。
要は、誰かが言い出して、「それ面白いね」と思った人たちが手伝うという形で気楽に活動していた。
2.スマ大のスタート
そんななか、大学院の授業のために集めた資料や知識を8日間(1日に2時限分実施)しか使えないのがもったいなくて、これを活かして地元でもなにかやってみたいと思うようになった。
当時「ソメ研」の代表をしている鈴木剛さんと相談し、地元でやるなら、もう少し実践的にしよう、30代40代が集まるようチラシに年齢制限を入れようなどとアイデアを膨らました。チラシを公民館などに配布したものの、ほとんどは、鈴木さんのフェイスブック「友達」を中心に呼びかけることから始めた。どんな人たちが集まるのか、どんなことになるのか不安だらけで始めた。
ところが、鈴木さんの「友達」が素晴らしかったのか、10人くらいの人が集まってくれた。なかには、町田や伊勢原から毎日曜日欠かさず出席の方もおられた。その上、ソメ研のメンバーも参加してくれ、毎回20名くらいが集まった。
会場となった「仙人の家」の雰囲気もとてもアットホームで良かった。
集まってきた方々は、何か課題を抱えており、頭を整理したり、背中を押してもらいたいと思っていた方々だった。集まった受講生相互やソメ研メンバーが彼らのプレゼン(悩みややろうとしていること)に対して喧々諤々議論することが自然発生的に起こり、それぞれがいろいろな発見をして盛り上がった。この方式は、私が北海道に居たころに私的な勉強会に出ていて、当時北大の金井一頼先生が「まな板の鯉」と呼んでいたものだ。毎回誰かがまな板の鯉になって皆に料理された。
完全に成功した先輩ではなく、数歩先をあるいている先輩起業家(さまざまな活動の先輩)の話を聞き、その方々が今抱えている問題について皆で考えるということをしたのも良かったかもしれない。あんなにすごい人たちもこんなことで悩んでいるんだというように何か始めることがそんなにハードルの高いことではないという自信をつけさせてくれた。
「地域イノベーター養成講座」は、3月・4月と6月・7月の2回実施し、参加者も私たち企画者も、始める前の不安が大きかったこともあって、とっても充実した気分で終了できた。
3.未来(あったらいいな)から考える
当時、私は、アメリカの社会起業家のことを齧っていて、彼らが、現状の課題からものを考えるのではなく、未来(あったらいいな)を描き、そのためには、何をしたらよいかと考える「バックワード・マッピング」という方法を取っているのを知って、田無スマイル大学の考え方も、これを推奨していた。同様に、鈴木剛さんも、あったらいいなをシナリオに描くことで成功した事例(スープストックなど)に興味を持っていた。
その頃、「フューチャー・センター」とか「フューチャー・セッション」という言葉が流行り始めており、ある問題に係る人々(ステークホルダー)が集まって、未来の姿を描き、そこから現在までのプロセスを考えるということだった。
これは、まさに、田無スマイル大学が4ヶ月間やってきた、未来から考えるのと同じではないかと思い、早速、私たちもやってみようということになった。
最初のテーマは、「子ども」にすることとし、これを実施しようと思う人たちが自発的にスタッフとなって企画を練った。その結果、フューチャー・セッション@西東京「10年後、私たちがもっとワクワクするまちについて、話してみよう!」第1回「未来を担う子ども」とても長いタイトルになった。
賛同者がそれぞれスタッフ的な役割を果たし、知人に声かけをしてくれ、老若男女さまざまお立場の人たちが40人くらい集まった。対話を学ぶグループを主宰している方(通称ハルさん)がファシリテーターもやってくれることになった。
こうして、立て続けに、第2回「防災」(避難所運営ゲーム:HUG)、第3回「眠れる人財の活用」、第4回「公共空間のデザイン」とフューチャー・セッションを実施した。
特に、3.11以降、防災への関心が強まり、ゆめこらぼ(市民協働推進センター)がNPOなどのテーマ型だけでなく、自治会やふれまちなどの地縁型と連携したいという意図もあって、公民館やふれまち、小中学校ごとの避難所運営協議会等々でHUGを実施することになった。
4.話すだけでなくDOへ
フューチャー・セッションでは、いろいろな年代や立場の人と話し合い、大いに頭が活性化されて参加者は興奮し、満足してくれる。しかし、なかなか、そこから次のステップ(具体的な動き)につながらないというのが気になってきた。しかし、そもそも昼間は、会社勤めをしていたり、自らNPOなどをやっている人たちの集まりなので、集まるにしても、日程調整が難しい、結局年金生活者だけしか動けないのが現実だ。
また、漠然とした仲間意識はあるものの、関心事が一つに絞れているわけではない。環境や子育て、高齢者ケアなどは、それぞれ専門にやっている人たちがいる。
5.とりあえずネット上での情報発信へ
具体的な活動には、なかなか結び付けられないので、結局ネットを使って情報発信をしてみようということになった。
則武さんをリーダーに「情報発信部会」を設け、この動きに賛同する仲間が集まって月一回は、集まり、方向性を決めている。
新しく、「田無スマイルCafe-ゆっくり暮らす、西東京から情報発信」というFBとHPを作成し、西東京エリアのさまざまな情報発信をしはじめた。
西東京市は、田無市と保谷市が10年ほど前に対等合併してできた新しい市なので、知名度が低く、どこにあるのと言われることが多い。
また、工場跡地に大きなマンションが建つなど、新しい住人も増えている。これらの人たちに愛着も持ってもらいたいという気持ちもあった。
この情報発信の効果がどれくらいあるかを図る目的で、2013年の市民祭りには約100人にアンケートをして、西東京市への印象などを聞いたりもした。
結果、愛着を持っている人が結構多いことが分かったが、これをさらにアップできたらと思っている。
また、アースディ他を活用して、「スマイルフォト100」のパートⅡも作成した。
現在は、西東京エリア(行政区に限らず、自転車や散歩で行くエリア)の風景写真投稿、珍風景、勝手に部活と称して、ユニークな人、美味しいパン屋、散歩での発見などの多様な部活の記事もアップしている。
田無スマイル大学は、2012年3月に「地域イノベーター養成講座」を始めたことからスタートした。足掛け3年目になる。
2010年12月に発足した「田無ソーシャルメディア研究会(通称ソメ研)」というゆるい会が母体だ。ソメ研とは、サラリーマンで日ごろは、地元では寝るだけだが、それだけでなく、まちを面白くしたいと思う人たちが集まっていた。日ごろはなかなか会えないので、ソーシャルメディアを活用しながら時々集まって面白いことをしようということだった。これは、途中で名前を変えて、現在は「ソーグッド西東京」となっている。
私も、それまでは、いわゆる会社勤めだったので、田無で生まれ育ったけれども、地元とはほとんど縁がなかった。たまたま、大学院で1コマ「地域イノベーション論」という講義を受け持っていたものの、母の介護で動けず、各地の目覚ましい動きなどを二次情報で知る程度の知識しかなかった。地域活動で活発なケースに足を運ぶこともなく、かつ地元で活動もしないで講義をするのに忸怩たる思いがあった。
ちょうど、地域の活動情報を得るために入会していたメーリングリストで「田無で活動を始めた」という話を知り、お仲間に入れてもらった。
このメンバーとは、市民祭りで「西東京野菜を使った鶏鍋」を販売したり、アースディなどを使って「スマイルフォト100」を作成したり、メンバーの奥様の振り付けで「スマイルダンス」のビデオを作ったりしていた。
要は、誰かが言い出して、「それ面白いね」と思った人たちが手伝うという形で気楽に活動していた。
2.スマ大のスタート
そんななか、大学院の授業のために集めた資料や知識を8日間(1日に2時限分実施)しか使えないのがもったいなくて、これを活かして地元でもなにかやってみたいと思うようになった。
当時「ソメ研」の代表をしている鈴木剛さんと相談し、地元でやるなら、もう少し実践的にしよう、30代40代が集まるようチラシに年齢制限を入れようなどとアイデアを膨らました。チラシを公民館などに配布したものの、ほとんどは、鈴木さんのフェイスブック「友達」を中心に呼びかけることから始めた。どんな人たちが集まるのか、どんなことになるのか不安だらけで始めた。
ところが、鈴木さんの「友達」が素晴らしかったのか、10人くらいの人が集まってくれた。なかには、町田や伊勢原から毎日曜日欠かさず出席の方もおられた。その上、ソメ研のメンバーも参加してくれ、毎回20名くらいが集まった。
会場となった「仙人の家」の雰囲気もとてもアットホームで良かった。
集まってきた方々は、何か課題を抱えており、頭を整理したり、背中を押してもらいたいと思っていた方々だった。集まった受講生相互やソメ研メンバーが彼らのプレゼン(悩みややろうとしていること)に対して喧々諤々議論することが自然発生的に起こり、それぞれがいろいろな発見をして盛り上がった。この方式は、私が北海道に居たころに私的な勉強会に出ていて、当時北大の金井一頼先生が「まな板の鯉」と呼んでいたものだ。毎回誰かがまな板の鯉になって皆に料理された。
完全に成功した先輩ではなく、数歩先をあるいている先輩起業家(さまざまな活動の先輩)の話を聞き、その方々が今抱えている問題について皆で考えるということをしたのも良かったかもしれない。あんなにすごい人たちもこんなことで悩んでいるんだというように何か始めることがそんなにハードルの高いことではないという自信をつけさせてくれた。
「地域イノベーター養成講座」は、3月・4月と6月・7月の2回実施し、参加者も私たち企画者も、始める前の不安が大きかったこともあって、とっても充実した気分で終了できた。
3.未来(あったらいいな)から考える
当時、私は、アメリカの社会起業家のことを齧っていて、彼らが、現状の課題からものを考えるのではなく、未来(あったらいいな)を描き、そのためには、何をしたらよいかと考える「バックワード・マッピング」という方法を取っているのを知って、田無スマイル大学の考え方も、これを推奨していた。同様に、鈴木剛さんも、あったらいいなをシナリオに描くことで成功した事例(スープストックなど)に興味を持っていた。
その頃、「フューチャー・センター」とか「フューチャー・セッション」という言葉が流行り始めており、ある問題に係る人々(ステークホルダー)が集まって、未来の姿を描き、そこから現在までのプロセスを考えるということだった。
これは、まさに、田無スマイル大学が4ヶ月間やってきた、未来から考えるのと同じではないかと思い、早速、私たちもやってみようということになった。
最初のテーマは、「子ども」にすることとし、これを実施しようと思う人たちが自発的にスタッフとなって企画を練った。その結果、フューチャー・セッション@西東京「10年後、私たちがもっとワクワクするまちについて、話してみよう!」第1回「未来を担う子ども」とても長いタイトルになった。
賛同者がそれぞれスタッフ的な役割を果たし、知人に声かけをしてくれ、老若男女さまざまお立場の人たちが40人くらい集まった。対話を学ぶグループを主宰している方(通称ハルさん)がファシリテーターもやってくれることになった。
こうして、立て続けに、第2回「防災」(避難所運営ゲーム:HUG)、第3回「眠れる人財の活用」、第4回「公共空間のデザイン」とフューチャー・セッションを実施した。
特に、3.11以降、防災への関心が強まり、ゆめこらぼ(市民協働推進センター)がNPOなどのテーマ型だけでなく、自治会やふれまちなどの地縁型と連携したいという意図もあって、公民館やふれまち、小中学校ごとの避難所運営協議会等々でHUGを実施することになった。
4.話すだけでなくDOへ
フューチャー・セッションでは、いろいろな年代や立場の人と話し合い、大いに頭が活性化されて参加者は興奮し、満足してくれる。しかし、なかなか、そこから次のステップ(具体的な動き)につながらないというのが気になってきた。しかし、そもそも昼間は、会社勤めをしていたり、自らNPOなどをやっている人たちの集まりなので、集まるにしても、日程調整が難しい、結局年金生活者だけしか動けないのが現実だ。
また、漠然とした仲間意識はあるものの、関心事が一つに絞れているわけではない。環境や子育て、高齢者ケアなどは、それぞれ専門にやっている人たちがいる。
5.とりあえずネット上での情報発信へ
具体的な活動には、なかなか結び付けられないので、結局ネットを使って情報発信をしてみようということになった。
則武さんをリーダーに「情報発信部会」を設け、この動きに賛同する仲間が集まって月一回は、集まり、方向性を決めている。
新しく、「田無スマイルCafe-ゆっくり暮らす、西東京から情報発信」というFBとHPを作成し、西東京エリアのさまざまな情報発信をしはじめた。
西東京市は、田無市と保谷市が10年ほど前に対等合併してできた新しい市なので、知名度が低く、どこにあるのと言われることが多い。
また、工場跡地に大きなマンションが建つなど、新しい住人も増えている。これらの人たちに愛着も持ってもらいたいという気持ちもあった。
この情報発信の効果がどれくらいあるかを図る目的で、2013年の市民祭りには約100人にアンケートをして、西東京市への印象などを聞いたりもした。
結果、愛着を持っている人が結構多いことが分かったが、これをさらにアップできたらと思っている。
また、アースディ他を活用して、「スマイルフォト100」のパートⅡも作成した。
現在は、西東京エリア(行政区に限らず、自転車や散歩で行くエリア)の風景写真投稿、珍風景、勝手に部活と称して、ユニークな人、美味しいパン屋、散歩での発見などの多様な部活の記事もアップしている。
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