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「ピーポー」の愛称で親しまれ77年になります。
通勤・通学の足として倉敷市中心部と水島を結ぶ水島臨海鉄道です。
1943(昭和18)年の開業時は、旧三菱重工水島航空機製作所の従業員や資材等を運ぶための専用鉄道として運行されていました。
当時、牽引していた蒸気機関車の汽笛音「ピーポー」が愛称となり、今もその名で親しまれています。1948(昭和23)年に地方鉄道の営業を開始。現在は倉敷市駅―三菱自工
前駅を10駅で結んでいます。(倉敷観光WEB)
連れ合いも初めての勤務地が水島で「ピーポー」を利用していたと言います。
写真友達も「ピーポー」に乗って通勤していたと言います。
昔から馴染みが有るのですね。
水島臨海鉄道 浦田~弥生
3091レ DE70-1
イルカコンテナ
POISON 語彙力の低い自分の英語知識の中で「毒」じゃ無かったかな?
倉敷市行き MRT302
女性運転士は水島臨海鉄道では初めてです。
キハ37-102&103 三菱自工前行き
カメラ レンズ:Nikon D5 70-300㎜(f/4.5-5.6) 現像:DxOPhotoLab&Photoshop
沿線の皆さんは、慣れっこなのでしょうね。
通勤通学の足として頑張っているのだから、少し
お化粧して綺麗に見せてほしい・・なんて思いました。
POISONはい、毒物ですね。化学記号で書けば
もっと分かりやすいのに残念!
いかにも引退前って感じです
いろんな客車が走ったのですね
わあ~戦前でしたが生まれが同じダ~(^_-)
>1948(昭和23)年に地方鉄道の営業を開始。
在来の市駅は倉敷駅から離れていましたが、昭和31年中洲小卒業の同窓会を平成27年5月末から一泊二日の鷲羽山や令和1年5月18日倉敷駅前でやったときにも駅移動を確認しています!
当時の倉敷市駅に、停まっていた汽車は軽便鉄道でしたね!
ここのように住宅地の間を走っている区間はきわめて短いです。
他は高架を走っています。そのため、此処などは撮影スポットとして人気です。
江ノ電のようなことはありませんよ(^^)。
沿線の皆さんは、慣れっこです。洗濯物干していたり、窓を開けっぱなしにしています。
株主は当市とJR貨物と当県で80%以上占めています。
都会と違って先ずセンスとお金がねー。
時々ヘッドマークを付けるぐらいです。最後のオレンジツートンは大人気です。
POISONはやはり毒物ですね。
化学記号はH2Oぐらいだったら分かりますが(^^)。
DE701昨日も走っていますが、いつまで走りますかね?
DD200-15が岡山機関区構内で試運転していますね。これが代わるのでしょうか。
いかにも引退間近な感じがします。
ちょっとの間にいろんな客車が走りました。
昭和18年の開業時に生まれられたんでしたね。
その頃は物心ついておられたら大変だったでしょうね。
航空機の製作所が有ったので敵機もよく飛んで来ていたんでしょうか。
在来の市駅は倉敷駅から離れていたのですね。
今は倉敷駅に近くなったのですね。
汽車は軽便鉄道でしたか?見てみたかったです(^^)。