異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

安倍政権が「神武天皇は実在した」を本気で喧伝、産経もトンデモ神武本出版! 神話で国民を支配するカルト国家化 〔リテラ2016.11.17〕

2016-11-18 09:11:00 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

http://lite-ra.com/2016/11/post-2707.htmlより転載

安倍政権が「神武天皇は実在した」を本気で喧伝、産経もトンデモ神武本出版! 神話で国民を支配するカルト国家化

2016.11.17
abeabe_150910_top.jpg
安倍晋三公式サイトより


 とうとう、ここまできたか──。日に日にエスカレートしていく安倍政権の歴史修正主義だが、いよいよ連中は「神武天皇は実在した」なるトンデモまで喧伝しだしたらしい。

 念のため最初に言っておくと、神武天皇は8世紀の「古事記」「日本書紀」(あわせて記紀という)を基にした“初代天皇”だが、もちろん実在したとは立証されておらず、ときの政治権力である朝廷がその支配の正当性を説くために編み出した“フィクション”というのが歴史学の通説だ。

 ところが最近、安倍政権周辺から「神武天皇は実在の人物でその建国の業績を讃えるべき」という主張が次々飛び出してきているのだ。

 自民党の三原じゅん子参院議員が、先の参院選投開票日のテレビ東京の選挙特番で、VTR取材中に「神武天皇の建国からの歴史を受け入れた憲法を作りたい」と発言していたことについて、MCの池上彰から神武天皇は実在の人物だったとの認識かを問われ、「そうですね。そういう風に思ってもいいのではないか」と“珍回答”。池上が呆れて「学校の教科書でも神武天皇は神話の世界の人物ということになってますが?」とツッコんだのは記憶に新しい。

 このトンデモ発言にはさすがの有権者も「まあ、三原じゅん子だから」と一笑に付したが、しかし、どうもこの神武天皇実在論は、安倍政権の中枢にしかと根付いているようだ。

 たとえば今月、11月3日の「文化の日」を「明治の日」に改称すべしとの運動を展開している「明治の日推進協議会」なる団体が都内で決起集会を行った。同団体の役員名簿には小田村四郎、小堀桂一郎、大原康男、伊藤哲夫、百地章など、おなじみの日本会議系人物がちらつく。その集会に、安倍首相の盟友である古屋圭司自民党選対委員長、稲田朋美防衛相らが参加。稲田は壇上でこう息巻いたという。

「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった。その精神を取り戻すべく、心を一つに頑張りたい」(朝日新聞11月2日付)

 ……おいおいマジかよ?と突っ込まざるをえないが、この安倍政権の神武天皇ゴリ推しを“機関紙”の産経新聞もバックアップしている。今年8月には『神武天皇はたしかに存在した』(産経新聞取材班/産経新聞出版)なる書籍を出版。記紀にある日向(現在の宮崎県)から大和(奈良県)までの「神武東征」を追いかけるルポだが、完全に神武実在が前提になっており、置いてけぼり感満載の一冊に仕上がっている。

 しかし、繰り返すが、神武天皇について直接的に伝えるのは記紀だけであり、その記述は完全に“神話”の域を出ないものだ。たとえば「日本書紀」の記述は天地開闢から始まる神武以前が神代、神武以降が人世の歴史とされているが、明治政府は神武天皇即位の年=皇紀元年を紀元前660年とした。実に縄文時代後期である。

 そんな、人々はもっぱら狩猟採集生活で文化といえば土器みたいな時代に、神武天皇は「天下を治めるためには東に行けばいいんじゃないか」と思いついて、大和までの長い旅に出たというのだが、記紀が描く道中の出来事はあからさまに現実味がない。

 たとえば、亀の甲羅に乗った釣り人(地元の神)に明石海峡から浪速までの海路を案内してもらったり、突如、助っ人が神のお告げで天の神がつくった剣を持ってきてくれたり、かと思えば神の仰せで八咫烏が吉野まで先導してくれたり、はたまた天の神がやってきて証拠の宝物を見せて神武に仕えたりと、「史実」とみなすには神がかり過ぎている。

 さらにいえば、神武を含む古代天皇の年齢も解釈に苦しむ。たとえば「日本書紀」によれば、神武天皇崩御時の年齢は127歳で、「古事記」では137歳とある。そんな超長寿なんてありえないだろう。年齢を2で割ると丁度良くなるとする説もあるが、すると逆に皇紀自体がおかしくなってくる。なお、初代天皇となった神武の後を継いだ綏靖天皇から開化天皇までの8人については、なぜか、その実績がほとんど記されていない。この「欠史八代」はあまりにも有名な記紀の謎として知られている。

 結局のところ、神武天皇及び欠史八代は創作で“虚構の天皇”だとするのが一般的な古代史研究者の見解である。では、なぜ安倍政権はいま、こんな神武天皇実在説というトンデモを言いふらしているのか。

 その目的を、前述した稲田朋美の「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神」という言葉が、端的に表している。

 実は、神武天皇の陵墓は、たとえば天武、天智、持統天皇などの陵墓と比べて軽視されており、中世まで始祖として崇め奉られていた形成はほぼない。それが一転、江戸中期の国学を経て尊皇思想の核となり、明治維新は王政復古の建前のもと幕府を転覆させた。ようは、“クーデター”のため「万世一系」たる天皇の権威を超越的なものとして再興し、利用したのだ。

 また、このとき明治政府は、それまで民間信仰であった神道を天皇崇拝のイデオロギーとして伊勢神宮を頂点に序列化、“日本は世界無比の神の国”という「国体」思想を敷衍した。そうした流れのなかで、日本書紀などについて批判的研究を行った津田左右吉に対し、東京地検が尋問を行い、『神代史の研究』など4冊を「皇室ノ尊厳ヲ冒涜シ、政体ヲ変壊シ又ハ国憲ヲ紊乱セムトスル文書」として発禁押収。後日、津田と版元が出版法違反で起訴されるという事件も起きている(佐藤卓己『物語 岩波書店百年史』2巻/岩波書店)。

一方、1945年の敗戦後にGHQが神道指令を発布、国家と神社神道の完全な分離を命じると、津田の学説は学会の主流派となり実証主義的な記紀研究が活性化。その蓄積を踏まえ、今日では神武天皇は実在しないというのが定説となっているわけだが、これを面白く思わないのが日本会議ら極右界隈と、それに支えられる安倍政権だ。

 彼らにとって天皇は「万世一系」でなければならない。それは前述のとおり、日本を万邦無比の「神国」とし、天皇を超越的な存在として再び支配イデオロギーの頂点に置いて政治利用するために他ならない。だからこそ、記紀は史実であり、神武天皇は実在すると主張するのだ。

 すると必然的に、神武天皇は記紀にあるように神話的でありながら同時に存在を認めるという、矛盾めいたことになる。三原じゅん子が「神話の世界の話であったとしても、そう(実在したと)いう考えであってもいいと思う」と池上彰に応答したのはまさに典型だ。ようは政治的な目的ありき。だからこういう発言になる。

 事実、安倍晋三は下野時の2012年、民主党(当時)による女性宮家創設議論および皇室典範改正に反対し、こう述べていた。

「私たちの先祖が紡いできた歴史が、一つの壮大なタペストリーのような織物だとすれば、中心となる縦糸こそが、まさに皇室であろう」
「二千年以上の歴史を持つ皇室と、たかだか六十年あまりの歴史しかもたない憲法や、移ろいやすい世論を、同断に論じることはナンセンスでしかない」(「文藝春秋」12年2月)

 見ての通り、立憲主義もクソもない。こんな人間がいま日本の総理であることにあらためて戦慄するが、一方、安倍のブレーンである八木秀次が天皇・皇后の護憲発言に対して「宮内庁のマネジメントはどうなっているのか」と猛批判したように、実際には、安倍は天皇に対する敬愛などほとんどもっていない。そこにあるのは、天皇の政治利用、もっと言えば、皇国史観と「万世一系」イデオロギーの復活による大衆支配の欲望だけだ。

 そう考えてみてもやはり、わたしたちは表出する神武天皇実在論を笑って済ませておくわけにはいかない。戦前回帰を目論む安倍政権のプロパガンダの一種として、十分に警戒しておく必要がある。
宮島みつや

 

 

 


櫻井よしこという逆賊に告ぐ!…尊皇を騙りながら、天皇陛下の願いを踏みにじる逆賊(小林よしのり2016.11.15)

2016-11-16 22:08:35 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOShttp://blogos.com/article/198077/より転載

櫻井よしこという逆賊に告ぐ!

2016年11月15日 09:42

政府の「生前退位 有識者会議」のヒアリング2回目で、
「摂政でいい、終身天皇が安定的だ」とデタラメ言ってる無知な櫻井よしこを昨晩、テレビで見たが、つまりこういうことだ。

「認知症になっても天皇を続けろ。息してるだけでいい。」

「香淳皇后のように、認知症でメディアに全然現れなくなっても、まだ生きてるらしいという噂だけの存在になってもいい。」

「天皇の尊厳が失われてもいい。」

「天皇を見たこともない子供が育ってきてもいい。」

「皇太子を摂政にして、外国を訪問するときは天皇の代理扱いでいい。祝砲も21発ならなくていい。相手国の元首に会うときも、対等な関係にならなくて、礼を失しても構わん。」

「天皇が認知症のまま100歳まで生きたら、皇太子は摂政のまま80歳近くになってもいい。」

80歳近くの天皇が誕生して、ほとんど天皇の仕事の業績が残せないまま、崩御してもいい。」

「次の天皇と秋篠宮と、どちらが先に亡くなるか、分からない状態になってもいい。」

「皇太子殿下も不在のままで、30年以上が経過してもいい。」

0歳の子が30歳になるまで、年老いた摂政しか見たことがなくて、天皇という存在も、皇太子という存在も知らないままでいい。」

「国民の皇室への関心がどんどん薄れてきて、なくてもいいという世論が多くなるのは必至だが、それでもいい。」 

これが櫻井よしこの主張である。恐らく想像力が欠如していて、ここまでのシミュレーションをしてないだろう。考えなしのエセ保守なのだ。自分の主張が、皇統を滅ぼす結果にしか繋がらないことが分かってないのである。頭が悪いのか、歳をとり過ぎたのだ。たとえ自分が「男系固執者」であっても、皇統の未来を真剣に考える態度がないのならば、保守ではない。天皇制をなくすべきという左翼の方がよっぽどマシである。

尊皇を騙りながら、天皇陛下の願いを踏みにじる逆賊というのが一番腹が立つ!
地獄に堕ちろ!

 

 ****************************:

 

 

 


わたしにとって、最も憎むべき社会体制とは、戦前の日本です。〔思索の日記 武田康弘 2016.11.15〕

2016-11-16 03:20:31 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/c827dcb75755db61169aa494e03ebf1bより転載

思索の日記 

わたしにとって、最も憎むべき社会体制とは、戦前の日本です。

2016-11-15 |武田康弘 

天皇を生きている神(現人神)として、学校で生徒たちに強制的に拝ませ、天皇の前に拝跪することをもとめた国家とは、わたしにとって、言語に絶する憤りの対象でしかなく、唾棄すべき社会体制というほかありません。嘔吐をもよおすします。

近代の国家でこれ以上に狂った思想はないでしょう。ヒトラーの国家社会主義(ナチズム)とて、思想としては、〈人間を神とする国家カルト〉などではありません。ヒトラーは一独裁者に過ぎませんでした。政府が皇族を神の系譜と定め、その下に全国民を置くという凄まじい国家宗教は、それに反対する者を社会的に、また肉体的に抹殺しました。

これは、忌むべき国家思想と社会体制であり、民主的倫理、個々人の自由と対等性に基づく「普遍的な人間性」とは最も遠い思想、おぞましいイデオロギーですが、これを仏陀の根本思想=みなが唯我独尊であるという仏教国で断行したのですから、ただただ驚き呆れ返るほかありません。

わたしは、この種の思想=皇室崇拝や天皇主義というイデオロギーをもしも学校教育の中に復活させるような政府が出現すれば、全実存をかけ、あらゆる手段を用いて闘います。

明治維新政府のつくった【国体思想=靖国思想=天皇現人神思想】と親和性をもつ思想は、民主政(民主的倫理に基づく)とは二律背反です。

その戦前思想に基づく国家を大戦時に支えたのが、東条英機であり、岸信介安倍晋三が敬愛する祖父)です。わたしは、戦前思想による政府がつくった社会体制は、不倶戴天の仇敵と思っています。戦前のふつうの多くの人々にとっても、敗戦は息苦しい国家主義からの解放だったのでしょう。英・中・米による「ポツダム宣言」受諾で無条件降伏し、連合国(実際はアメリカ一国)に統治されても、「戦勝国に恨みを抱く」ことがなかったのは当然です。


敗戦は、「国家カルト教」による軍国主義の狂気からの解放でした。
明仁さんはそれをよく弁えているので、いまの安倍政権の復古思想に反対しているわけです。民主政は世界的に普遍的なもので、国体思想は恐ろしい悪夢でした。亡霊を復活させてはなりません。


shirakabatakesen

 

 

 

武田康弘 『白樺文学館』初代館長

 

 

 


「皇族も特別扱いはしない、対等な個人として遇する」 白樺派・民藝館の柳宗悦・兼子〔思索の日記 武田康弘〕

2016-11-06 23:54:19 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

思索の日記

http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/3d5478084f16e790982692a597639656より転載

「皇族も特別扱いはしない、対等な個人として遇する」 白樺派・民藝館の柳宗悦・兼子

2016-11-05 | 社会思想
 
武田 康弘 白樺教育館 館長

1947年(昭和22年)10月に、昭和天皇と皇后、12月に皇太后が『日本民芸館』を訪問しました。
柳宗悦は、皇族訪問に先立ち、宮内庁から宮中で説明するように求められましたが、「民芸館の説明ならこちらに来られた時にすればよい」と断りました。

また、近所の人たちが並んで出迎えることも嫌がりました。 「特別扱いはしない」と。

宗悦の権力や権威に媚びない態度は、日本最高のリート歌手であり民芸運動を支えた夫人の兼子さんもそっくり同じで、たとえ皇族であろうとも、「対等な個人」である客として遇するのが当然だとする考えの持ち主でした。



※楷書の絶唱『柳 兼子伝』(松橋桂子著・1999年水曜社刊 )より。

柳宗悦と兼子さんのような考えと態度が、健全=健康な人間としての日本人になるには求められるのだと思います。

誰もがみな、ただ われひとり とうとい(「天上天下唯我独尊」=ブッダの根本思想)という堂々とした人生=品位の高い人間としての意味と価値をもった人生を歩むこと、一度きりの人生を存分に生きること、それが何よりも大切です。

何時までも、生まれながらして不平等=差別のある国ではいけませんよね。

・・・・

 

 

 


皇族の特別扱いをやめないと、日本は嘘と建前の国から抜けられません。三笠宮の言う通り「紀元節の大ウソ」。〔思索の日記 武田 康弘〕

2016-11-04 15:00:36 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/dca1883bbdc8893f0a63c5f912a68e62より転載

思索の日記 2016-11-04 

皇族の特別扱いをやめないと、日本は嘘と建前の国から抜けられません。三笠宮の言う通り「紀元節の大ウソ」。

同じ人間として生まれ、
女として、男として生まれ、
でも、
皇族と呼ばれる家に生まれると、赤ちゃんから老人となり死ぬまで特別の敬語で遇され、多額の生活費が税金で賄われる。

これほどおかしな話は他にないでしょう。

これでは、こどもたちに、倫理も道徳も教えられません。
人間性の豊かさは、一人ひとりの自由と平等に立たなければ、正しく伸びることがありません。

 

はじめから不平等で、それが「正しい」と言えば、自由も平等もウソであり、欺瞞であり、建前にすぎないことを、こどもの頭に刷り込むことにしかなりません。
「あなたもわたしも同じ人間」というのが、ただのお話に過ぎないというのでは、倫理・道徳の大元が消えます。健全な教育は、元から成立しません。

差別は当然、という道徳では、民主的倫理は死んでしまいます。どうやっても精神の健康な国にらず、「嘘と建前で生きることが正しい」という人間をこしらえてしまいます。

 

「皇族とは昔からあるので、すぐなくせないけれど、だんだんと市民社会に溶け込ませる必要があるので、まだ時間がかかるのだよ。というように教えることができるような状況をつくらないと、わが日本には、永遠に民主的倫理は成立せず、永遠に非民主国に留まるほかありません。

 

ほんとうに「自由・平等・博愛」をめがけることのできる国=こころの底から「公共性」を尊ぶ国になるには、差別を当然とする国柄(明治維新政府がつくった国体)をチェンジする必要があるはずです。

 

現天皇の明仁さんも明治維新政府がつくった天皇主義(靖国思想=国体思想)を、「国民主権の民主政=近代市民社会」へ適合するように穏やかに変えること=皇室を特別扱いしない=を望んでいるのは明白です。

ウソで固めた(神話上の神武天皇からはじまる!) 「紀元節」という狂気については、亡くなった昭和天皇の弟の三笠宮宣仁さんが明言していた通りです。ニッポンウヨク思想は、もう、いい加減にしないといけません。思想という名にすら値しないのですから。