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安倍官邸が天皇“お気持ち表明”に報復人事! 宮内庁に子飼いの公安警察人脈を送り込み天皇を監視、封じ込め〔リテラ 2016.9.28〕

2016-09-30 00:17:38 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

LITERA/リテラ 本と雑誌の知を再発見

http://lite-ra.com/2016/09/post-2589.htmlより転載

安倍官邸が天皇“お気持ち表明”に報復人事! 宮内庁に子飼いの公安警察人脈を送り込み天皇を監視、封じ込め

2016.09.28
 
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宮内庁「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」より


「まるで安倍官邸が『天皇封じ込め』のために、刺客を送り込んだような人事だ……」

 こうつぶやいたのは、元宮内庁詰めのベテラン記者。宮内庁は9月23日、風岡典之長官が26日付で退任し、山本信一郎次長が長官に昇格、後任の次長に内閣危機管理監だった西村泰彦氏(第90代警視総監)を充てる人事を発表した。宮内庁長官は通常、70歳の節目に交代し、次長が昇格する。風岡氏は今月70歳を迎えたのでその意味では通例通りのようにも見えるが、先のベテラン記者はそうではないと言う。

「通例という意味では、宮内庁幹部の異動は春に行われるというのが通例です。風岡さんも来年3月までは長官を務められると誰もが思っていた。この人事はどう見ても異常です。西村さんの次長就任も極めて異例で、警察官僚が就くのは22年ぶり。次長はまさしく『次』の宮内庁長官ですから、事務次官経験者がどこかの省の顧問などを務めてから就任するのが普通です。官邸のバリバリの危機管理監から直に宮内庁入りというのは聞いたことがない。生臭すぎる」

 生臭いどころではない。これは明らかに安倍官邸による「生前退位」問題への“報復人事”だった。その辺の事情をズバリ書いたのは、9月25日付の時事通信だ。風岡長官の退任が早まった理由について、「お気持ち表明に関し、誰かが落とし前をつけないと駄目だ」という政府関係者のコメントを紹介していた。

 たしかに、今年7月、NHKが天皇の「生前退位の意向」をスッパ抜いた際、官邸はこの動きを事前にまったく知らされておらず、「宮内庁の幹部のリーク以外にありえない、いきなり報道でぶつけてくるとは何事か」と激怒していた。その後、天皇自身による「お気持ち」の表明があった後も、官邸周辺からは「(宮内庁は)陛下が思いとどまるよう動くべきだった」(時事通信)、「宮内庁が政府の一員として動いているかどうか分からないところがある」(朝日新聞)といった声が上がるようになっていた。

 しかし、この間の生前退位をめぐる官邸と宮内庁の舞台裏を取材してみると、これは完全に八つ当たりとしか思えない。怠慢なのはむしろ安倍官邸のほうだからだ。

 実は、天皇は2010年頃から生前退位の意向を口にしており、宮内庁も2014年頃に官邸に非公式で生前退位の検討を要請していた。しかし、安倍官邸はこのとき要請に取り合わず、握り潰してしまっていたのだ。

 当時、要請を握り潰したのは、風岡長官の官邸サイドのカウンターパートで、“官邸の情報将校”の異名をもつ杉田和博官房副長官(元内閣危機管理監)だったと言われる。

 杉田氏は1966年東大法学部卒業後、警察庁に入庁。ほぼ一貫して警備・公安畑を歩み、警察庁警備局長を務めた公安のエリートだ。1997年から内閣情報調査室長を務め、2001年1月に初代内閣情報官、同年4月に内閣危機管理監になるのだが、この時の官房副長官(政務担当)が安倍晋三だった。そして、2012年の第2次安倍内閣誕生とともに杉田氏は官房副長官(事務担当)として官邸入り。以後、日本のインテリジェンスの中枢を牛耳る存在として、官邸に君臨している人物だ。

「安倍首相が側近に公安警察出身者を配置し、公安情報を使って謀略政治を展開しているのは有名な話ですが、その元締め的存在が杉田さんです。外交のための情報収集からマスコミ対策、野党対策、反政府活動の封じ込めまで一手に仕切る一方で、官邸に優秀な公安人脈をどんどん集めてきた。首相の右腕と言われる北村滋内閣情報官も元々は杉田さんの部下で、杉田さんの強い推薦があったと言われています。官邸では菅官房長官も一目置く存在で、政権の最大の要ともいう声もあるほどです」(全国紙政治部デスク)

 その杉田官房副長官は、2014年頃、風岡宮内庁長官から天皇が生前退位の意向をもち、かなり意思が固いこと、15年の誕生日記者会見でその「お気持ち」を表明する希望があることを伝えられていた。ところが、杉田官房副長官は憲法上、退位の自由が認められていないことを盾にこの要請を一蹴。風岡宮内庁長官に対して公務負担の軽減などで乗り切れ、と突き放し、15年末のお気持ち表明の計画も潰してしまったのだという。

「もちろん、杉田官房副長官は事前に安倍首相、菅官房長官に相談もしていたはず。検討拒否は、その意向を受けてのことです。ようするに、官邸は天皇陛下を甘く見ていたんですよ」(前出・元宮内庁ベテラン記者)

 実際、天皇の意思の固さは想像以上だった。この官邸の冷たい姿勢に、天皇の周辺は逆に「もう時間がない」「このままでは陛下の意向が官邸によってなきものにされてしまう」と危機感を募らせ、その結果、NHKのスクープとお気持ち表明という強硬手段に出ざるをえなくなったのだ。

 ところが、官邸はこの天皇の身を賭した訴えに対して、逆に激怒し、報復に出た。菅官房長官と杉田官房副長官は、天皇の意向を尊重し、安倍官邸の思惑に反する行動をとったとして、風岡宮内庁長官のクビをすげ替える人事を断行。時事通信に「お気持ち表明に関して、誰かが落とし前をつけないと駄目だ」とコメントした「政府関係者」も杉田官房副長官だと言われている。

 しかも、連中が考えているのは、たんなる報復だけではなかった。それがよくわかるのが、冒頭で紹介した内閣危機管理監の西村泰彦氏の宮内庁次長抜擢だ。

 西村氏は東大法学部卒、1979年に警察庁に入庁した。2013年1月には警察官僚としては警察庁長官に次ぐナンバー2の警視総監に就任するが、わずか1年弱で退官し、14年2月から内閣危機管理監に就任する。これまた、杉田副長官の推薦で安倍首相が「一本釣り」したと言われている。

「今回の人事も杉田官房副長官主導で進められた。西村氏はもともと警視庁の広報課長もやっており、マスコミにも太いパイプをもっている。この間も杉田官房副長官の手足となって、官邸でマスコミ対策も担っていた。その人脈を使って、マスコミをコントロール。天皇サイドからの情報リークの動きをあらかじめ潰そうという意図もあるのでしょう」(全国紙政治部デスク)

 さらに、西村氏の最大のミッションはズバリ「陛下のご意向潰し」だ。安倍政権にとって皇室典範の改正によって天皇の「生前退位」を認めることはもってのほかだ。なぜなら、安倍政権の支持母体である日本会議はじめとする右派の皇室観に反するからである。天皇の意向が表面化してからというもの、安倍応援団である日本会議系の学者が入れ替わり立ち替わり天皇批判を繰り返しているのは周知のとおりだ。

 政権維持のためには、天皇自身の意思を踏みにじってでも、右派勢力の意志には従わなければならない。そこで、安倍首相が着々と進めているのが、特別措置法によっていまの天皇に限って「生前退位」を認める方針だ。宮内庁人事が発表されたのと同じ23日、政府はこの問題を検討する有識者会議のメンバーを発表した。議論をまとめる座長には今井敬・経団連名誉会長が就く見通しだという。今井氏は、首相の側近中の側近といわれる今井尚哉政務秘書官の叔父で、安倍首相とも頻繁に会食を重ねている。

「有識者会議のメンバーを見ても、安倍首相に近い人脈ばかりで、皇室問題の専門家はひとりもいない。明らかに官邸の思惑通りの提言を出させようというのがみえみえです」(前出・全国紙政治部デスク)

 そしてこの有識者会議の事務局には、前述の西村氏が宮内庁を代表して参加する。つまり、有識者会議の議論もすべて官邸のコントロール下に置き、特措法での対応を既成事実化しようという魂胆なのだ。しかし、これは明らかに天皇の意思にも反する行為だ。国民世論にも逆行している。例えば、朝日新聞が9月に実施した世論調査では、91%の人が「生前退位」に賛成し、そのうち76%が「今後もすべての天皇が退位できるようにするのがよい」と答えている。

 実は、こうした天皇と安倍首相の暗闘はいまに始まったことではない。安倍は過去にも警察官僚を使って天皇の意向を握り潰そうとしたことがある。小泉純一郎政権末期の2005年、首相の私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」が「女系天皇」も認める報告書を取りまとめた。将来にわたる天皇制の維持を心配する天皇自身の意思を当時の小泉首相がくみ取ったものだと言われ、小泉首相は本気で皇室典範改正を考えていた。しかし、当時官房長官だった安倍氏は「男系男子」にこだわり、なんとか小泉首相を翻意させようと躍起だった。そのとき安倍氏の手足となって暗躍したのが、当時警察庁長官だった漆間巌氏だったと言われる。

 漆間氏は、第1次安倍政権発足後も安倍に乞われて警察庁長官として居座った。安倍政権の下で漆間氏は「北朝鮮への圧力を担うのが警察の役割」などと公言し、朝鮮総連関連など「北朝鮮が嫌がる捜査」に血道をあげた。『日本の公安警察』(講談社現代新書)の著書があるジャーナリストの青木理氏は一連の漆間氏の振る舞いを、かつての特高警察を彷彿とさせる“政治警察宣言”にも等しいと喝破している。

 そして、安倍もこの時、警察を使って政治を動かす不健全な権力運営に目覚めたのではないか。事実、これ以降、政敵や野党幹部のスキャンダルを内閣情報調査室や公安警察を使ってかき集め、メディアにリークするというのが、政権の常套手段となった。最近では、民進党代表選で浮上した蓮舫議員の二重国籍問題なども内調のリークだといわれている。

 いずれにせよ、安倍政権にとっての警察は国民の命と安全を守る組織ではなく、国民を監視・支配するための道具なのだ。

 そう考えると、今回の宮内庁人事もその一環、とみたほうがいいかもしれない。安倍政権に逆らう者をひとくくりに「敵」とみなし公安警察を使って監視する、その対象を天皇周辺にまで広げたということではないか。

 これは決してオーバーな話ではない。安倍はおそらく、憲法遵守の姿勢を鮮明にする天皇を、自分の野望を阻む最大の「敵」だと考えているはずだ。これから先、天皇は生前退位にとどまらず、公安警察出身の新しい宮内庁次長によってあらゆる民主主義的な発言を封印されてしまうことになるかもしれない。
エンジョウトオル

 

 


≪安倍政権の天皇対策≫風岡宮内庁長官を早期退官させ…次長には西村泰彦内閣危機管理監を、「官邸直送」で就任

2016-09-26 15:44:54 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

≪安倍政権の天皇対策≫
風岡宮内庁長官を早期に退官させ…次長には西村泰彦内閣危機管理監を、「官邸直送」で就任させる!!

※これで宮内庁も政権の意のままになる。独裁政権は、完全統治を実行中!!


http://www.jiji.com/jc/article?k=2016092500057&g=polより転載

官邸、宮内庁にてこ入れ=お気持ち表明で不満
2016/09/25-14:46

 宮内庁長官の風岡典之氏が26日付で退任し、山本信一郎次長が長官に昇格、後任の次長には西村泰彦内閣危機管理監が就任する。天皇陛下のお気持ち表明に至る過程で、宮内庁の対応に不満を持った首相官邸が、人事でてこ入れを図ったようだ。

お気持ち「優先的対応を」=生前退位で宮内庁長官

 宮内庁幹部の異動は春が通例で、風岡氏も当初は来年3月末まで務めるとみられていた。政府関係者は、退任が早まった理由について「お気持ち表明に関し、誰かが落とし前をつけないと駄目だ」と語った。

 陛下の生前退位のご意向が官邸に伝えられて以降、杉田和博官房副長官らは、退位の自由は憲法上認められていないと判断し、負担軽減策の検討を進めていた。そうした中で陛下のお気持ち表明の動きが表面化した。官邸は宮内庁に対し、「陛下が思いとどまるよう動くべきだった」(関係者)と辛口評価だ。


 宮内庁次長には、事務次官経験者が各省の顧問などを経て就任する例が多く、西村氏の「官邸直送」は異例。
 警察出身者の起用は22年ぶりで、同じく警察出身の杉田氏の意向が反映されたとの見方がもっぱらだ。西村氏は、来月から始まる「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の事務局に宮内庁を代表して参加する。 

 ただ、官邸サイドの思惑通りに事態が進むかは不透明だ。首相は政府内の検討について「期限ありきではない」としているが、風岡氏は21日の記者会見で「できるだけ優先的に対応していただきたい」と述べ、ことさら検討をせかした。別の政府関係者は「人を代えたらうまくいくとは限らない」との見方を示した。

 

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※現在の天皇陛下一代に限り認める特別措置法の制定を先行させる考え!

 ◆生前退位:「有識者会議」に御厨貴氏ら6人 - 毎日新聞

 ◆説|天皇陛下の生前退位/有識者会議任せにするな河北新報

生前退位問題、有識者会議発足意向。政府の言いなりになる人を集めて、有識者会議と称して権威ずけをする制度に信頼を置くのはもう止めるべきだ。

2016-09-24  

・政府は23日、生前退位の意向を強くにじませた天皇陛下のお気持ち表明を受け、新たに「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置すると発表した。

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」メンバー

今井敬・経団連名誉会長

  小幡純子・上智大法科大学院教授(行政法)

  清家篤・慶応義塾長(労働経済学)

  御厨貴・東大名誉教授(日本政治史)

  宮崎緑・千葉商科大教授(国際政治学)

  山内昌之・東大名誉教授(国際関係史)

  座長に今井氏を充てる方向だ。

・何故、このメンバーか。

 答えはすごく簡単である。政府の方針をもっともらしい理屈をつけた答申をだしてくれるからである。専門的知見があるからではない。恒久的雰囲気を与えてくれる井戸端会議、そして結論は安倍氏の意向そのものでしかない。

・朝日新聞は次の解説をつけた。

 「いずれも政府の有識者会議や審議会などの常連のメンバーだ

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【動画】象徴天皇制と天皇の人権が両立するための条件〔木村草太 『ビデオニュース・ドットコム』〕

2016-09-19 15:16:04 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

 ニュース専門インターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』
http://www.videonews.com/marugeki-talk/806/



象徴天皇制と天皇の人権が両立するための条件

木村草太氏(首都大学東京都市教養学部教授)
マル激トーク・オン・ディマンド 第806回(2016年9月17日)

 天皇陛下がご高齢や健康上の理由から象徴天皇としての責務を果たせなくなることに不安を抱いていることを、自らの言葉で語られるビデオが公表された。間接的、かつ非常に慎重な言い回しではあったが、皇太子に天皇の地位を譲る「生前退位」の意思表示だったことは明らかだ。

 世論調査などを見ると、国民の圧倒的多数は陛下の生前退位を認めるべきと考えている。しかも、大半の国民は一過的な対応ではなく、恒久的な制度にすべきだと考えていることも明らかになっている。国会の召集や外国来賓の接受に加え、被災地の慰問や戦災地の慰霊など、報道を通じて陛下の多忙さを知っている国民の多くは、齢80を過ぎた今上天皇の、そろそろ引退させて欲しいとの思いに、理解を示しているということだろう。

 しかし、天皇のあり方を規定する皇室典範という法律には、天皇が崩御した時に皇太子が天皇の地位を継ぐことが定められているだけで、生前退位に関する規定がない。だから、今上天皇の思いを実現するためには、皇室典範を改正する必要がある。

 ビデオメッセージの公表を受け、今月26日に召集される秋の臨時国会では、皇室典範の改正を含めた対応を議論することが予定されている。しかし、今のところ永田町界隈では、皇室典範の改正までは踏み込まず、特別措置法などで特例的に退位を認める一過性の対応で、切り抜けようという意見が、大勢を占めているようだ。

 皇室典範はその呼称こそ戦前のものを引き継いではいるが、民主憲法下にある戦後の日本では一つの法律に過ぎない。他の法律と同様、国会の多数決の議決によって改正ができる。圧倒的多数の国民が天皇の生前退位を支持しているのだから、単に皇室典範にその規定を書き込めばいいではないかという気もするが、事はそう簡単ではないらしい。

 そもそも天皇は憲法で政治権力の行使が禁じられているので、陛下の「お気持ち」の表明を受けて直ちに法改正に乗り出すこと自体が、天皇の政治権力の行使を認めることになる可能性があり、問題なのだという。

 しかも、一部の識者たちは、天皇の生前退位を認めること自体に強く反対している。いやしくも天皇という地位は、個人の意思でそこに就いたり就かなかったりするべきものではないと考えているからだ。だから、自らの意思による退位など、許されないのだという。そのような形で退位を認めてしまうと、将来、皇太子が即位を拒否するような事態も起きかねず、悪しき先例になることを懸念する人もいる。

 また、逆に天皇が退位した後、上皇や法王の地位に就いて院政を敷き、裏から天皇を操ることで隠然たる政治力を行使する可能性に道を開くことを心配する向きもある。

 いずれも直ちには考えにくい話ばかりのようにも聞こえるが、悠久の歴史を誇る天皇という制度に変更を加える以上、何百年、何千年の長いスパンでものを考えるべきだという主張もわからなくはない。

 ただ、不思議なのは、これまで天皇への尊崇の念を声高に説いてきた右派の人ほど、陛下自身の人権を無視するかのような発言を繰り返していることだ。天皇は恐れ多い存在であり、一個人の意思でその地位に就いたり辞めたりできるものではないということのようだが、それは見方を変えれば、この際、天皇という個人の意思などどうでもいいと言っているようにも聞こえるし、天皇には人権など存在しないと言っているようにも聞こえる。

 基本的な人権の尊重を謳う日本国憲法下で、国民統合の象徴とされる天皇に職業選択の自由や移動の自由、婚姻の自由といった基本的な人権が認められていないことに加え、高齢や健康を理由に退位する自由さえ認められていない今日の事態を、われわれはどう考えればいいのだろうか。

 現在の象徴天皇制が規定されてから約70年、日本人は象徴天皇制という名の下で、統合の象徴たる天皇の存在を享受してきた。しかし、その一方で、その制度が、天皇および天皇家という人々の犠牲の上に成り立っているという現実からは、目を背けてきた。そして、今上天皇がご高齢となり、健康にも不安を覚えるようになった今、われわれは否が応にもその問題に向き合わなければならなくなった。

 天皇の発言を受けて法改正をするのは、天皇が政治権力を行使したことになるため、憲法に抵触する恐れがあるとの指摘もあるようだが、そもそも天皇陛下ご自身が、自ら制度変更の必要性を訴え出なければならないほどに事態が切迫するまで、この問題を放置してきたのはわれわれ日本人自身に他ならない。今こそ、象徴天皇という制度と天皇の人権をいかに両立させるかについての議論を始め、合意形成を図るべきではないか。

 戦後のあり方そのものを問い直すことにもつながる象徴天皇制の現状と天皇の人権問題、そして民主憲法との整合性などを、憲法学者の木村草太氏とジャーナリストの神保哲生、社会学者の宮台真司が議論した。

 

 

 

 


近ごろ気になることー「天皇を護憲の守護神のごとく見てよいのか」 〔澤藤統一郎の憲法日記 2016.9.7〕

2016-09-07 23:41:16 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

澤藤統一郎の憲法日記 http://article9.jp/wordpress/より転載

改憲への危機感から毎日書き続けています
 

近ごろ気になることー「天皇を護憲の守護神のごとく見てよいのか」

「憲法日記」と題した当ブログ。本日で連続更新1256回となる。3年5か月と7日。毎回が何の節目でもない積み重ねの一コマ。毎日途切れることなく、飽きることなくよく続くものと、自分でも感心している。

ときおり、読者から励ましの言葉をいただく。
励まし方には二とおりある。名誉毀損であるとして高額損害賠償請求訴訟の被告とされることも、「不敬言動調査会」などの「警告」も、私には発憤の材料である。そのたびに、「萎縮してはならない」と自分に言い聞かせる。嬉しくはないが、非難も罵倒も恫喝も励ましには違いない。誰にも心地よく、毒にも薬にもならない無難な内容のブログなら、時間と労力をかけて書き続ける意味はない。

他方、本当の意味での暖かい励ましの言葉をいただくと本当に嬉しい。私の意見は、常に少数派のもの。その少数派の人たちに、「同感し、励まされます」と言っていただくと、書き続けることの意義を再確認して、また書き続けようという意欲が湧いてくる。偶然だろうか、最近は出版関係の0Bの方から、そのような励ましをいただくことが多い。

下記は、そのような励ましのお手紙に添えられた、「職域関係会報に載せた」というご意見の抜き刷り。ご紹介して是非お読みいただきたい。筆者は戦中派の年代の方。

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近ごろ気になること(2016・4・24)

 2月27日の朝日歌壇に《フィリピンで果てにし父よ両陛下慰霊で供花す暑さの中を》など、天皇訪比を称える歌3首が載っていた。

同じ選者が選んだものだ。選者は「評」の中で「両陛下のフィリピン慰霊の旅、日比両国民に犠牲を強いたあの戦争を忘れてはならぬというお言葉に共感を示す歌が多く寄せられた」と書いている。3月26日の東京新聞「平和の俳句」には「今現に九条貫く天皇あり」という句が選ぱれ、選者は「潔い句だ。作者の気持ちの込め方も、その対象の天皇のお姿も言動も、まことに潔い。今次大戦を深く悔いて、平和を願う天皇皇后」と述べていた。

 安倍暴走の中、時おり見せる平和主義的言動のゆえに天皇を護憲の守護神のように見なす傾向が強まっている。ある元外交官は「大御心」という古語を使って礼賛し、ある政治学者は九条の会関係の講演で「お言葉」「お立場」「おっしやいました」を連発して感激している。
 しかし、天皇はこうした護憲的イメージと裏腹な言動を見せることもある。昨年4月パラオ慰霊の旅への出発時には「祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々」云々と述べた。右側の人たちは歓喜した。その一例《ご出発に当ってのお言葉に、「祖国を守るべく戦地に赴き」との一節。一見、何気ないご表現に見えるかも知れない。しかしこれは、戦役者への「顕彰」に他ならない。わざわざ「祖国を守る」為と明言されているのだから。
[略]
 これらは紛れもなく、ご嘉賞(お褒め)のお言葉と拝すべきだ。それらの戦地で斃れた英霊たちを、ひたすら″気の毒な″被害者、犠牲者と見るようなお態度では、全くない》(新しい歴史教科書をつくる会副会長のブログ)。このブログの言う通り、天皇は、この時、戦死者を顕彰すべき英霊として捉え、あの戦争は祖国防衛戦争であって侵略戦争などではないと言っていたに等しい。

 また、2006年12月には、イラクに派遣された自衛隊員約180名を皇居に招き、「ブッシュの戦争」と呼ばれる露骨な侵略戦争に関わった武装組織の労をねぎらった。この4月には「神武天皇没後2600年」という驚くべき行事に出席している(この行為には憲法20条3違反の疑いもある)。こうした言動に対してマスメディアは勿論、護憲派諸組織も、疑念や懸念を表明したことはない。

 現在の日本において天皇は至高の存在だ。メディアで報じる時は必ず最大級の敬語を用いなければならない。右のような言動についてもその評価を自由に論じることなど事実上許されていない。そんな状況の中で、民主主義と自由を希求する護憲派が、いかに安倍政治に対抗するためとはいえ、賛美する一方で良いのだろうか。戦時中「天皇陛下のおんために死ねと教えた父母の」などと歌わされ、先生の訓示の中で「天皇陛下」という語が出てくるつど全員さっと直立不動の姿勢をとらされた経験を持つ人間としては、どうも気になるところだ。

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まったく同感である。天皇を護憲の守護神のごとくたてまつってはならない。憲法が厳しく限定した枠を超えて天皇の言動を許してはならない。また、天皇の個性は偶然のことがらで、天皇制の持つ意味は必然のことである。この両者の区別を意識しなければならず、混同してはならない。

私の拙いブログが、このような意見を持つ方たちと励まし合う関係になるのなら、欣快の至り。「憲法日記」ずっと書き続けなければならない、と思う。
(2016年9月7日)

 

 

 


天皇のおことば表明 退位への動き、昨夏から 6年前に意向、議論進まず〔毎日新聞 2016.9.7〕

2016-09-07 23:00:24 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

毎日新聞http://mainichi.jp/articles/20160907/ddm/010/040/004000cより転載

天皇陛下おことば表明 退位への動き、昨夏から 6年前に意向、議論進まず
毎日新聞2016年9月7日 東京朝刊

 
ビデオメッセージで象徴としての務めについてのおことばを述べる陛下=8月8日、宮内庁公表

 天皇陛下が退位の意向を周辺に示されて以後、どのような水面下のやりとりを経て表明に至ったか。宮内庁と首相官邸はどう動いたのか。高齢と象徴天皇の在り方について、陛下がこめた思いとは何か。これまでの経緯を検証する。

 

「定年制」問題提起

 
胃や十二指腸に出血の痕が見つかった日から18日後の誕生日の一般参賀で、皇后さまとともに人々に笑顔で手を振る天皇陛下=2008年12月23日、長谷川直亮撮影

 天皇陛下は8月8日のおことばで「ここ数年、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました」と話された。宮内庁の風岡典之長官は同日の記者会見で、「ここ数年」とは5、6年前からだったと説明した。宮内庁幹部によると、2010年夏ごろからだったという。

 陛下は03年1月に前立腺がん手術、12年2月には心臓の冠動脈バイパス手術を受けた。2度目の手術前の11年11月には気管支炎での入院もあり、陛下も周辺も年齢をより意識するようになった。秋篠宮さまが「(天皇の公務の)定年制というのはやはり必要になってくると思います」(11年11月の誕生日に合わせた会見)と問題提起したのはこのころだった。

 宮内庁の羽毛田信吾前長官も12年6月の退任会見で、「ブータンのようにある年齢で退位するなら別ですが、わが国は終身天皇。そのジレンマをどう解決するか、ずっと引っかかっている」と発言。陛下の退位の意向を踏まえてのものとみられるが、当時は官邸も含め真意に気が付かなかった。

 12年10月、野田政権は女性宮家についての論点整理をまとめた。宮内庁と首相官邸の幹部が一緒に有識者からヒアリングを行っており、当時の官邸幹部は「宮内庁と意思疎通をしていた」と言うが、それでも退位の意向は官邸に知らされなかったという。当時の宮内庁幹部は「今とは切実度が違ったから」と話す。12年12月に第2次安倍政権が発足すると女性宮家の検討は封印された。皇室典範改正準備室は開店休業状態となり、宮内庁と官邸の日常的な意思疎通のパイプは細くなっていった。

転機は「8月15日」

 
心臓の冠動脈バイパス手術を受けた後、東大病院を退院する陛下=12年3月4日(代表撮影)

 退位への動きが突然進むのは昨年後半からだ。杉田和博内閣官房副長官のもとにも極秘検討チームが設置された。きっかけは「終戦記念日」だった。

 陛下は、昨年8月15日の全国戦没者追悼式で黙とうと追悼のおことばを述べる順序を間違われ、10月25日に富山県であった「全国豊かな海づくり大会」でも進行を誤解したとみられる場面があった。12月18日に82歳の誕生日に合わせた記者会見で、陛下は行事での間違いに自ら言及した。

 陛下にとって8月15日は天皇の務めのなかでも特別の意味を持つ。その役割を十分果たせなくなるという思いが、以前から持っていた退位への意思を一段と強くしたと宮内庁関係者はみる。

 

 

 

「早期に」希望強く

 

 風岡氏は今年8月8日の記者会見で、おことば表明の時期について「昨年から公にするのにふさわしい時期が来ているとの思いはあった」と明らかにした。宮内庁幹部によると、昨年12月に陛下の誕生日会見での表明も検討したが、「熟度が足りない」と見送られた。官邸での検討が十分に進んでいなかったためとみられるが、早期に表明したいという陛下の意思が強かったことがうかがえる。

 今年に入ると、陛下は1月にフィリピンを訪問、4月の熊本地震後には現地視察をするなど公務が続いた。官邸では杉田官房副長官のチームが「生前退位は難しいので摂政で対応すべきだ」とする結論を伝えたが、宮内庁は「できるだけ早くお気持ちを公にしたい意向がある」と、今夏の表明に向けて準備を進めた。5月半ばには宮内庁幹部らが頻繁に会合を重ね、検討を加速させた。今年12月の陛下の誕生日の会見では遅いと考えたからだった。

 宮内庁が想定した当初の表明日は8月第1週。「静かな環境で国民が聞ける時期を探さないといけない」(幹部)と、参院選(7月10日投開票)、東京都知事選(7月31日投開票)の政治日程に区切りがついたところを狙った。

 しかし内閣改造が8月3日に行われ、閣僚や副大臣の認証式が5日まで続いた。6日は広島原爆の日、9日は長崎原爆の日、15日は終戦記念日が続く。日程の隙間(すきま)を縫い、8日の表明が決まった。

 ◆おことばの背景

 天皇陛下のおことばは、今の憲法下で初めて即位し、平成流の天皇像を築いてこられた陛下の歩みが凝縮され、高齢という課題にどう向かうべきかを国民に問いかけている。(記事中の太字はおことばからの抜粋)

 

象徴としての在り方 「天皇像」自問自答


 「象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました」。おことばは、象徴としてのあるべき姿を自問自答し、実践してこられたことが強調されている。

 憲法は、天皇が行うべきことを「国事行為」と定め、「栄典の授与」などを明文化している。陛下は、国事行為に含まれない活動も象徴として行ってきた。「事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」もその一つだ。1991年7月の雲仙・普賢岳(長崎県)噴火の被災地訪問にはじまり、陛下の被災地や避難所への訪問は50回以上に上る。膝をついて被災者と向き合い、励ましの言葉をかける姿が幾度も国民の目に焼き付いた。

 陛下は、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅」も大切にしてきたと述べた。陛下は即位してから15年目の2003年までの間に全ての都道府県を訪問している。これまでに訪問した島の数は奄美大島(鹿児島県)など25に上る。

 こうした活動を陛下は「人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした」と振り返った。「信頼と敬愛」は、昭和天皇が自らの神格性を否定した46年1月の「新日本建設に関する詔書」(人間宣言)で用いた文言だ。昭和天皇は国民との関係を「終始相互の信頼と敬愛とに依(よ)りて結ばれ、単なる神話と伝説とに依りて生ぜるものに非(あら)ず」と述べた。宮内庁関係者は「陛下は人間宣言を念頭に置かれたのだろう」と話す。

高齢、2度の外科手術 公務へ強い思い

 課題として浮かんだことは、現在82歳の陛下が、今後さらに高齢となられることへの対処だ。陛下は「二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃」からこの問題を考えるようになったと述べた。「二度の外科手術」は、03年の前立腺がん手術と12年の心臓の冠動脈バイパス手術を指す。

 宮内庁関係者によると、年齢を意識するようになったきっかけは、このほか、10年8月の石尊山(せきそんさん)(長野県)登山などが考えられるという。同年12月の77歳の誕生日に合わせた記者会見で陛下は、詳しい状況には触れなかったが、「下りは滑りやすく、秋篠宮や眞子に助けられました。以前登ったときには考えられなかったこと」と話した。昨年12月の82歳の誕生日に合わせた会見では「年齢というものを感じることも多くなり、行事の時に間違えることもありました」と発言した。

 おことばの中の「次第に進む身体の衰えを考慮する時、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないか」との文言には、公務への強い思いがにじむ。公務は「全身全霊」で臨むべきものという信念を表すような表現で、「象徴の地位と活動は一体不離」という陛下の考え方とも重なる。陛下は「象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」と述べたうえで、「摂政」という選択肢に否定的な思いを示した。「だれにも代行できない活動が天皇にはあるというお気持ちが、表れている」と宮内庁関係者は話す。

生前退位の制度策定 憲法尊重を強調

 「憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません」との文言は、憲法4条の「(天皇は)国政に関する権能を有しない」という条文に重なる表現だ。

 生前退位の実現には、皇室典範の改正や、特別法の制定が必要だ。一方、今回のおことばの公表を巡っては、その中で示された意向を受ける形で政府が制度の策定に乗り出すと、憲法4条に抵触するおそれが生じるとの見解がある。おことばの憲法4条に言及した文言は、こうした見解を視野に入れたものとみられる。

 安倍晋三首相は陛下のおことばについて「重く受け止めている。どのようなことができるのか、しっかり考えていかなければいけない」と述べ、政府として対応を検討する考えを示した。有識者会議の設置などに向けた動きも始まっている。横田耕一九州大名誉教授(憲法学)は「おことばは陛下の個人的な考えという形式をとってはいるが、生前退位を希望していることが明らかな内容であり、それを受けて政府が動き出すのは憲法4条の規定からみて望ましくない」と指摘する。

 陛下は、おことばの中で「天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したい」とも述べられた。これも憲法4条を踏まえた文言だ。宮内庁関係者は「天皇の立場についての認識を2度にわたって述べられている。憲法尊重の立場を明確に示そうとの意向が伝わってくる」と話している。


 この特集は野口武則、小山由宇、田中裕之、前田洋平、高島博之、山田奈緒が担当しました。