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天皇のお言葉は安倍政権に対する怒りだったと書いた毎日新聞の衝撃 〔天木直人のブログ 2016.9.7〕

2016-09-07 22:24:06 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

天木 直人のブログ

http://xn--gmq27weklgmp.com/2016/09/07/post-5351/

お言葉は安倍政権に対する怒りだったと書いた毎日新聞の衝撃

2016年9月7日  天木 直人

 きょう9月7日の毎日新聞が、天皇陛下のお言葉表明の背景を検証した一大特集記事を掲載している。

...

 その内容は国民必読だ。

 あまりにも衝撃的だ。

 私が予想した通り、お言葉は、安倍政権に対する天皇陛下の怒りだった。

 それを毎日新聞は一面トップで書いた。

 「陛下の本気度伝わらず」と。

 すなわち、天皇陛下の退位の意向は、昨年夏の戦没者追悼式での読み間違えの時から伝えられていた。

 そして、その思いを、天皇は昨年12月の天皇誕生日を前にした記者会見で、みずから「行事の時に間違えることもありました」という表現で述べられた。

 それにもかかわらず、安倍政権はその意向に沿った対応をとろうとしなかった。

 それどころか、退位ではなく摂政で対応すべきだと答えていたというのだ。

 つまり、仕事をせずに在位を続けているだけでいい、というわけだ。

 これこそ、天皇陛下が最も嫌った事だ。

 それを押し付けようとしたのだ。

 安倍政権は今年の春ごろから杉田和博内閣官房副長官をトップとした極秘チームを作って検討を重ね、そういう結論を宮内庁に伝え、これで一件落着と思っていた。

 ところが、ね耳に水の、天皇退位のNHK報道が流れた。

 まさしく天皇陛下の怒りがあの渾身のお言葉になって表出したのだ。

 しかも、それに対して安倍首相はどう対応したか。

 天皇陛下がお言葉を表明する数日前に、宮内庁から届いた原稿案が摂政に否定的な表現だった事を知って、なお、「摂政を落としどころにできないか」と宮内庁に伝えようとしていたという。

 どこまで天皇陛下の気持ちを踏みにじろうとするつもりだ。

 そして、極めつけは、天皇陛下のお言葉が表明されて一か月ほどたった数日前の産経新聞のスクープ記事である。

 問題を先送りして、鎮静化を図り、特別立法と皇室典範の附則変更でごまかそうとしている。

 どこまで天皇陛下のお気持ちを軽視すれば気が済むのか。

 これは平成の大謀反だ。

 とても内閣総辞職どころではおさまらない、日本の歴史に残る一大事件である(了)

 

 <関連>

天皇陛下の生前退位、特措法で検討 皇室典範は改正せず:朝日新聞デジタル 2016年9月7日21時43分

 

 

 


朝まで生テレビと「象徴天皇制」のこと - 鈴木邦男 〔マガジン9 2016年08月31日〕

2016-09-01 10:57:35 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOS http://blogos.com/article/188791/より転載

 
 
2016年08月31日 12:26
 
 8月26日(金)、テレビ朝日の「朝まで生テレビ!」を見た。普段は、録画しておいて後でゆっくり見るのだが、この日は深夜ずっと起きていて、見た。「象徴天皇制」をテーマにした討論会だった。天皇陛下が「生前退位」のご意向をテレビを通して発表された。それを受けて「象徴天皇」はどうあるべきかを討論したものだ。
 かつてのような天皇制打倒論者、否定論者はいない。皆、認めている。そのうえで、どうやったら安定できるのか、生前退位をどう思うのか、といった討論が中心だった。朝日新聞の世論調査でも、84%もの人が「天皇陛下のお気持ちにこたえるべきだ」と言っている。つまり、生前退位を認める。いま、法律的にできないのなら、その皇室典範を改正すべきだ、という意見が多いのだ。国民の圧倒的多数が、そう思っている。政府もそれはやらざるを得ないだろう。

 この朝生が始まる時に、司会の田原総一朗さんが、こんなことを言っていた。「天皇制の問題はずっとタブーだった。テレビで討論するなんてできなかった。初めてやったのは28年前の朝生だった」と言う。正確には1990年(平成2年)の11月23日だ。「象徴天皇制と日本」だった。確か、僕も出ている。民族派からは、野村秋介さん、大原康男さんも出ていた。「この時は大変だったんです。天皇制をテーマにして朝生をやるなんてダメだと上から言われた」。だから、テーマを変えてやった。
 ただ、深夜に5時間もいろんな方向に飛ぶ。だから「天皇制の問題にも触れるかもしれません」と田原さんは上の人たちを説得した。「それもダメだ」と上の人は言う。しかし、5時間討論の司会をするのは田原さんだ。結果的には「約束を破って」天皇問題を中心に議論した。そういえば、当時は始まる前から、かなり緊張していたと思う。ピリピリとした雰囲気を感じた。

 この頃の朝生はタブーに挑戦し、無謀ともいえる闘いをやっていた。この「象徴天皇制と日本」を放映した同じ年、90年の2月23日には「徹底討論‟日本の右翼“」をやっていた。これは凄かった。”左右激突”だった。この一カ月前の事件を受けて、急きょ、実現した企画だ。1月18日、本島等・長崎市長が右翼団体員に襲撃されて、ピストルを撃たれ重傷を負った。「天皇に戦争責任はあると思う」という本島発言に怒っての襲撃だった。「言論への挑戦だ」「右翼テロを許すな」とマスコミは連日大キャンペーンだった。「じゃ、なぜ右翼テロは起きるのか。右翼を呼んで、話を聞こう。それで討論しよう」と朝生が考えたのだ。こんなことを考えるのは朝生しかない。
 それにいまなら、右翼に反対する人も、こわがって出ないだろう。でも、この時はいたんだ。右翼テロを堂々と批判できる、命知らずの評論家、左翼がいたのだ。小田実、大島渚、野坂昭如らだ。右翼側は7人。浅沼美智雄、岸本力男、箱崎一像、松本効三、四宮正貴、木村三浩、そして僕だ。

 僕は「朝生」には初めて出た。視聴率もそれまでで最高だった。右翼がテレビに出て、生で喋るというので、見たいと思った人が多かった。民族派の7人もかなり緊張していた。1週間前に民族派だけで集まり、「考えの違う点もあるだろうが、内ゲバはやめよう。敵は左翼なんだから、そこへの闘いに集中しよう」と先輩から言われ、我々も納得した。又、全体の打ち合わせはない。事前に集まると喧嘩になると思ったのか、右翼側と左翼側は控室もかなり遠い所だった。本番直前になって、スタジオで会議し、「さあ、闘え!」という感じだった。

 右翼側はかなり年輩の人もいるし、若い「新右翼」もいる。考えはかなり違う。年輩の人は「女に参政権はいらない」などと言うし、「右翼テロ」も肯定する。いくら何でもそれはひどいと思ったが、「仲間うちの批判はしない」という約束があるので、じっと我慢した。

 これは昨日のことのように覚えている。だから、90年は「日本の右翼」に出た年だという印象が強い。でも、同じ年の11月にやった「象徴天皇制と日本」の方が、局にとっては大きかったのだ。政治的にも、こっちのほうがテーマは大きいし、本当のタイトルも出せないので、局の上層部をだまして強行した企画だった。凄い番組だった。僕にとっては、そんな歴史的な番組に出られたのだ。光栄だった。いわば、歴史の現場、変わり目に立ち会ったという感じだった。

 実をいうと、もう一つある。翌年、91年の4月23日に行われた朝生だ。憲法をテーマにやった。西部邁、小林節らが出て、僕も出た。それまでは、僕は「右翼側の一人」として出ていた。「日本の右翼」にしろ、「象徴天皇制」にしろ、そうだった。「右翼の中では、ちょっと変わったことを言う」と思われたかもしれないが、あくまでも「右翼の一員」だ。本番中に左翼に攻撃されても、他の右翼の人が守ってくれる。不確かなことを言っても、他の人たちがカバーしてくれるという甘えがあった。ところが、「憲法」の時は、右翼は僕一人だ。これには、まいった。不確かなことを言っても、カバーしてくれる仲間はいない。左翼と闘っている時に、援護してくれる人はいない。たった一人で闘わなくてはダメだ。やれるのか。いっそ断ろうかと悩んだ。そして結論を出した。自分で考えて、納得したことだけを喋ろう、と。「右翼だから」「右翼としてこう教えられたから」ということは言わない。自分で考え、悩み、納得したことだけを喋る。そう決意した。

 9条だって、右翼なら文句なしに「許せない。●●(改正?)すべきだ」と言う。でも、個人で考えると「戦争をなくす」という理想は悪くはない。そのために何ができるか考えよう。そう思うと、左翼の理屈もある程度はわかる。そんな話をした。その時だった。右翼の先輩の野村秋介さんがギャラリー席から発言した。「皆、きれいごとばかり言って、聞いていられない」と。激怒して言っている。「皆」と言ってるが、実は、僕に対して激怒していたのだ。この日、野村さんは川崎のすし屋でテレビを見ていた。朝生が始まった。でも、後輩の鈴木はどうもおかしなことを言う。まるで左翼じゃないか。それで、タクシーを飛ばして、朝生のスタジオに来た。当時、朝生は5時間だったから間に合う。それに野村さんはパネラーとして何回も出ている。だから、ギャラリー席にも入れたのだ。あれは凄い番外戦だったと思う。だから、「日本の右翼」と「憲法」の印象が余りに強く、「象徴天皇制」の回は、どうしても印象が薄いのだ。ただ、何度も言うように、日本の政治・社会にとっては、この「象徴天皇制」の方が大きなテーマだったと思う。

 8月26日の朝生は、高森明勅、小林よしのり、小林節…という人たちが頑張っていた。特に小林よしのりさんの発言は激しく、そして納得した。天皇陛下はあらゆる自由がない。「国民」ではないのだろう。小林さんの怒りは、『週刊ポスト』(8月19・26日合併号)「ゴーマニズム宣言スペシャル」でも爆発している。
 天皇陛下のご意向に対して、圧倒的に多くの国民は、ご意向の通りにしてさしあげたいと思っている。そころが、一部の自称保守派は反対している。異を唱え、妨害している。「天皇はこうすべてきだ」「ああすべきだ」と言い、文句をつける。「女性天皇ではダメだ」「男の子をうめ」と言う。表現の自由も、転居の自由もない。基本的人権もない天皇に、さらに文句を言っている。自称保守派は自分たちが天皇を守っていると思い上がっている。〈「国民主権」の名のもとに、完全に天皇を奴隷化している!〉とまで小林さんは言う。表現はキツイが、その通りだろう。そこまで言い切る。小林さんは蛮勇がある。だから、朝生でも一番、発言が光っていた。

 朝生の少し前に田原総一朗さんと対談した。天皇のご意向がなぜこの時期に出されたのか。そのことを言っていた。安倍政権は参院選で圧勝し、改憲派は国会で3分の2をとり、いつでも「憲法改正の発議」ができる状況になった。それを止めるものはない。党内はもちろん、野党もこわくない。マスコミも、国民世論もこわくない。それは意のままになる。こわいのはただ一人、天皇ではないか。そう言っていた。

 天皇は昭和天皇からも戦争のことを聞いている。だから、どんなことがあっても戦争だけはしてはいけないと思っている。いま、「生前退位」のご意向を示された。その為には皇室典範を改正するしかない。それには1年か2年はかかる。この間、憲法改正はできない、と言う。護憲派、リベラルは、いま日本では全く力がない。唯一、天皇だけが憲法を護る強い存在になっている。今回のご意向は、護憲派にとっての〈神風〉かもしれない。それにしても、国民の側からもっともっと議論がなされなくてはならない。

 

 

 

 


日本人から《公共性》を奪った元凶は、明治政府の思想と行為です。〔思索の日記 武田康弘〕

2016-08-30 12:06:05 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

思索の日記

http://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/a54d88dd58d828a004448499279a12c0

日本人から《公共性》を奪った元凶は、明治政府の思想と行為です。

2016-08-29 | 恋知(哲学)

武田康弘

 日本人は、学校や会社や役所などの「団体」の慣習・上位者の意思には極めて従順ですが、なぜ、みなでつくる公共性がないのでしょうか?

 互いに対等な立場で、自由に意見を出し合い・言い合いして合意や妥当を導きだすことは日本社会ではほとんど行われていません。慣例に従い、上位者の意向に従うことが暗黙のうちに前提されていて、みなでつくり上げていく公共性の世界がないのです。

 市民の公共性が社会-国をつくるというのは、欧米では当然の話ですが、日本ではそれがありません。組織や団体の慣例=惰性に黙って従うのが当たり前になっています。

 近代の市民社会を成立させる基盤がこの公共性ですが、なぜ、日本ではそれが育たなかったのでしょうか?

 その原因は明らかです。
明治維新による近代化は、伊藤博文らが中心となってつくった天皇の神格化=欧米のキリスト教のような絶対的な宗教(一神教)をつくるために、伊藤ら明治維新の立役者(過激派の人々)は、皇室の伝統を用いて天皇現人神という《政府神道》をつくり、天皇を生き神として全国民に崇拝ー敬愛させることにしたからです。『大日本帝憲法』の制定で、「天皇は神聖にして犯すべからず」と規定しましたが、これは現代の言葉で言えば、カルトです。国家が権力を用いてカルト宗教を国民に浸透させていったわけです。

 憲法で主権者(国の最高の力をもつ者)とされた天皇は、陸軍と海軍の統帥権をもち、同時に宗教上の絶対者=現人神とされたのですから、日本臣民(国民ではなく君主に従う臣民とされた)は、自分たち皆の自由と責任で国をつくるという「公共性」を元から奪われてしまったわけです。

 国民=臣民に求められたのは、「天皇のために=お国ために」という思想と行為であり、「滅私奉公」(私を滅して公=天皇に奉仕する)という道徳であり、日本独自の優れた思想とされた「忠」の精神(最上位者を天皇陛下とする上位者の言動に忠実であること)でした。

 ですから、「天皇を中心とする神の国」(現代においても森元首相が言明)では、一人ひとの対等な市民が話し合って物事を決め、その結果に責任を負うという思想は育ちませんし、国をつくり、守り、発展させるのは、市民の共同意志であり、市民の自由と責任によるのだという想念ー思想は生まれないのです。

 市民みなの共同意思と行為の上に、いつもその上にたつ「公」(おおやけ)という世界があるということになりますから、市民の共同意思=公共性は、「公」に従うもの、奉仕するものとなり、公共性は自立できないわけです。一人ひとりの国民は、公共性に従うのではなく、公(おおやけ)と呼ばれる天皇の意思=官僚政府の意思に従うことになりますが、これでは近代社会市民社会による国家(対等な市民がつくる社会契約による国)ではなく、予め決められている社会観や国家観に従う臣民としての存在にしかならないーなれないわけです。

 天皇に従う時にだけ人として国民として認めらるという国は、民主性・民主制・民主政ではなく、神聖国家です。

 明治の近代化が、このような世界に例を見ない国家宗教(現代の言葉ではカルト教)により超スピードで進められた結果、日本人は、極端なまでに効率第一主義・技術主義(技術偏愛)・形式主義=儀式主義に染め上げられてしまい、一人ひとりの心の内側から内的・内発的に考えを生み・行為するのではなく、外なる価値を追いかけることが人生だと思い込むようになったのです。

 生きている人間を神として崇めるという「禁じ手」を用いて、有無を言わせずに全国民を一つにまとめ上げ、強制的なスピードで近代化を成し遂げたわが日本は、その深い負の遺産(心の内からではなく外なる価値に従い生きる)を清算できません。清算できないどころか、現安倍政権は、過去の天皇主義をよしとする「日本会議」のメンバーであり、再び戦前思想への回帰を求めているありさまです。

 明治政府がつくった天皇ないし皇室中心主義という思想を続ける限り、わが日本という国には、みなの自由意志と責任でつくる「公共性」は赤子のまま成長できず、いつまでも公(おおやけ)という官僚政府が市民の上にたつ「主権在民」ならぬ「主権在官」の世界から抜けだせません。余談ですが、いまの天皇の明仁さんもこうした現状を批判的に見ているのはまちがいありません。

  みなで公共性をつくり、公共世界を拓きたいものですね。これは、たぶん、皆の本心だと思います。

 
 最後に、欧米のキリスト教は強い一神教ですから、イギリスのロックの思想のように、宗教の原理主義により民主制を基礎づける思想は、現代においては成立しません。宗教ではなく、フィロソフィーにより基礎付けなくてはいけません。
  ただし、英米においてはキリスト教原理主義である清教徒思想により民主主義がはじまったのでは事実ですし、そういう強い宗教=イデオロギーが必要だったのも確かです。それを見た伊藤博文が、日本の近代化にはそれと類似の宗教が必要だと思ったわけですが、あらゆる人間と人間の営みを超えた「超越者としての神」という思想と、現実に存在する天皇家という家と天皇を神格化するのでは、根本的に思想が異なります。超越者として置くのを人間であり一家族であるとしてしまうと、その現人神という権威主義は、一人ひとりを「個人」(自由と責任をもった主体者)として自立させず、豊かな内面宇宙をつくらせず、集団主義の価値観=外なる世界に合わせるだけの存在に人間を貶めてしまいます。

 それでは、根源的な人権侵害となりなり、幸福をつくらないシステムをつくることになります。
フィロソフィー(恋知)の生をはじめたいものです。




 

 


対談:北田×原 「平成天皇制」 中核は宮中祭祀と行幸 象徴を完成させた陛下 〔毎日新聞2016.8.27〕

2016-08-27 22:42:39 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

毎日新聞http://mainichi.jp/articles/20160827/ddm/014/040/015000cより転載

危機の20年

北田暁大が聞く 第5回 ゲスト・原武史さん 「生前退位」(その1)

 

今夏、天皇陛下の、生前退位の意向が強くにじむ「お気持ち」が明らかになり、改めて天皇制が注目を集めた。北田暁大・東京大教授と原武史・放送大教授がここ二十数年で形成されてきた「平成天皇制」について論じ合った。【構成・鶴谷真、写真・宮間俊樹】

中核は宮中祭祀と行幸 象徴を完成させた陛下

 北田 すごいタイミングでの対談になってしまいました。天皇の「お言葉」で皇室典範改正につながるかもしれません。実質的に天皇が法を動かすということは日本国憲法の規定に反する明確な政治的行為でしょう。しかし右も左もマスコミも、心情をくみ取らないわけにはいかないという論調。立憲主義の根幹にかかわることなので、もっと慎重に議論が進むと思っていたのですが……。

 原 今回のお言葉の放送は、いろんな意味で1945年8月15日の「玉音放送」=注<1>=と似ています。玉音放送は臣民という言葉が7回出てくる。今回も国民という言葉が11回出てきた。今回、生前退位がはっきりとは語られなかったように、玉音放送でも敗戦や降伏とははっきり言わなかった。昭和天皇が強調したのは、ポツダム宣言を受諾しても、天皇と臣民が常に共にある「君民一体」の国体は護持されるということ。今回も「常に国民と共にある自覚」という言葉が出てきます。

 玉音放送の終わり方は「爾(なんじ)臣民其(そ)レ克(よ)ク朕(ちん)カ意ヲ体(たい)セヨ」、つまり臣民に向かって自分の気持ちを理解してもらいたい、と。今回も「(私の気持ちが)国民の理解を得られることを、切に願っています」で終わっています。

 北田 政治・立法過程を吹っ飛ばして国民との一体性を表明する。今、天皇が憲法の規定する国事行為=注<2>=を超えた行動ができることについて、世の中が何も言わないというのは、象徴天皇制の完成を見た思いがします。

 原 今回衝撃的だったのは、憲法で規定された国事行為よりも、憲法で規定されていない宮中祭祀(さいし)と行幸こそが「象徴」の中核なのだ、ということを天皇自身が雄弁に語ったことです。「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」というのは宮中祭祀を、「同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うこと」というのは行幸を指していると思います。

 宮中祭祀と行幸はいずれも明治になってから新たに作られたり、大々的に復活したりしたもので、戦後も昭和天皇によって受け継がれました。平成になると、宮中祭祀に天皇と皇后がそろって出席するようになったばかりか、行幸も皇后が同伴する行幸啓となり、ますます比重が大きくなりました。

 北田 憲法に書かれていないことが私の使命なんだ、と。相当に踏み込んだな、よく宮内庁は止めなかったなと驚きました。止められなかったのか。天皇の記号としての機能は今、より純化され、強固になっています。多くの国民が政治的な存在と思っていないことが最も政治的なわけで……。

  報道によれば、現天皇は5、6年前から退位の意向を漏らしていたが政治が動かなかった。その結果、昭和天皇の玉音放送同様、非常手段に打って出たのだと思います。テレビを使って直接に語りかける。10分以上も。

 北田 天皇の政治的な力を見せつけられました。「空虚な中心」=注<3>=どころではない。

  より能動的な主体として立ち上がってきた。

 北田 左派リベラル系の人の中にも、天皇制への視点が抜け落ち「この人なら大丈夫」と属人化されている。それほど見事に自らを記号化してきた成果が今回の肯定的な世論に表れているのでは。

 原 そうですね。この問題を考えるには、平成だけを見ていてはダメで、少なくとも明治以降の天皇制の歩みを振り返る必要があると思います。明治から大正、大正から昭和と代替わりすると、前の代には想像もできなかった天皇像がつくられる。昭和天皇が玉音放送で強調した「君民一体」の国体も、戦前までに全国を回ることで確立されました。それが戦後巡幸でも受け継がれる。戦前同様、各地で奉迎場が設けられ、天皇が台座に上がればみんなが万歳する。天皇は決して一人一人を見てはいません。そこにいるのは抽象的な国民でした。それでも天皇は、戦前と同じ光景が各地で展開されることで、国体が護持されたことを実感したと思います。

 北田 「玉音放送」で言ったことが護持された。

 原 それが1991年、雲仙普賢岳の噴火をきっかけに変わった。天皇、皇后が被災地に向かい、ひざまずいて被災者をねぎらいました。当時は保守派から大きな批判を浴びましたが、今思えばあれが平成流の皇室の始まりだった。抽象的な国民ではなく、顔の見える一人一人に天皇と皇后が向き合うようになったのです。

 


 「生前退位」(その2)


踏み込んだ「お気持ち」 天皇制を再考する時期

 原 その中に、実は国体が継承されているんじゃないか。昭和との連続性を感じます。イデオロギッシュだった国体の姿が、より一人一人の身体感覚として染み渡っていくというか、強化されているのではないか。こうした行幸啓を続けることで、いつの間にかそれが皇室の本来の姿のように映るようになった。

 

 北田 すごい発明ですよね。平成天皇制。

 原 また、お言葉の中で注目すべきは、殯(もがり)や喪儀(そうぎ)に言及したこと。確かに生前退位すれば、それらをすぐにやる必要はなくなります。しかし他方で、宮中祭祀と行幸啓はちゃんと継承しないといけない、と言っている。

 北田 象徴としてはかなり細かい後継への指示ですね。日本国憲法における象徴天皇は自分が作った、という自負すら感じます。

 原 完成型をつくったという強い自負がある。一方、次代で変わってしまうのでは、という危機感もあるはずです。

 北田 天皇制の問題について、特にリベラル系の研究者による議論はあまりなかった。ぱっと思いつく研究は、『大正天皇』など原さんのものくらいです。

 原 天皇制の研究はもう終わっている、という認識があったのでしょう。しかし、天皇個人についての本格的な研究が始まったのはごく最近になってからです。

 北田 天皇制が必要なのかという、本格的な議論もしてきませんでした。アカデミシャンも左派も「平成の後がある」ことを忘れていたか、忘れたふりをしてきた。

 原 問題として認識されていない。完全に抜け落ちている。

 北田 自戒を込めていえば、私も天皇について断片的に本を読むくらいで、強い関心を持っていませんでした。しかし今回のお言葉で目が覚めました。「これはむき出しの権力だ」と。天皇家、天皇制とは何なのかを徹底的に再考する時期だと思います。


注<1>=昭和天皇が朗読した「終戦の詔書」が録音され、ラジオで放送された。

注<2>=現行憲法は天皇は「国政に関する権能を有しない」とし(第4条1項)、行うべき国事行為を内閣総理大臣の任命など13項目に限定している(6、7条)。

注<3>=フランスの思想家・批評家ロラン・バルトが皇居をこう表現した。


 ■対談の背景

 「生前退位の流れは決定的」「政治が動いてお気持ちに沿うべきだ」との論調は、リベラル派に目立つ。それは、天皇を戦前回帰傾向が強い現政権の重しと捉える人が多いからではないか。15日の政府主催の全国戦没者追悼式で、天皇は大戦について「深い反省」の表現を使ったが、安倍晋三首相はアジア諸国への加害責任に触れない。今回の対談は、とはいえ「お気持ち」の政治性を直視しなければ、好戦的な改憲派に利用されかねないことを示唆する。【鶴谷真】

 


 ■人物略歴

はら・たけし

 1962年生まれ。放送大教授。日本経済新聞記者、明治学院大教授などを経て2016年から現職。専攻は日本政治思想史。著書に『大正天皇』『「昭和天皇実録」を読む』など。

 

きただ・あきひろ

 1971年生まれ。東京大大学院博士課程退学。博士(社会情報学)。筑波大講師などを経て現職。専攻は社会学。著書に『嗤(わら)う日本の「ナショナリズム」』、共著に『リベラル再起動のために』など。

 

 

 

 


「『平成天皇制』ーこれはむき出しの権力だ。」 〔澤藤統一郎の憲法日記 2016.8.27〕

2016-08-27 21:53:31 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制

http://article9.jp/wordpress/より転載

澤藤統一郎の憲法日記

「『平成天皇制』ーこれはむき出しの権力だ。」

8月も終わりに近い。8月は戦争を語り継ぐときだが、同時に天皇制を論ずべきときでもある。71年前の敗戦は、軍国主義と戦争の時代の終焉であったが、同時に野蛮な神権天皇制の終焉でもあった。しかし、軍国主義と臣民支配の道具であった天皇制が廃絶されたわけではない。日本国憲法下、象徴として残された天皇制は、はたして平和や人権や国民の主権者意識に有害ではないのだろうか。

今年(2016年)の7月から8月にかけて、天皇の「生前退位発言」が象徴天皇制の問題性をあぶり出した。歯の浮くような、あるいは腰の引けた俗論が続く中、8月も終わりに近くなって、ようやく本格的な論評に接するようになった。

本日(8月26日)の毎日新聞朝刊文化欄の「原武史・北田暁大対談」は、そのような本格的論評の代表格というべきだろう。
ネットでは、下記URLで読める。これは、必見と言ってよい。

  http://mainichi.jp/articles/20160827/ddm/014/040/015000c(上)
  http://mainichi.jp/articles/20160827/ddm/014/040/018000c(下)

この時期、この二人に対談させた毎日の企画に敬意を表するが、見出しはいただけない。「中核は宮中祭祀と行幸 象徴を完成させた陛下」「踏み込んだ『お気持ち』 天皇制を再考する時期」。この見出しでは読者を惹きつけられない。しかも、対談の真意を外すものだ。もとより、原も北田も「陛下」などと言うはずもないのだ。見出しは、対談の毒を抜いて砂糖をまぶして、読者へのメニューとした。しかし、対談の中身はそんな甘いものではない。歯ごたえ十分だ。

全文を読んでいただくとして、私なりに要約して抜粋を紹介したい。

対談者の関心は、まずは今回の天皇発言の政治性にある。このような政治的発言を許してしまう、象徴天皇制というものの危うさと、これに的確な批判をしない時代の危うさに、警鐘を鳴らすものとなっている。

冒頭の北田発言がその要約となっている。
北田「天皇の『お言葉』で皇室典範改正につながるかもしれません。実質的に天皇が法を動かすということは日本国憲法の規定に反する明確な政治的行為でしょう。しかし右も左もマスコミも、心情をくみ取らないわけにはいかないという論調。立憲主義の根幹にかかわることなので、もっと慎重に議論が進むと思っていたのですが……。」

さらに、中心的なテーマは、象徴天皇制がもはや憲法をはみ出すものになっているという批判である。

原は、今回の天皇発言を「玉音放送」に擬してこう言う。
原「今回のお言葉の放送は、いろんな意味で1945年8月15日の『玉音放送』と似ています。玉音放送は臣民という言葉が7回出てくる。今回も国民という言葉が11回出てきた。…昭和天皇が強調したのは、ポツダム宣言を受諾しても、天皇と臣民が常に共にある『君民一体』の国体は護持されるということ。今回も『常に国民と共にある自覚』という言葉が出てきます。
 玉音放送の終わり方は「爾(なんじ)臣民其(そ)レ克(よ)ク朕(ちん)カ意ヲ体(たい)セヨ」、つまり臣民に向かって自分の気持ちを理解してもらいたい、と。今回も「(私の気持ちが)国民の理解を得られることを、切に願っています」で終わっています。」

これに、北田が共鳴し、さらに原が敷衍する。
北田「政治・立法過程を吹っ飛ばして国民との一体性を表明する。今、天皇が憲法の規定する国事行為を超えた行動ができることについて、世の中が何も言わないというのは、象徴天皇制の完成を見た思いがします。」

原「今回衝撃的だったのは、憲法で規定された国事行為よりも、憲法で規定されていない宮中祭祀と行幸こそが『象徴』の中核なのだ、ということを天皇自身が雄弁に語ったことです。

北田「憲法に書かれていないことが私の使命なんだ、と。相当に踏み込んだな、よく宮内庁は止めなかったなと驚きました。止められなかったのか。天皇の記号としての機能は今、より純化され、強固になっています。多くの国民が政治的な存在と思っていないことが最も政治的なわけで……。」

北田「天皇の政治的な力を見せつけられました。『空虚な中心』どころではない。」
原「より能動的な主体として立ち上がってきた。」

対談者の批判は、左派・リベラルにもおよぶ。
北田「左派リベラル系の人の中にも、天皇制への視点が抜け落ち『この人なら大丈夫』と属人化されている。それほど見事に自らを記号化してきた成果が今回の肯定的な世論に表れているのでは。」

原「実は国体が継承されているんじゃないか。昭和との連続性を感じます。イデオロギッシュだった国体の姿が、より一人一人の身体感覚として染み渡っていくというか、強化されているのではないか。こうした行幸啓を続けることで、いつの間にかそれが皇室の本来の姿のように映るようになった。

北田「すごい発明ですよね。平成天皇制。自戒を込めていえば、私も天皇について断片的に本を読むくらいで、強い関心を持っていませんでした。しかし今回のお言葉で目が覚めました。『これはむき出しの権力だ』と。天皇家、天皇制とは何なのかを徹底的に再考する時期だと思います。」

若い北田の「すごい発明。平成天皇制」「これはむき出しの権力だ」という感性を私も共有したい。そして、原にも北田にも、世論を覚醒せしめる本格的な論稿を期待する。
(2016年8月27日)

 

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毎日新聞2016年8月27日 東京朝刊