異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

宝塚の生徒を慰安婦にしようとした日本軍

2014-08-17 21:57:51 | シェアー

http://himadesu.seesaa.net/article/115822864.html  不条理日記 2009年3月18日より

宝塚の生徒を慰安婦にしようとした日本軍

 これは2月9日朝日新聞「愛 タカラヅカ⑧ 軍歌去りレビュー再び」より引用。

 戦時中、宝塚のレビューは禁止され宝塚大劇場は海軍に接収されて予科練の宿舎になり、宝塚の生徒らは各地の日本軍への慰問公演に動員された。
 泉エリザさん(芸名:千里ゆり)が1944年に、北海道や樺太への慰問に動員されたときのこと。ある晩トイレに起きると、付き添いの男性教師らが廊下に座り込んでいた。
「将校が『女の子を差し出せ』って。それで先生たちは寝ずの番をしてくれてたの」

 このように日本軍はアジア各地の女性を性奴隷にするだけでは飽きたらず、同胞さえも毒牙にかけようとしていたのだ。「国防」が聞いて呆れる。日本軍の、というか軍隊というものの本質を示すエピソードである。軍隊が出来ることと言えば虐殺、略奪、強姦であり、自国民もその被害から逃れられないのだ。
 こうした日本軍の実態を語り継ぎ、そこから軍隊の本質を学ばなくてはならない。そして軍国主義の復活を狙う勢力を倒し、侵略戦争の根源である天皇制を廃止しなくてはならない。

・・・ちなみに泉さんが慰問公演を終えて宝塚の自宅に戻ると、「なんだかおじさんみたいな兵隊さん」が週に一回訪れ、風呂に入り「畳に寝っころがってぼーとしていた」。戦後「原爆の子」「第五福竜丸」などを世に送り出す映画監督・脚本家の新藤兼人さんである。

 連日の上官からの暴行に「もう、敵がアメリカなのか帝国海軍なのかわかりませんでした」と当時を振り返る新藤さんは、タカラジェンヌの慰問公演だけが楽しみで、ぜんざいを作り生徒たちにふるまった。物資が欠乏する中、後に新藤さんと結婚することになる女優の乙羽信子さんは「水っぽかったけど、あのぜんざいが楽しみだった」と語った。

 新藤さんは終戦の日に玉音放送を聞いて「ああ、これでまた脚本が書ける」という解放感を忘れたことはない、という。平和でなければ演劇も映画もテレビドラマも作れない。つーかネットであーだこーだ書きまくるのもできない。
 


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