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「日本死ね」の悲鳴 あらゆる分野に広がる(田中龍作ジャーナル)/「保育園落ちたの私だ」(香山リカ)

2016-03-08 18:24:59 | 福祉 高齢 障がい

これは社会全体の問題だ、という意識のもと、直接の当事者ではなくても立場の違いに関係なく、「これは私のこと」として発言する人が確実に増えつつあることがわかる

毎日新聞http://mainichi.jp/articles/20160308/ddl/k13/070/124000c

香山リカのココロの万華鏡

「保育園落ちたの私だ」 /東京

香山リカさん

 子どもの保育園への入園を断られた母親が「何なんだよ日本。1億総活躍じゃねーのかよ」と強い口調で抗議の言葉を書いた匿名ブログが話題になった。国会で野党議員がこれを取り上げ、「言葉は荒っぽいが、本音、本質だ」と待機児童解消や保育士の待遇改善を安倍晋三首相に迫ったところ、議員席から「誰が書いたんだよ」などのヤジが飛んだ。首相自身は待機児童の問題は重大であることを認めながらも、「匿名である以上、実際起こっているか確認しようがない」とも述べた。

 これを受けてネットでは「保育園落ちたの私だ」というフレーズをつけてこの問題を訴える動きが急激に広がっている。「特定の誰かのクレームではなく、みんなの問題なのだ」と共有している。

 興味深いのは、この訴えに参加しているのは、実際に子どもの入園を断られた経験を持つ母親ばかりではないことだ。保育園に入れた人、それどころか子どもを持たない人や未婚の男性までが、「保育園落ちたの私だ」というキャッチフレーズとともに意見を述べている。これは社会全体の問題だ、という意識のもと、立場の違いに関係なく、誰もが「これは私のこと」として発言している。

 ネット上のこの動きを見て、私は「日本の社会も本当の意味で変わってきたんだな」と感じた。これまでは、何かの社会的な問題について発言するのは当事者や関係者という雰囲気があったと思う。私のような精神医療の専門家が、たとえば「東京オリンピックと環境」というテーマで原稿を書くと、「専門外のことに口をはさむな」といった批判が寄せられる。「日本に住む私にとってオリンピックは人ごとではない」と説明してもなかなか理解されなかった。

 しかし、この保育園の問題などを見ると、直接の当事者ではなくても「これは私のこと」として発言する人が確実に増えつつあることがわかる。今後、この流れが広がっていくのだろうか。うつ病ではない人が「うつ病なのは私だ」として心の病への差別に抗議し、大学時代の奨学金の返済で苦しんでいる若者の問題を「奨学金を返せないのは私だ」と高齢者が訴える。こうして誰もが「人ごとではない、私のことだ」と問題をとらえ、声を上げていけるようになるのは、とてもすてきなことだ、と私は思っている。

 私にも実は子どもがいない。でも、ここで大きな声で言わせてもらおう。「保育園落ちたの私だ」(精神科医)


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 http://tanakaryusaku.jp/2016/03/00013143

「日本死ね」の悲鳴 あらゆる分野に広がる

「介護離職ゼロを目指す」と うぞぶく 安倍首相への強烈なメッセージが登場した。=5日、国会議事堂正門前 撮影:筆者=

「介護離職ゼロを目指す」と うぞぶく 安倍首相への強烈なメッセージが登場した。=5日、国会議事堂正門前 撮影:筆者=

 「保育園落ちた 日本死ね」が他の分野にまで波及し始めた。人々の生活がニッチもサッチも行かなくなってきたようだ ―

 国会前ではきょうも父母たちが待機児童の解消を訴えて、抗議のスタンディングをした。

 プラカードは「♯保育園落ちたの私だ」が主流だが、「♯特養落ちたの私だ」「♯低賃金で働かされているの私だ」を持つ人も現れた。知り合いの介護士から託されたメッセージという。

 低賃金、長時間労働の介護士も「日本死ね」と言いたくなるくらい酷い状況にあるのだろう。

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