異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

赤川次郎さんが語る憲法 若者よ、もっと想像力を 守る努力しなければ、暮らし脅かされる 2018.5.2 毎日新聞

2018-05-02 22:40:21 | 憲法
特集ワイド

赤川次郎さんが語る憲法 若者よ、もっと想像力を 守る努力しなければ、暮らし脅かされる

 

 相次ぐ不祥事で政権への信頼が低下しているが、安倍晋三首相は、自衛隊を明記する憲法改正を諦めていない。2020年までの改正憲法施行を目指しているという。国家の権限が強化され、自由が奪われる近未来の日本を作品に描いてきた作家の赤川次郎さんは、今の改憲論議をどう受け止めているのだろう。【小松やしほ、写真・藤井太郎】

 

 ホテルのラウンジで、赤川さんはかばんから1冊の本を取り出した。「日本国憲法」(金曜日)。弁護士で日本弁護士連合会憲法問題対策本部副本部長の伊藤真さんの解説と、写真家の長倉洋海さんの作品で構成されている。「時折、じっくり読み返します」。著名なベストセラー作家は「戦争をさせない1000人委員会」の呼びかけ人の一人でもある。当然、9条の話から始まるだろうと思っていたら、読み上げたのは25条だった。

 「『すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』。この項目を実現するために憲法があると思うんですよ。子どもの貧困が増えていると言われているのに、生活保護費は引き下げられる。平和なはずの今ですら、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を送れていない。戦争になれば無論、そんなこと言っていられなくなる。25条の実現を目指して、少しでも近づこうというのが政治の在り方でしょう」

 この国の現状を直視すれば「9条改憲」と言っている場合ではない、という指摘である。

 憲法を意識した原点は、中学時代までさかのぼる。

 ある日の学校帰り。「天皇陛下がお通りになる」と、学校から国立駅前まで延びる大通りが通行止めになっていた。急用でもあったのか、子連れの母親が向こう側へ渡らせてほしいと頼んで、警察官に拒まれていたのを見た。「車の影も形も見えていないのに、なぜ渡っちゃいけないんだろうと。常識で考えたらおかしな話じゃないですか。憲法にある『象徴としての天皇』って何だろう? 天皇も『普通の人間』なら信号を守って走るべきじゃないか。こういう理屈に合わないこともあるんだなと感じたのを覚えています」

 そして赤川少年は思った。「憲法はそこにあるだけじゃだめなんだ。守る努力をしなければ、何の意味もないのだ」と。日常生活の中で、憲法を意識した瞬間だったという。

泣くのはいつも弱者

 戦後の1948年生まれ。戦争の傷痕が色濃く残る中で育った。小学校には、親を戦争で亡くした子がいたし、12人きょうだいの末っ子の級友は食べるのにも困っていた。戦時中、旧満州(現中国東北部)にいた両親から聞いた悲惨な話は今でも忘れられない。

 「ソ連の占領下にあった時、父の勤めていた満州映画協会にソ連兵が『酒の相手をする女性を出せ』とやってきたそうです」。当然、それだけでは済まないし、要求を拒めば家族も含めどうなるか分からない。「父の話では、1人の女性が『私には家族がいないから、どうなっても悲しむ人はいないから』と名乗りを上げてくれた。父たちは急きょ、お別れの会を開き、彼女に花嫁衣装を着せたそうです」。そして翌日、彼女はソ連兵に連れて行かれた。その後の行方は分からないという。

 「戦争になったら、泣かされるのはいつも市民。とりわけ女性や子どもです。戦争は絶対にしてはいけない。憲法9条はその大きな歯止めになってきた。そういうことを私たちはもっと学ぶべきです」と赤川さん。

 今年は戦後73年の夏を迎える。年月を重ねたことで戦争は「歴史」になりつつあり、同時に「改憲」への抵抗も薄らいでいるようにも見える。実際、共同通信が4月25日にまとめた世論調査では、改憲を「必要」「どちらかといえば必要」とする改憲派は計58%に上る。9条改正も「必要」が44%で、「必要ない」の46%に迫る勢いだ。

 そのような現状を前に、赤川さんの口調は落ち着いているのだが、危機感は伝わってくる。「9条が崩されたらどうなるか。そういう想像力が働いていない気がする。特に若い人たち。ただ、それは僕たち作家にも責任があります。想像力は物語に触れることで初めて育つ。小説や映画、ドラマの主人公に感情移入して、もし自分がこうだったらどうするかを考え、人間はこういう時にはこういうことをするものなんだということを学ぶんです。我々作家が、若者が読みたくなるような面白いものを書いてこなかったということであり、作家の敗北ですよ」

 「プロメテウスの乙女」(82年)、「悪夢の果て」(03年)、「教室の正義」(06年)、「東京零年」(15年)--。法律や監視カメラで自由を縛られ、個人より国家が優先される社会を描いてきた。<戦争になれば、戦場に駆り出されるのは、「難しいことは考えない」若者たちなのである……>(東京零年)。登場人物は時々、読者をドキリとさせるせりふを発する。

 「主張は物語に込めればいい」。作家は政治的発言をすべきではないと考えていた時期もある。だが、99年に国旗・国歌法が成立、その後も通信傍受法や有事関連3法などが次々と成立していくのを見て、考えを変えた。「小説に書いていればいいという悠長なことでは間に合わないな、と」

 連載するエッセーやコラムでは折に触れ、政治的な問題に言及する。時には、実名で新聞に投書することもある。昨年6月15日付の朝日新聞「声」欄では、共謀罪法は後の世代に災いをもたらすと痛烈に批判し、「あなたが『改憲』を口にするのは100年早い」と安倍首相を断じた。「一市民としての立場でものを言うことも大切だと思います。僕は12年ほどサラリーマンをやっていたので、勤め人の気持ちも分かるつもりです」

 4年前、がんを患い胆のうを全摘出する手術をした。「早期に見つかったので転移はなく、入院も5泊6日ぐらい。抗がん剤治療もしなくて済んだんです。家族も編集者も心配してくれなかった」と冗談を交えての突然の告白だった。

 大病を経験したせいか、やらなければいけないことは、後回しにせず、今すぐやろうと意識するようになった。「いつまで自分が生きていられるか分からない、という思いはある。今年70歳になりましたしね。28歳で新人賞をもらった時は、70代で小説を書いているなんて思ってもみませんでした。ここまで書いていられるということは、何か意味があることなんだろうと思う。これから先は、後の世の中に役に立つようなことをしていかなきゃね」

 改憲は安倍首相の悲願だという。9条1項、2項を維持したまま自衛隊を明記する改正案を提案している。でも、私たちは政治家の意向に従うだけでいいのだろうか。何かすべきことがあるはずだ。「憲法が危うくなっている今、守るという発想を持たないといけない。憲法は意識せずともそこにあって、生活を守ってくれるもの。それが無くなった時に、自分の暮らしも脅かされるということを考えてほしい」

 小説に描いてきた近未来が現実のものにならぬよう、私たちが考える「テキスト」として、赤川さんは物語をつむぎ続ける。


 ◆憲法25条

 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する


 ■人物略歴

あかがわ・じろう

 1948年福岡県生まれ。76年にデビュー。2006年、日本ミステリー文学大賞。16年「東京零年」で吉川英治文学賞。「三毛猫ホームズ」シリーズなど多数のシリーズ作品を持ち、著作は600冊を超える。

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る