世の中には馬鹿馬鹿しいほど、常識では思いつかない、とてつもないレースを考え付く人がいるもので、
それがアイアンマンでトライアスロンだったことは、前回の歴史編 その1 でご紹介した通りです。
ハワイでアイアンマンが誕生してからから、やっと43年目になるわけで歴史の浅いスポーツと言えると思うのですが、
日本人は? 日本の場合はどうなんでしょうか?
3.8km泳いで、180km自転車漕いで、42.2km走り、そのトータル・タイムを競うというレース。
どれひとつとっても満足にできないのが普通の人です。
しかし、世の中平和というか、いつの時代にも、このレースのことを知ると、レースに出るために夢中になる人種もいるのです。
ひとつくらいはできるが、あとふたつはちょっと。。。。と思いとどまらないのです。
たとえひとつもできなくても、なぜかやれそうな根拠のない自信があるだけで、どうしてもあきれめきれない人がいるのでは
ないでしょうか。 僕自身、全くその通りだったのです。
みんなやるっきゃない!という執念のような思いで第一歩を踏み出したのです。
その思いには人生遊ばなきゃつまんないよ! 人生楽しんだもの勝ち という気持ちもあったと思います。
はじめて日本人がハワイのアイアンマンに挑戦したのは1981年でした。
1980年のレースが日本にも紹介され、東京のスポーツ・クラブ(確かDO SPORTSだったか?)
の堀川稔之さんを代表とする会員6人と
熊本の走友会に所属していた2人が挑戦しました。
1981年2月14日、午前7時15分、号砲一発、待ちに待った第4回大会の幕は切って落とされ、
参加した日本人全員はみごと完走し、鉄人の称号を得、日本人のトライアスロン史が始まりました。
その熊本の二人、50歳を超す名(迷?)コンビの活躍がローカル紙に紹介され、それがキッカケとなり、
その年、1981年の8月、日本でも初めてのトライアスロン大会が鳥取県の皆生温泉に誕生したのです。
その熊本の一人は永谷誠一さん、昔からトライアスロンをしていればお会いしたことはなくても名前くらいは知っています。
1980年2月、本屋さんで週刊誌の写真を見て、紹介記事を読んでいるうちに感動と躍動を覚え
第3回アイアンマン大会の模様を写真に収た『週間文春』
なんとも言えない興奮状態、年齢とは無関係に五体がムズムズしてきて、機会があればやってみたいと思ったらしい。
当時53歳、「山想」というアウトドア・ショップを経営されているくらいだから遊び心も豊かだったんだろうと思います。
そしてもう一人は医師の堤貞一郎さん。 熊本走ろう会の幹事長だったらしく永谷さんとは
この種の興奮や感動を分かち合う最良の友だったということです。
堤さんは健康マラソンの元祖である天草パールマラソンの創始者でジョギングの効果を医師の立場から
医学的に解りやすく説き、自らも実践し普及と安全に傾注されていました。
フルマラソンよりも数倍の運動量のあるトライアスロン(アイアンマン)に食指が動いたのは
永谷さんの存在もありますが、運動はゆっくりでも長くやるのが健康的だと自認していたからだそうです。
アイアンマンの初期の頃は大らかで厳格な制限タイムはなかったようです。
永谷さんはビキニ姿のボランティアの写真を撮りながら走った。
(写真提供;毎日新聞)
1981年のハワイでは永谷さんは19時間40分、真夜中を張るかに過ぎた時刻のゴールで感動ものですが、
それ以上に素晴らしい感動を生んだのが堤さんでした。 水泳が苦手だった堤さんは26時間以上かかって
最終走者として、翌朝の9時半頃に、伴走車と3人の青年に付き添われ街の中心にようやく現れるという、
見事なクライマックスの主人公になりました。
通りがかりの車がすべてその後に続き、クラクションをいっせいに鳴らしながら最後の勇者の健斗をたたえてくれたのです。
両側の店から人々がとびだしてきてレイをかけたり、キスをしたり、CONGLATURATIONS!COME ON!の大連発で
ゴールではカヌーのパドルを両側から立ててゲートを即席につくり勇者のゴールを迎え祝福してくれました。
最後、伴走したわたしでさえ、大感激にうちふるえて、溢れる涙の止めようがありませんでした。
そして堤さんは大会から「びっくり賞」をいただきました。
水泳はバック(背泳)で泳ぎ、自転車はロード・レーサーではなく普通の自転車、マラソンは護衛付きで26時間の悪戦苦闘の結果である
との解説付きの「びっくり賞」です。
そして司会者からスピーチを求められ、憶することなく、堂々(?)たる英語で
「自分が余り水を飲んだので、太平洋の水位が1メールくらい下がったことでしょう。」
アメリカ人顔負けのジョークで、みんなの喝さいを浴びてトライアスロン外交官の面目躍如たるものがありました。
(窓社 出版:トライアスロン・ライフより、すばらしきトライアスロンライフ 永谷誠一より抜粋)
その堤さんは第3回皆生トライアスロン大会の水泳競技中に不慮の事故のため
意識不明のまま何年も入院されていました。
その後お亡くなりなったという悲報が届きました。
堤さんは「日本トライアスロンの父」と呼ばれています。
日本人の初めてのアイアンマン挑戦は、このように微笑ましいような、大らかな挑戦だったのです。
トライアスロンの本来の姿は一分一秒を競うようなオリンピックでやるような小さな競技でないのです。
大自然をバックに、自分が描きたいようにマイペースに自然のキャンバスに自分の軌跡を描くスポーツなんだと思うのです。
ランナーズ1881年5月号より 提供;㈱ランナーズ、
その大らかなスポーツは新聞、TVで報道され、鳥取県米子市の皆生温泉旅館組合の方が永谷さん、堤さんを訪ね、
皆生でトライアスロン大会をやってみたいと相談をし、お二人の協力を得て日本初のトライアスロン大会が誕生しました。
1981年 第一回皆生トライアスロン スイム2.5km バイク63.5km ラン36.5km
8月20日、午前7時スタート 天候:快晴 気温:26℃
参加:53名 完走:49名
優勝したのは2人、あこがれの高石ともやさん(福井県フォークソング歌手・当時39歳)と下津紀代志さん(熊本県)
総合:6時間27分33秒
(高石ともやさんの完走記を紹介:高石ともや・RUNNING BOOK I 気分はいつもトライアスロン より)
8月20日 午前4時30分朝食、5時散歩、6時大会本部集合、7時米子市長の合図で水泳の出発。
2メートル近いうねりがある。 自分をふるい立たせて海にとび込む。波が高くてブイが見えない。
周囲の黄色いキャップも少なくなって行く。 みんなずい分速いようだ。
近くで舟から声がする「コースがずれているぞ」「どっちへ行けばいいのですか?」「太陽に向かって泳ぎなさい」
海を泳ぐのは孤独なものだ。水の音ばかり水の色ばかり、自分がどれほど進んでいるか見当もつかない。
これがトライアスロンというものか。 舟から声がした「あのブイが最後だ」
たしかに海岸に人が大勢いる。 あれがゴールらしい。 これで苦手の水泳が終わる。なんとかなりそうだ。
自転車のコースは63.5キロだが、経験をつんだレーサーの人が言うには急な坂が多いので平地の100キロ分だと言う。
目標は3時間30分。 水泳の後食べたのはバナナ1本とレモン1個だけだった。
愛車「空」号にのるとほっとする。 そしてスピードが急に上がってゆく。
最初の折り返しでトップとの差が15分。 予想以上に差は開いていなかった。
自転車コースでみんなを悩ませたのはダート(砂利道)が片道3キロもあることだ。
30キロあたりダートに入った所でパンクした選手がいた。
急にこわくなって僕は自転車から降りて車体を押しながら駆け足した。
スパイク付きのサイクル・シューズは歩きずらい。 何ていういじわるなコースなんだろう。
トライアスロンというより障害物競争だ。
自転車コース2度目の折り返しで食事をとる予定だった。
しかしトップの通過タイムを見ると7分しかはなれていない。
急に目の色が変わって行った。 やる気になってしまった。
ヘルメットをとり水をかぶっただけで、ゴールまで20キロを飛ばすつもりになっていた。
車体についている1/2リットルボトルのゲーターレードだけですませてしまった。
復路の砂利道もパンクなくラッキーな「空」号は4位でゴールに入った。
残りは得意なマラソンだけだ。 休む必要もない。
ゴールするなり「車にのせてください」僕は叫んでいた。
車の中でマラソンシューズのひもをしっかりむすんだ。
水泳のゴール地点がマラソンの出発地点になっている。
スタートして3キロでトップのランナーに追いつき、すぐに抜き去った。
ちょうどラジオの時報が正午を鳴らしていた。
空に雲は少ない。 台風15号の影響も無い。 暑くなるぞ、これから36キロを行くのは
まだ見ぬこわい怪物にでも向かっていく心境だ。 暑さにまいってしまうんじゃないか。
水泳と自転車の疲労がドッとせめ寄せてくるんじゃないだろうか。
コースをまちがえているんじゃないだろうか。・・・・不安ばかりが押し寄せてくる。
せめてもの救いは、ワゴン車に乗った家族3人がのんびりと応援してくれていることだ。
15キロ地点、長身の選手が僕を抜いて行く、すぐに彼の後を追う。
トップより後ろにつく方がずい分と楽なものだ。
それにしても1キロ4分ちょっとのスピードだろうか。 いいペースだ。
折り返し18キロ地点から25キロまで苦しかった。 疲労が出て来たのだろう。
身体はしきりに休みたがる。 しかし一度大きく休んでしまうと次に走り出すのが大変だ。
3キロごとの給水所では全部、水をかぶりジュースを飲んだ。
下津君という最良のペースメーカーがいたおかげで、大きくくずれることもなく25キロを過ぎる。
あと8キロ地点で二人並んで歩道橋を渡ったとたんに、ふっと気が抜けてしまった。
どちらともなく「このまま一緒にゴールインしようか」 「最後は手をつなぎましょうか」
相手を出し抜いて機をうかがうこともなく、給水所も二人でゆっくり水をかぶって、
話しながらとても気分のいい二人旅になっていた。
温皆生温泉街の東の端、最後の角を左折すると400メートルむこうにゴールのテープが見える。
朝7時のスタートで今14時30分近く。 ずい分と走り続けたものだ。
歓声が聞こえて来る。 堤先生が躍るように迎えてくれている。
さあ、下津君と二人で大きく手を挙げようと手を取る前に、彼が僕の左手を高く挙げてくれていた。
ゴールは200人ほどしかいないはずなのに大歓声になっていた。
ホノルルマラソンの数千の声援にも負けない熱い歓声だった。
やっぱりマラソンより激しいスポーツだ。 もっと野生のスポーツだ。
敵に勝つというのじゃない。 海と波と取っくみ合い、魚になり、
山を越え、四つ足の動物になった気分で坂をかけ降り、風を切り、二本の足で人間らしくゴールする。
6時間27分33秒、泳ぎながら走りながら、ずっと昔、子供の頃に忘れて来た大事な何かが
僕の身体を熱くかけめぐっているのがよくわかった。
トライアスロン ー 現代に生まれた新しいスポーツ、ひとはまだルールもないこの種目をスポーツと
呼ばないかもしれない。 でも初めて挑戦して、こんなに心が熱くなるのだから身体の奥から
燃えてくるのだから、まちがいなくビッグなスポーツなんだ。
こんなに心踊る大会を用意してくださった皆生温泉の皆さんに感謝します。
コース案内や給水、そして声援をありがとう。
米子北高のみなさん。 そしてトライアスロンへ導いてくださった永谷さん、堤さん、堀川さん、
ありがとう。
おかげで素敵な39歳の記念塔が出来ました。
また来年、皆生の浜で、大山のふもとで、みんなが会えますように。
’81年8月20日、60日間の僕の熱い夏が終わりました。
この秋は身体をうんと休ませてやります。
走る人にも走らない人にも走れない人にも素敵な秋でありますように。
今でいうトランジションは各種目のスタート地点がが離れていて車に乗って移動したらしいです。
なんとおおらか、のんびりしたものか!
そしてランの途中では体重測定もしたらしいです。
(体重が減り過ぎていたら、、リタイア勧告される)
創成期の大会に参加された草分け的な人の話は本当に面白いと思うのです。
この皆生の後にはいくつかの大会が生まれました。
石川県、小松トライアスロン、、、水泳がなく、バイク53km、登山10km、ラン20km
神奈川県、湘南、、、ハーフ・トライアスロン。。東京九段下あたりにあったグローバルマラソン協会が主催の大会だった記憶です。
その後、ハーフ・トライアスロンの開催を千葉県の九十九里に移した時に、一度出場しました。
トライアスロンの原点のような手作り感満載の草レースそのもの、かなりアバウトな大会でした。
そしてトライアスロンの黎明期、トライアスロンの夜明けとも言える1985年の到来です。
4月宮古島トライアスロン
6月アイアンマン・ジャパン イン びわ湖
10月天草国際トライアスロン(日本初の51.5km)の3つのビッグレースが開催され、
TVでも放映されることになりトライアスロンというスポーツが世間に広まる年となりました。
第一次トライアスロン・ブームの到来でした。
日本のトライアスロンについてはTRY-Xに日本トライアスロン物語というものがあります。
VOL1 から VOL54まで、かなり読み応えがあります。
これ以上詳しく紹介されている日本におけるトライスロンの歴史はどこにもなく唯一無二の存在です。
トライアスロンに興味があれば一読の価値があります。
本で出版されれば購入したいほどです。
Vol.4:風神の巻 序章4:ファインダーに一筋の光が注し込んだ では堀川さんのトライアスロン談義があります。
Vol.5:風神の巻 第1章その1:日本人の挑戦が始まった で堀川さんがアイアンマンへの挑戦を決意するお話です。
ここでご紹介させていただいた永谷さん、堤さんは
Vol.6:風神の巻 第1章その2:熊本の血が騒いだ から登場します。
Vol.8:風神の巻 第1章その4:日本のトライアスロンの原点はここから始まる では高石ともやさんのトライアスロン談義があります。
最初の皆生の大会は VOL20風神の巻 第2章:53名の英雄が泳ぎだした
第一回宮古島大会は Vol.45:火神の巻 第5章その7:祭りが始まった
アイアンマンびわ湖は Vol.48:火神の巻 第6章 その1:アイアンマン・レースが日本に上陸
から始まりますが、レースそのものは Vol.50:火神の巻 第6章 その3:世界の強さが際立ったアイアンマン・レース
そして余談ではありますが、Vol.49:火神の巻 第6章 その2:水温は低かったが大会を挙行 では
トライアスロン談義として、平凡な一般トライアスリートを代表して僕の初レースの話が登場しちゃうという嘘のような
日本トライアスロン物語。 他にも興味深い内容、今となっては伝説、他では知りえない内容ばかりです。
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貴重な時間を費やし最後まで読んで頂きありがとうございます。
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