花と山を友として

何よりも山の花が好き、山の景色が好き、山で出逢う動物が好き、そして山に登る人が好き。
写真と紀行文で綴る山親父日記

車の修理完了

2013年10月22日 | 日記

咲き残りのツクバヒゴタイ

走行中にゴーゴー音がするので、顔なじみの修理屋さんに相談したら
「タイヤの音だと思う」というので、BSのタイヤに取り換えたのですが
それでも轟音がするので、とうとうメーカーのお店で見てもらうことに

「後輪のボールベアリングが故障してます」とのことで、原因がタイヤ
ではありませんでした。
5年の保証期間内なので、壊れたのは左側でしたが、両輪とも部品交換
を無償でやってもらいました。
これには修理屋さんの「右側が保証期間を過ぎてから故障したら、有料
になるんだから、両方を交換してくれよ」という口添えをしてくれた
おかげです。

でも、まだ使えるタイヤを交換したんだから、痛かったなー。
「普通二年半でそんなところ故障しないよ」と修理屋さんが言っていた
けど、そんなこと今更言われてもなー。


ヤマラッキョウ開花


花の部分拡大

===============================================


2008年10月12日那須の姥ケ平のひょうたん池手前から朝日岳方面の紅葉


上の写真の中間の尾根をズームで撮ると緑の中の紅葉がよかった

筑波山・御幸ヶ原から雲に浮かぶ日光連山

2013年10月19日 | 写真

筑波山の御幸ヶ原から雲の上に日光連山が見えた


こちらは山座同定の為の展望図


日光連山の右には、高原山から那須にかけての山も


同方面の展望図


筑波山のケーブルカー山頂駅で、筑波山ビジターセンター~自然のひろば
が始まったので、見学に行ったらインストラクターのKZさんが「雲の上に
日光連山が見えるよ、見た?」というので、あわてて外に出て撮影したのが
上の写真。
雲の上に浮かぶように見えるのは珍しいので嬉しい。
この後飛び入りで観察会に参加して、帰りに見たときには雲に隠れて
見えなかった。


===================================================
今日、飛び入りで参加した観察会で、「ハバヤマボクチ」という
植物を紹介された。
筑波山には「オヤマボクチ」しか無いと思っていた私は、早速
写真を撮った。
ところが帰って取り込んでみたら、ソフトフォーカスのエフェクトが
かかっていて、大失敗だった。
取り直しに行きたいけれど、しばらくは天気が悪い
しかも肝心のハバヤマボクチは、既に折られていたから、日数が
経ったら枯れてしまうだろう。

ハバヤマボクチ(葉場山火口)
葉場山とは草刈り場のある山のこと、早い話高原状の所やススキ草原
の所に生える多年草。分布は福島県以西、四国、九州

特徴は、下部の葉は長柄があり、葉身は10cm~20cmの3角状ほこ形。
基部の左右は横に張り出して先はとがる。ふちには欠刻状の歯牙が
あり、裏面は綿毛をかぶって白い。

上部の葉は、しだいに小さくなって卵状三角形。
茎は太くてかたく、紫褐色を帯びる。

10月頃、直径4~5cmの暗紫色の頭花を枝先に下向きにつける。
総苞にくもの糸のような白い毛がからまり、筒部はオヤマボクチより
長い。


雨の日は「晴耕雨読」という言葉の様に、本でも読むかな。

探しまくってようやく見つけた「永遠の尾瀬」中古本だが私には
尾瀬のバイブルと言っても良い本だ。
今年ももう一度くらい尾瀬に行きたかったが、台風の来すぎで予定が
たたない。
10月13日には燧ヶ岳も初冠雪したらしいから、もう冬である。
行きたいなー。



筑波山ビジターセンター自然の広場を土日開催

2013年10月18日 | 日記
NPO法人つくば環境フォーラム主催の筑波山ビジターセンター自然の広場が
土日限定で明日から11月30日の土曜日まで開催されます。
場所は筑波山ケーブルカー山頂駅の2階休憩室
時間は午前9時半から午後17時まで

詳しい内容は NPO法人つくば環境フォーラム のホームページほご覧ください








こんな写真を撮ったら持ち寄って自然発見ボードに張り出しましょう
会場で印刷できますよ。



安達太良山・紅葉劇場その3

2013年10月18日 | 登山

(今回は撮影しなかったので、3年前の写真で説明)
くろがね小屋の前に丸太のベンチなどがあり、休憩出来る
ようになっている。
比較的風当たりも弱かったので、ここで昼食にした。
(例によってこちら向きの登山者にはモザイクをほどこした)

風が無ければ、最高の休憩場所で、目の前の鉄山の紅葉が
流れる雲の影で、スポットライトを浴びた舞台のようであった。
くろがね小屋の客の誰かが、名前の元になった黒い鐘を鳴らした
カーンと冴え冴えとした音色が谷にこだまし、風に乗っていった


くろがね小屋の上流側は立ち入り禁止になっていてロープも
張ってある。岳温泉などの湯元になっていて、噴気口から
有毒ガスが出ているのだ。
登山者が5~6人、ロープの中に入り込んで休んでいた。
「あそこ入っちゃダメだよね」と話しをしていたら
くろがね小屋の方から男性が一人、駆け上がってきて叫んだ
「そこは立ち入り禁止ですよ、有毒ガスが出てますから
何があっても責任はとれませんよ。すぐ出てください。」
あわてて全員が降りてきた。

立ち入り禁止の看板も有るし、ロープも張ってある。
それでも尚、入る人がいる。公営とはいえ、くろがね小屋の人も
大変である
ロープをピーンと張り直して小屋の人が降りていった。

時間がおしていたので食事の後、コーヒーも飲まずに出発した
少し登ると巨岩が散在する開けた場所がある
そこからは「くろがね小屋」も見下ろせる展望がある
少し遅れているIさんを待って、光と影の織りなす紅葉を見ていた


光と影の織りなす自然のページェントが繰り広げられる








篭山から勢至平に続く尾根の上が赤く燃えている。
Kさんは言う「あれはきっとナナカマドの実だよ」
それほど今年はナナカマドの実が付いているのだ。
遠く二本松の町が霞んでいた。


矢筈森と篭山の間に有る「峰の辻」の尾根を目指して
登ります
峰の辻は、4つの登山道が交差する重要な場所である。


これも3年前に撮影した峰の辻の案内標柱

最初はここでコーヒータイムにするつもりだったが、風が
強くて「低体温症になるよ」と言うのであきらめ、どの
コースで登るか聞くと、「時間がないし「沼の平」は前回の
時に見たからパスして、安達太良山に直登するコースを
行きましょう」という。

ということで、前回の時に見た「沼の平」の写真を紹介

沼の平の全景
ここも3年前にブログで説明しているので、それをそのまま
引用コピーする。

以前は、この沼の平を横切って馬の背に登るルートが有ったが
平成9年の9月15日 午前10時過ぎ、関東から来たグループが、沼の平に到着後
濃霧に巻かれて道を失い、3班に別れて道を探りながら進んだところ、その内の南に
進んだグループが、障子ヶ岩の絶壁に阻まれ、引き返す事になり
その途中で火山ガスを吸った4人が次々と倒れて死亡した為、その後沼の平のコースは
入山禁止になった。(山渓のYAMAPから引用加筆)
また同じ理由で、馬の背からくろがね小屋に向かうルートも入山禁止となっている。

日本百名山を書いた深田久弥も岳温泉から勢至平を通り、くろがね小屋に一泊して
馬の背に登り、沼の平の様子を次のように書いている。
「三方をものすごい岩壁に取囲まれたこの平は、その名の通り以前は沼だったそうだが
今は砂地に化している。
明治33年(1900年)の爆発でここにあった硫黄精錬所が害を被り、70余人の従業員が
全滅したという。」

これを読めば、この沼の平が比較的新しい火口である事が判る。
深田は、その後山頂に登り、「霧に包まれて眺望は得られなかったが、山頂を極めた
喜びに変わりは無かった。」と書いている。


これを読めば、くろがね小屋の上流側が立ち入り禁止に
なっている理由がわかるであろう。

長くなったので話しを戻して


峰の辻から安達太良山に向かうコースの様子、もちろん山頂は○○の形
だから判るよね。(笑)


苔に覆われ緑に染まった美しい谷の脇を登ってゆくと


逆光にキラキラ輝くカヤが有ったりして、思わず立ち止まる。
振り返ってみると


矢筈森から峰の辻に下る道に大勢の登山者が見えた


峰の辻も明るい日差しに照らされている。


もう少し上から再び振り返ると、矢筈森の尾根が帯のような
黒い影に染まっていた。


振り仰げば、山頂の肩の薬師岳コースとの分岐がもうすぐだった。

この後、私たちは山頂には登らず、薬師岳に向かって長い坂道を
下っていった。
石かごろごろしたり、段差が有ったりしたが、またもやツルリンドウ
などの花に癒されて下った。
仙女平の分岐で、風の当たらない場所を見つけ、ようやく暖かい
コーヒーを入れた。時間は午後の2時20分過ぎだった。

これがこの後の悪路の下山で役に立ったのである。
疲労がたまると、思いがけない物につまずいたりする。
本人は上げたつもりでも、足があがっていないのだ。

暖かいコーヒーで覚醒した身体が、事故を防いでくれた


振り返れば、早くも日が傾いて紅葉の斜面の陰影が濃くなっていた


ようやく薬師岳展望台に到着すると、「この上の空がほんとの空です」
と書かれた二本松市の記念標柱が立っている。
この言葉は、高村光太郎の詩集「智恵子抄」に書かれた妻千恵子の
言った言葉に由来する。
千恵子は二本松市の造り酒屋の娘だったから、二本松市が記念に
立てたのであろう。
故にここは記念撮影のメッカになっている。

尚、このことについては、日本百名山の深田久弥氏も書いているが
花の百名山の安達太良山の項で、田中澄江さんも詳しく
書かれているので一読をおすすめする。


日がかげって輝きを失ってしまったが薬師岳展望台からの
紅葉の眺め、ゴンドラリフトが動いていたらと残念だ。


薬師岳展望台から見る山頂方向の展望
左下の登山者が歩いているのが五葉松平に向かう下山路


五葉松平には立派な標柱が立っていた。
ここからスキー場のゲレンデに降りるコースは、とんでもない
悪路で、ドロドロの急坂と段差で、登山靴が泥まみれだった
無事に降りられたのは、あの暖かい一杯のコーヒーで覚醒した
からに相違ない。

午後4時過ぎ、ようやく山麓の切符売り場に戻ってホットした。
まさかの大渋滞から始まった紅葉劇場のドラマもようやく終わった。

(この山旅が復興支援の一助になることを願って)









安達太良山・紅葉劇場その2

2013年10月17日 | 登山

10月13日に歩いた安達太良山の軌跡図、半時計回りに歩いた
歩いた距離は、およそ13.5Kmである。(コース距離ではない)
(二万五千分の一の地図を画面に収まるように80パーセントに
縮小してある)

ゴンドラリフトが運休する程の風である。
リフトの山頂駅を見上げると、黒い雲が次から次へと流れていた
風に乗って霧雨が吹き付けてくる。
鼻水が出そうな寒さである。

一時避難を兼ねて切符売り場の建物に入った。
中のトイレは順番待ちの長い行列が出来ていた。
「男性は空いているらしいよ。」とKさんが言うので、「男性は
空いてますか?」と行列の人に聞くと「空いてますよ。」と言って
列の間を開けてくれた。

風は相変わらず吹き付けてくるが、霧雨が収まってきたので出発
することにした。
時間は10時少し前である。予定よりも1時間は遅れていた
薬師岳から回るか、くろがね小屋から回るか聞いたら「くろがね
小屋から回ろう。」という。

スキー場の下を北に向かって歩くと、やがて安達太良渓谷自然
遊歩道の橋を渡って、旧道の登山道と馬車道の林道の分岐に出る。
旧道は直登の道で何度か馬車道と交差するが、滑りやすい道である
馬車道はジグザグに登るので距離は長いが道は広く歩きやすい。
長い林道の登りも、咲き残りのアキノキリンソウやエゾリンドウが
励ましてくれる。
ツルリンドウの赤い実も沢山出会った。

馬車道は樹林下を歩くので、風の直撃はさけられたが、それでも
寒くて花友は何度も鼻をかんでいた。
梢をならす風の音を聞いていると、北原白秋の「里ごころ」という
歌を思い浮かべる。確か中山晋平の作曲だったと思う。

笛や太鼓に さそわれて
山の祭りに 来てみたが
日暮れはいやいや 里こいし
風吹きゃ木の葉の 音ばかり

岩手の実家は山の中腹に有って、栗駒おろしの西風(ならい)が
当たった。
ゴーゴーと風が泣き、カタカタと雨戸がふるえた。
ミシミシと家がきしみ、ホーホーとフクロウが鳴く。
寂しい夕暮れ時には、この歌の替え歌を歌った。
山はいやいや 風ばかり、、、、、、、。

この歌を思わず声に出して歌ったら、前の登山者が後ろを
振り返って笑った。

きつい登りからやや平坦な道になると、勢至平の展望所に着く
左に踏み跡を分けると、躑躅やドウダンに囲まれた展望場所がある

左はしのピークが安達太良山の山頂で、その形から乳首山とも
呼ばれている。
右のピークは篭山である。


こちらは左が篭山で右が矢筈森である

参考の為に、同所付近からの展望図を掲載する



勢至平付近の登山道

やがてくろがね小屋のある鉄山が見えてくると、付近は
昨日の写真の様な風景に変わっていく。
この付近は、3年前の2010年10月17日にも来ていて
その時は、ゴンドラリフトに乗って薬師岳から歩いた。
そのため、くろがね小屋付近に着いたのが午後だったので
曇り空になってしまったが、紅葉はもっと良かったのである

3年前のくろがね小屋付近の紅葉


同じく3年前のくろがね小屋付近の紅葉


同じく3年前の紅葉


紅葉のトンネルを抜けて、思わず笑顔の私
以上3年前の紅葉と比べてみると、今年はピークが
過ぎていたような、、、、、、。




安達太良山・紅葉劇場

2013年10月16日 | 登山

安達太良山の鉄山の紅葉1


鉄山の紅葉2


くろがね小屋付近の紅葉
左の山が矢筈森、右の山が鉄山、間が馬の背
真ん中にチラッと見えているのがくろがね小屋
馬の背の向こう側が沼の平にあたる。


鉄山の紅葉4


くろがね小屋の付近は、ナナカマドの実が鈴なりで
山が赤く見えるほどだった。

10月13日(日曜日)晴れ予報を信じて、福島県の安達太良山に
紅葉登山に行った。
安達太良山は、那須岳と並んで強風で有名な山である。
だが、そんなことはすっかり忘れていたのである。
岳温泉から駐車場に向かうと、とんでもない大渋滞に
巻き込まれてしまった。
それは安達太良山の紅葉劇場の幕開けだった
渋滞しているのに、下ってくる車も多い。
「こんなに渋滞するなんて初めてだね。」などと話をしながら
何とか駐車場に滑り込んだ。

そして、ロープウェイの切符売り場に行って、驚きの事実を
知ったのである。
只今、ゴンドラリフトは強風の為、運休しております。」
と張り紙がしてあったのだ。



筑波山のブナの結実調査と観察会に参加

2013年10月15日 | 日記

御幸ヶ原のブナ林で実が付いているか観察する会員
今年はブナの実が付いていない木が多くて
40本近く観察して、実が付いていたのは5本ほど


男体山の自然研究路のブナの結実調査をしていたら
救助隊のヘリが飛んできて、体調不良で倒れたという
男性の救助をしていた。
立身石の上から撮影


連休最終日とあって、筑波山の御幸ヶ原は大勢の観光客と
登山者でにぎわっていた。


筑波山ケーブルカー山頂駅2階で開かれている自然展に
立ち寄ると、クイズの答えを書いている人やクラフトを作っている
人たちがいた。

NPO法人つくば環境フォーラムが運営する「筑波山ファンクラブ」の
10月の観察会は、ブナの結実調査を兼ねた観察会で、毎年の恒例
である。


男体山の周りの自然研究路で観察する会員


まだ咲き残りのトリカブトが有った


フクオウソウの花も残っていた


ダイモンジソウも咲いていた


マルバノホロシも赤い実を付けている

筑波山のセンブリの花

2013年10月15日 | 写真

センブリの花、リンドウ科センブリ属、別名当薬とか苦草という
センブリを漢字で書くと「千振」と書くように、名前の由来が
判る。
この草は干して乾かし、目の粗い布袋に入れて湯に浸し、その
布袋を湯の中で振ると、薬の成分が出る。
この動作を「薬の振り出し」という。
このセンブリの煎じ薬は、苦いことで知られているが、振り出しを
千回やってもまだ苦いので「千振」になったと言われている。

この煎じ薬を飲んだ人が、あまりの苦さに千回顔を振ったという
笑い話もあると、野草の名前の著者高橋勝雄さんが書いている
余談だが、これが胃腸薬と使われだしたのは江戸中期からで
それまでは竜胆(リンドウ)の根が使われていたという。

気になるのは、それ以前は蚤(ノミ)や虱(シラミ)の殺虫剤に
使われていたと書いてある。殺虫剤が胃腸薬になった?! じぇじぇ!!


蕾も可愛いよ。


蕾と花と


花の開きかけ


センブリの花は、五弁花に見えるが基部はつながっている合弁花
花弁の先はとがり、基部には楕円形で淡緑色の蜜腺が2個ずつ
ついている。また長い毛もある。
雄しべは五本で、めしべは中央に1本ある。
また萼も五裂し、細く先はとがる


センブリの全身
葉は対生し、無柄で長さ1~4センチの細長い線形
日本各地の日当たりの良い草原に自生する。




筑波山自然展が始まりました

2013年10月08日 | 登山

今日から始まった筑波山自然展の案内表示


会場の窓際には、筑波山に生息する動物の剥製も
展示されている。

筑波山自然展は、筑波山の御幸ヶ原にあるケーブルカー山頂駅の
2階で開かれている。
詳しくは「つくば環境フォーラム」のホームページをご覧ください

筑波山でどうしても撮りたい花が有ったので、会場にNさんを尋ねて
ふらりと寄ってみた。
会場で花情報などを聞いていたら、観察会でご一緒するSKさんも
会場に来て、「スライドショーを見ましたよ」といきなり言う。
一瞬なんのことか判らず、「 ?? 」と思ったのだが、少し話しを
聞いて、このブログに載せた那須の紅葉のスライドショーの事だと
判った。
彼女も紅葉の時期では無いが姥ヶ平には行った事があるという。

近所のスタンドに、午後2時に車のオイル交換を頼んでおいたので、
ちょっとだけ男体山の入口で写真を撮って帰るつもりだった。

ウスキツバメエダシャクと思われる白いガが吸蜜している写真を
撮っていたら、SKさんもやってきたので何なのか聞いてみると
インストラクターとしてガイドする為の下調べをしているという。
そのSKさんから面白い形をしているといって教えて貰ったのが

ミツバウツギのこの実である。何かがスボンをはいたようで可愛いと
言うのである。SKさんごめん、最近耳が遠くて、、、。オイ(笑)
それはともかくとして、この実を見たのは初めてである。感謝
(光っているのは雨で濡れた為、光沢ではない )

男体山の入口ではサラシナショウマが風に揺れていた。


会場に行く前に見たアケビの実、口が開きかかっている。


アケビも食べごろである。

=====================================================

minoさんの独り言
9月の森ボラに参加したとき、「私も71歳になったが誕生日が乙女座
なのが笑えるよね、いかつい顔でさ。」とNさんに言っていたら、今回から
参加している女子大生に「可愛い!!」なんて言われてしまったけど、もちろん
私が可愛いのではない。乙女座の事である。

問題なのは、年と共に聴力と視力が落ちていることである。
車の中なぞでは、半分も話がわからないときがある。
といって、何度も聞き返すのも失礼な気がして、聞けないでいる。

そのことを花友にも打ち明けたら、私に話しかけても返事がないから
おかしいと思う時が有ったという。
kさんは、聴力は1歳を境にしてどんどん落ちていくのよと慰めてくれたが
そのことで誤解されるのはつらいことである。

それにしても補聴器は値段が高いよね。









あなたはマルティン・ニーメラーをご存じですか

2013年10月08日 | 日記

金精トンネル付近から見る男体山、最初は頭の上だけの
小さな雲だったが、やがて雲と霧で全身が覆われて見えなくなった。

マルティン・ニーメラーの書いた詩

彼らが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
(ナチの連中が共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった)
(なぜなら)私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
(なぜなら)私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
(なぜなら)私は労働組合員ではなかったから

彼らがユダヤ人たちを連れて行ったとき、私は声をあげなかった
(なぜなら)私はユダヤ人などではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった


ネットで調べると色々な訳文が載っていますが、その中から一つを
引用しました。またわかりやすくするため「なぜなら」という言葉を
付け加えてみました。

マルティン・ニーメラー、1892年生まれ1984年没
ドイツのルター派の牧師、最初はナチスの支持者だったが、後に
教会のナチ化に反対して、1937年から1945年まで強制収容所に収容
されて、かろうじて生還した。
牧師になる前は、ドイツ海軍のUボートの艦長(第一次世界大戦時)
という経歴を持っている。
1945年の終戦で強制収容所から生還した彼は、1950年代から平和主義者
反戦運動家として活動し、半核運動でも活動した。
元々は保守派でナチスの支持者だった。

この詩は、世界中で社会的無関心層に対する啓蒙として良く引用されている
という有名な詩だが、日本の現代社会でも次のような言葉に置き換えて
見るとドキリとするかも知れない

生活保護者が非難されたとき、私は声をあげなかった。
なぜなら私は生活保護者ではなかったから

原発の再開を決めたとき、私は声をあげなかった
なぜなら私は汚染地域ではなかったから