【コラム:】
『優しく触れるもう一つの”心”』
「あなたがわたくしの頭を
なでると
とてもくすぐったい気分に
なって
つい口元がゆるんでしまう
あんなにふくれていたのにね」
手のひらのことを「掌」という
場合は、そこには”手の心”と
いう意味が含まれていると
いわれます。
人に優しく触れたりものを
受け取ったりするとき、手に
心があると感じられたので
しょう。
「掌中の珠」は最も大切にし
ているもの、最愛の子供を
さします。
「掌を指す」は明白で、疑問が
まったくないということ。
夏目漱石の小説『こころ』の
一節には「掌が翻ったように」
(手のひらを返したように)とい
う使われ方をしています。
どれも、心のうちを表している
言葉としての「掌」です。
あらためて自分の「たなごこ
ろ」を見つめたくなりますね。
野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220
『創業120年』
【コラム:】
手をローソクの火に照らしてみる
と、灯りのほうを向いている側は
明るく、手の裏のほうは暗い。
どちらでも手であるのに、灯りが
当たっているか否かで、明暗が分
かれます。
この世も同じで、明暗、暗くは
表裏一体です。自らの人生を明るく
したければ、明るい気持で、明るい
ほうを向いて歩き続ければよいの
です。
ところが、人間の心には善心と悪
心とがあり、煩悩とか欲望という
悪心の殻が善心を被い隠していま
す。
この煩悩とか欲望の殻を破ると、
自然と人間の本性である善心=
忘己利他(己を忘れて他を利するは、
慈悲の心なり)の心が現われて
くるのではないでしょうか。
難しい話はおいても、不平・不満・
愚痴を言うことをやめて、常にプ
ラスの氣を発散して明るく生きる
ことです。
いかに暗い世の中であろうとも、
まず自ら一本のローソクとなれば、
少なくとも自分の周りは明るく
することができます。
その火を次々と隣りの人に移して
いけば、この世は次第に明るくなっ
ていきます。
他のせいにせず、まず自分が一隅
を照らす努力をすることが大切だ
と思います。
自分が最初の一人になることです。
野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220
『創業120年』