ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「ぼくが男の子だった頃 Ⅰ」ブリュー・ミュージアム SAKU 店長コラム

2017年03月10日 20時34分19秒 | owarai
【コラム】

<片恋>
「世界中の恋の数は一定なのだ」
と、妖精は言いました。

「だから、ここにひとりの片恋
がいるということは、世界中の
どこかに、その片われがいると
いうことなのだ」と。

ぼくは、広い空を見あげてると、
何だかかなしくなりました。
ぼくの

まだ見ぬ片恋の相手は、
どこにいるのだろうか?




63体のビスクドールを展示

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業122年』


「朧」おぼろ:ブリュー・ミュージアムショップ 佐久:ヤナギダ店長コラム

2017年03月10日 13時15分11秒 | owarai
【コラム:】

「せつない別れの季節には
想いのたけを集めましょう
そして 朧の籠に乗せ
夜空の海へ 流しましょう」

『ぼーっとかすんで、なま
めかしい気配』

春の夜のぼんやりとかすんだ
状態が「朧」。

湿った南風の運んだ水蒸気
が空気中に立ち込めている
ためです。

夏であれば湿度が高く、蒸
し暑くなりますが、春の湿気
だと、夜気もやわらかく感じ
られ、湿った空気の中になま
めかしい気配を漂わせます。

同様の状態には何にでもつけ
られる語で、代表的なもの
は「朧月」。

どこか濡れたような月が空
にある景色が思い浮かびます。

日本の詩人や物語の作者に
愛されてきた「朧」。

『源氏物語』にも「朧月夜の
君」が登場しますし、漢詩や
和歌にもたくさん詠まれています。

63体のビスクドールを展示

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業122年』


「叱られたり、怒られたりすると、」ブリュー・ミュージアム SAKU 店長コラム

2017年03月10日 11時43分20秒 | owarai
【コラム】

叱られたり、怒られたりすると、
人は卑屈になります。
卑屈は態度に表われます。

決して、卑屈になってはいけません。

なぜなら、「叱られる」「怒られる」
の関係はふれあっています。
相手はそのとき、あなたの未知な
る可能性を感じているのです。



62体のビスクドールを展示

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業122年』


「せめてこれくらいなら自分にもできる!」 ブリュー・ミュージアム SAKU 店長コラム

2017年03月10日 05時04分02秒 | owarai
【コラム】

私たちの心の中には、知恵
と感情の二つが混在してい
ます。

知恵が光だとすると、感情
は雲です。どれだけ知恵の
光があっても、感情という
雲が出てきたらおしまいで
す。

時々「まさか、あの人が・・」
と言われるような事件が起き
るのも、感情の雲が邪魔を
して知恵の光を曇らせてし
まうからです。

「そもそも感情の世界という
のは、自我への執着から始
まっていますから、執着から
離れることによって、

感情の束縛から離れること
ことができます」と清水寺
の森精範貫主は言います。

そして「執着から離れる
には、布施の心を持て」と
言います。

布施というのは、「これをあ
げたら惜しいなあ。でも、
困っているのだからあげよ
う」と、自分の大切にして
いるものを、執着を断って

差し上げることだそうです。
そのとき、「・・・・して
やったから」と、見送りや

感謝を期待していては布施
とは言えません。

私たち凡人には難しいこと
ですが、せめて「大した
ことはできませんが、

これくらいならさせてもら
います」という精神で助け
合って、感情の曇りを少し
でも払いたいものです。


62体のビスクドールを展示

野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業122年』