ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

替り目

2019年09月09日 18時56分56秒 | owarai
落語家のなりそこないの私は
今でも落語があきらめきれず、
夢で高座に上がっている。

亡き、志ん生さんは無類の納
豆好き。昔、納豆売りに失敗
したとき、やんなるほど
食べただろうに。

志ん生さんが演る『替り目』
の噺ん中にも、出てくるんで
す、納豆が。

『替り目』というのは、―――
飲んだくれた亭主がいつもの
ように酔っ払って帰ってきて、
まだお酒を飲むと駄々をこね
る。

だけど、肴がないってんで、おか
みさんにおでんを買いにいかせる
です。その後、今までさんざん威
張ってた亭主が、独り言で

「ウチの女房ほどいい女はいな
い。苦労させてすまねぇと思って
るんだ」って、日頃言えない本音
を吐くんです。

ところが、おかみさんはまだ出掛け
てなくて、後に立っていた―――
って、いうような人情噺で、志ん生
さんの十八番(おはこ)の一つ。

倒れた後に初めて上がった高座でも
演った。

この『替り目』ん中に、夫婦の
こんなやりとりがあるんです。

「今朝、食べた納豆の残りが十三
ばかりあったろう、あれ、出して
くれ」

「ああ、それ食べちゃった」
「おなえは何でも食べちゃうな」
これなんかも、志ん生師匠が納豆
好きから出てきた台詞だと思うん
です。

ここのお嬢さんがエライ、弟が生
まれて忙しくなったからと麻布の
貯金局を辞めてしまった。

弟の志ん朝さんを、このお姉さんの
美津子さんが面倒を見た。

だが、志ん朝師匠に、大人になって
からも感謝されたことはなかったと
いう。

志ん生師匠とお母さまのりんさんが
亡くなった後、お姉さんの美津子さ
んが一人っきりになったときから、

志ん朝師匠は、黙って仕送りを美津子
さんにしていた。お正月にはお年玉
をあげたり。

志ん朝師匠が家を建て替えたとき、
わざわざ美津子さんの部屋を造って
いた。それが志ん朝さんの
「姉ちゃん、ありがとね」って、
言葉の代わりだったんですね。

お後がよろしいようで・・・。

忘れな草の水色を滲ませ。

2019年09月09日 12時08分22秒 | owarai
「同棲なんですね」
シャープなナイフで、何か
を切り取るような言い方、
でもそれは、決して人を
不愉快にはさせな言い方
でもあった。

「はい」
と、澄み切った声で、わたし
も返事をした。わたしにと
っては「結婚」よりも「同棲」
の方が、何倍も好きな言葉
だった。


ためわらず「愛」という語を

口にするバニラのにおい

ほのかにさせて



YouTube

Tokyo love story final episode sony RX-1

https://www.youtube.com/watch?v=hyFO6nxbjOE&index

昼と夜の狭間

2019年09月09日 12時00分54秒 | owarai
黄昏どきはなぜ人を淋しく
させるのでしょう。

昼と夜が溶けあう微妙な時
間。夕焼け空がやがて青い
闇に覆われていく様子を見
ていると、忘れていた想い出
がよみがえったり、

今、ここにひとりでいるこ
とが心に迫ってくるもので
す。誰かと一緒ではないと
いう所在なさに、途方に暮
れてしまうのかもしれませ
ん。

不思議なもので、黄昏どき
というのは恋人がいてもい
なくても、人をうら淋しい
気持にさせるものです。

そう、ずいぶんと昔の話。
秋になり日が短くなる頃、
何かは淋しさを呼びお越
し、せつなさの琴線を弾
きました。

黄昏ていく世界の中で、
自分はいったい何なのだ
ろう・・・・。

愛する人と自分うを重ね
合わせながら、長い夜を
連れてくる黄昏の紫いろ
に包まれたものでした。

そんな気持ちになるのは、
誰かを思っているからな
のです。

覚悟 『嫌われ者になる覚悟は できているか』

2019年09月09日 08時23分04秒 | owarai
優等生でいようとするから
疲れるのだ。他人が何と言
おうがかまわない。

嫌われてもいい。自分はこれ
がやりたいんだ、と考えれば
楽になる。心配しなくても、
好かれる嫌われるかは、気配
りの多い少ないではないのだ。

いくら気配りしても嫌われる
人は嫌われるし、気配りなん
かしなくても、好かれる人は
好かれるのだ。

嫌われないようにしようとす
る努力すること自体、人間
関係に不自然な力が作用する
ことになる。

一度嫌われ者になってごらん。
こんなに気持ちのいいことは
ないのだから。

「心の置きどころ」

2019年09月09日 05時12分09秒 | owarai
“まずこちらから声をかけてみる”
Aさんは、自分は、会社でに
白眼視されていると訴える。
なぜなのだろうか?

私たちは、自分ほど可愛い物
はない。

ですから、人が自分に会った
とき、心地よい微笑みや優し
い言葉をかけてくれないと、
私たちの心に不満が
生じ、あの人は冷たい、あの
人は私を無視している・・・
と思いがちである。

結局、自分に甘えているのです。

自分に会ったら、人は笑顔や親
切な言葉をかけてくれるものだ
と、決めてかかっているのです。

しかし、こちらだけが微笑みや
親切な言葉を期待しているので
はなく、相手も微笑みや親切な
言葉を期待しているのです。

人が自分に悪感情を持っている
と感じるとき、たいていの場合
は自分に原因があります。

思い切って、こちらから「お元
気ですか」と先に声をかけるこ
とです。

誰もがそれを望んでいるのです。
こちらが心を開けば、相手もき
っと心を開いてくれるはずです。

有名な言葉に、「人にしてほしい
ことを、人にもしてあげなさい」
とあります。

自分中心に物事を考えずに、まず
相手思考をすることが楽しく過ご
すコツです。