ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

陽に漏れて駅まで歩く吾と君の近づきすぎて遠ざかるもの >「男性」

2019年09月20日 19時28分04秒 | owarai


彼はわたしの人生にとって
大チャンスだった。
わたしにとっては、
父であり、兄であり、家族
全体だった。
/ココ・シャネル

女にとって男というものは、
女よりも力があり頭もよく、
一緒にいると多くを教えて
くれる存在であってほしい。

父親のような存在です。

本を与えてもらったり、いろ
いろな所に連れていかれたり
して見聞を広げる。

このようにして、娘は男性を
尊敬し、新たな父であり兄で
もある男性を求めて、成長し
ていくことになります。

シャネルも当たり前のように、
魅力ある男性たちと人生の時
間を共有しました。

これは単に「恋多き女」という
だけのものではありません。

男性たちから、生きていくのに
必要な教養を得て、社会や世界
全体を学び取っていったのです。

交流のあった男性たちが「学校」
だったと言えましょう。

最近では、顔が整い育ちのよい
男は増えたけれど、さらに頭も
よく、体も丈夫で運動もする、

見聞の広い男となると、そうは
いません。

そんな男たちに育ててもらいた
いと、いつも女は思っています。

でも、「女は退屈、頭のイイ女は
100万に5人」と、シャネル
は同性にも厳しい目を向けてい
ましたから、

女性のほうも、ただキレイで可
愛いだけではない、シャネルの
ような「いい女」でいなくては、
願いは叶わないかもしれません。









「いい仕事は心の“解毒罪”」

2019年09月20日 12時48分09秒 | owarai
「人間は業を溜めて、自分や
周囲の人の人生に悪影響を及
ぼしている。

今生きている自分が、業をこ
れ以上増やさず消していくよ
うに努力する必要がある」
という。

業を解消するためには、自分
以外の人を喜ばせることです。

最初は意識してでもよいから
人に奉仕し、努力するように
努める。

また、業は心の歪、曇りから
生じるものだから、毎晩、今
日一日自分のしたこと、考え
たことを反省するとよいそう
です。

「魂の修行には奉仕すること
が大切」と言うと、ボランテ
ィア活動などを思い浮かべる
かもしれませんが、

もっと日常的、永続的に実践
できる奉仕があります。それ
は仕事を通じてなされる奉仕
です。

労働の本来の目的は、社会に
貢献したり、人に奉仕したり
することにあると思います。

毎日自分がしている仕事を
通じて、「どうしたら世間の
役に立てるか、お客様に喜
んでいただけるか」を真剣
に考えてみることです。

本当にお客様に喜んでもら
うためには、たいへんな努
力と創意工夫が必要です。

しかし、そのプロセスを通
して、魂の修行はなされて
いくのです。

その日その風の中にて『ぼくと一緒に歳をとる服』

2019年09月20日 12時00分59秒 | owarai
例えば、自分の顔のことを想像
してみようか。

若いうちは、しわもない。生命力
が無邪気に輝いている。

これが時の流れにあわせて、ちょ
っとずつ亀の歩みではあるけれど、
変化している。

陰影が出てきて、生き方を正直に
映し出すようになってくる。

「男は自分の顔に責任を持て」な
どと言われたりするのも、この
ためだ。

顔を捨てたり取り替えたりすること
はできない。

一緒に年齢を重ねていって、その時期
なりのいい表情をしているようにと心
がけるしかない。

服だって、おなじではないだろうか。

手に入れてから年月が経ったから、
流行に遅れているから、といって別れ
なければないない服でなく、

一緒に歳をとってくれる服を選びたい。

『遠いところから、拍手をしてあげよう』

2019年09月20日 11時54分45秒 | owarai
「遠いところからの拍手が
一番うれしい」
レストランで食事をしていると、
「ハッピーバースディ・トゥーユー」
の歌が聞こえてくるではあります。

お誕生日のお客さんがいるのです
ね。そのとき、あなたはどうしま
か?

席が隣なら、
お祝いの拍手をするでしょう。

たとえ席が隣でも、
知らない人なのだからと、
拍手をしない人もいます。

中には、うるさいと
迷惑そうな顔で見る人まで
います。

席が離れていると、
隣の人しか拍手をしていな
かったら、拍手をしない
人がほとんどです。

どんなに席が離れていても、
祝福の拍手をしてあげましょう。

「死んで棺桶に入ったつもり」になると正解が出る」

2019年09月20日 08時33分27秒 | owarai
「死んでから、人生を考えて
みれば、どうでもよかったの
である」

上司や部下との対立、夫婦の
いさかい、親の介護、子供
の進学・・・
誰もが日々悩み多き生活を
送っています。

ときには、「もう、どうでも
いいや」と投げ出したくも
なるでしょう。

しかし、たった一度でも
投げ出してしまえば、これま
で築いてきたものが一瞬にし
て瓦解してしまうので、

皆ガマンガマンで暮らして
います。それが冒頭の言葉
なのです。

たとえどんな悩みであって
も、死んで棺桶に入ったつ
もりになって自分を見つめ
てみれば、

自分は傍観者であるという
ゆとりが生まれ、冷静な目
で大切なことがハッキリと
見えてくると言っているの
です。

障害者で詩集も出している
小曽根俊子さんが詩の中に
お母さんのことを書いてい
ます。

お母さんは「なぜ、うちの
子だけが」と毎日泣き暮れ
ていたそうです。ところが、

妹が生まれてからはお母さ
んは泣かなくなった、と彼
女は言っています。

幼い妹が障害のあるお姉
ちゃんを無条件で受け入れ
ているのを見て、

お母さんは、人と比べること
の愚かさに気づいたのです。

人生においてどうでもいい
ものと、そうでないものが
ハッキリ見えたのですね。

「隠せぬ背中」

2019年09月20日 08時20分47秒 | owarai
正面は堂々とした態度に見え
ても、背中が弱点をあらわして
いる人がある。どんな人間も裏
は隠せない。

吉川栄治に『背中哲学』という
随筆がある。そのなかで、次の
ように書いている(『われ意外
みなわが師―私の人生観』)。

「前から見ると、くしゃくしゃ
な顔をしているけれど、背中から
見ると、円光の輝いている人は、

私の知己の中では、菊池寛氏だと
思う。一緒に歩いている時など、
後からあの背中を見ていると、

ただまるっこく肥えているだけだ
が、縹渺(ひょうびょう)として、
何か味がある。その味はどんなもの

かというと、『後の安心』とう相だ。
背中には、家庭がそっくり描いて
ある。

いかにも、搦手の木戸は安心して、
大手に向かって床几をすえている
城将の趣だといつも思う」

さらに、
「しかし、夜の銀座裏を歩くとき、
なんと、そこにまだ『帰らぬ良人』
がたくさんに酒の灯の下をうろついて

いることだろう。あの酔っぱらい
達の背中には、脆さや、不安定や、
空虚だらけだ。この人達が、安定の

後光を負ったら、みんな倍も仕事を
するだろうと思う」
と続け、手厳しい。

「人の背中は見ゆるけれど我が背中
は見えぬ」という。自分には見えぬ
背中が、他人には隠せないのでつ
らい。

『降っても晴れても「うれしい人」で』

2019年09月20日 06時41分00秒 | owarai


清水寺の大西良慶和上は、
よくこんな話をされたそ
うです。

草履屋さんと笠屋さんに
嫁いだ娘を二人持つ母親
がいた。

この母親は、雨が降ると
いつも草履屋さんに嫁い
だ娘のことを思って、

「雨で草履屋の商売はあ
がったりやなぁ」と嘆き、

天気になったらなったで
傘屋さんに嫁がせた娘の
ことを思って、

「こんなに天気が続いて
は傘屋の商売はあかんな
あ」と悲しんだそうです。

これを聞いた人が
「お母さん、それはあんた
の心の置き違えどっせ。

晴れたら、草履屋さんのお
商売を喜んであげたらよろ
し、雨になったら、傘屋さ
んのお商売を喜ばはったら
ええのと違いますか」と
言ったと。

同じことでも、ちょっとし
た心の置きどころによって、
気持ちが180度違ってき
ます。

何ごとも悪く考えたり、悪い
面ばかり見るのではなく、
良く考えたり、良い面を見る
ようにすることによって、

毎日の生活が楽しく積極的に
なってきます。子どもや部下
などに対するときも同じで、
良い面だけを見たいものです。