ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「復活のサイン」

2020年02月02日 13時26分42秒 | owarai
 恋を失ったとき、もう
二度と恋なんかできないと
思うものだ。

荒廃してしまった心に、あの
恋のはじめのときめきが芽生
えるとはとても思えない。

だけど人はそれほど弱くない。

治癒力を信じて静かにひとり
の淋しさを味わってみること
だ。

人はやがて失った状態にも
慣れていく。

悲しいなぁ、淋しいなぁ、と
感じながらもちゃんと生きて
いける。

ちゃんとお腹も空き、いつの
まにか眠り込んでいる。


人は自分で思っているほど
弱くないのだ。




「背中にこだわった」

2020年02月02日 12時00分07秒 | owarai
高価な布地以上に
価値ある宝石をつけたから
といって、
それで女が豊かになるわけ
ではない。

もし、その人がみじめな
様子をしているならば、
何の宝石をつけたところで、
彼女は貧乏たらしい。
/ シャネル

*シャネルは、
背中にこだわった。
きれいな後ろ姿は、
その人の人生を表して
いる。

1971年1月10日、日曜日。
シャネルはホテル・リッツ
の1室で息を引き取った。

享年87。

いつも、抱いていてほしいのです

2020年02月02日 11時47分04秒 | owarai
子どもに好かれるあなたへ。
子どもに好かれる人は、男性
にも好かれます。

子どもは観察力、洞察力がすぐ
れています。

言葉の表現以上に、視覚とか肌の
感覚を求めているからです。

子どもは、あまり難しい言い回し
を控えて、自分の年齢にあった
話し方をされることが好きです。

優しく、厳しく、変化のある人が
好きです。

いつも、自分の位置から、観察さ
れたがっています。
いつも、抱いていてほしいのです。

顔、手、肩、胸、膝、お尻、そして、
足元を見ています。
ガッシリとした靴は嫌いです。

子どもが求めるものは、男性が
求めている/ものと同じなのです。



YouTube
Earth, Wind & Fire - In the Stone (Audio)

https://www.youtube.com/watch?v=6Z2xClustQo

「道」

2020年02月02日 08時58分45秒 | owarai
「何かひと仕事をしようとする者
は、自分で箸を取らなければ駄目
である」/ 渋沢栄一

「もっとやりがいのある仕事がした
い」「もっとできる上司の下で働きた
い」「こんな会社なんか」・・・。

昔も今も、サラリーマンに会社への
不平不満はつきものだ。とくに若い
うちは、誰しも自信過剰気味なだけ
に、なおさらだ。

だが、会社は学校ではない。仕事は
教わるものではなく、どんな職業も、
結局は道を切り拓いてゆくしかない。

経験の浅いうちは会社や上司がお膳
立てをしてくれるかもしれないが、
そこから先は本人次第。

やる気のある人間には、いくらでも
能力を発揮するチャンスが用意され
ているものだ。それを見過ごしは
ならない。

役に立つ青年はちょうど磁石のよう
なもので、人に頼んで仕事を与えて
もらわなくとも、自分に仕事を引き
付けるだけの力を持っている

栄一は大人物の例に豊臣秀吉を挙げ
ている。秀吉は、一介の匹夫(ひっぷ)
から身を起こして、信長にその才を
認められ、関白まで登りつめた。

だが彼は決して信長に養っても
らったわけではない。

信長は懇切に人の面倒を見るほ
ど甘い人間ではなく、またそん
な暇もなかった。

彼が秀吉の前に最初に用意した
のは「草履取り」といういかにも
貧相な献立だった。だが、秀吉
は喜んでそれに箸をつけた。

要するに、秀吉はつねにみずから
箸を取り、最後は天下統一という
ご馳走を頬張ったのである。

「五感で楽しむ」

2020年02月02日 05時48分10秒 | owarai
和菓子を聴く
普通、聴覚といえばお
煎餅といえばのバリッと
した音などが思い浮かべ

ますが、和菓子の場合は
これを「菓銘」に求めてい
ます。

菓銘は花鳥風月、和歌、俳
句、歴史から名づけられます
が、菓銘を聴くことによって、

その和菓子の深みや余韻を
味わう。


「カエデの形を作って、
はい紅葉です。

これは無粋なこと」と和
菓子の世界ではいう。

粋な職人は、カエデの形に
は依らず、黄緑から橙色に
かけて移ろう色を美しく

表現し、「照葉」テリハという
菓銘にするんです。

「美しく話す」

2020年02月02日 05時02分33秒 | owarai
言葉づかいは、マナーではなくて
気持ちです。
その人が「世界にどんな気持ちで
向き合っているのか」のあらわれ
です。

相手や場によって言葉をつかい
分けるというのは、その意味で
はおかしなことかもしれません。

祖父から言葉づかいだけでなく、
ちょっと立ち寄ったラーメン屋
の店員さん、まだ小さな子ども
もとにかく
「誰に対しても同じ態度をと
りなさい」と教わりました。

私たちは、けっして乱暴に話し
ているつもりはなくても、知ら
ず知らずのうちに気を許し、
言葉がラフになっていきます。

しかし、「マナーではなく、相手
への気持ち」と思えば、選ぶ
言葉も変わってくるのではない
でしょうか。

言葉づかいは、その人が世間に
どんな気もちで向き合っている
かのあらわれです。