ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

“煙”にいかに手を打つか

2020年02月28日 19時02分44秒 | owarai
「暖かさを好む者は、煙を我慢し
なければならない」というロシア
の諺があります。

昔は、暖をとるには薪を焚くのは
半ば必然的に煙にむせることでも
あった。

これは、プラスの側面も必ずマイ
ナスの側面を持っていることを
洞察した言葉です。

たとえば、冷夏だったら過ごし
やすい代わりに、米が不作にな
ったり、夏物が売れなくなる。

暖冬になれば、ゴルフはできる
がスキーや冬物は駄目になる。
その結果、不景気になる。

人間も同じで、しとやかな娘さん
は陰気で積極性がない、信念のあ
る人は変化に対応する能力に欠け
る、

頭の回転の速い人は深く考えない、
という側面を持っている。

円高や貿易摩擦の問題にしても、
環境問題にしても、経済成長の
反作用である。

英“EU離脱”ジョンソン首相が
国民の末端の人たちの不満の気も
ちを汲み取れず、

移民と難民の違いを十分説明し
納得させることができなかった
悲劇で母国と思っていた人々の
心に深い傷をつけた。

すべてのものには、矛盾や反作
用があるのが普通だ。人知の進
展が、この“反作用”を目に見
え見えないものにしてしまい、

忘れさせてしまったため、現在
様々な問題が起きている。

物事は、長所と短所の両方を
よく見て考えないとひどい目に
遭うことになります。

「いい言葉・いい話」

2020年02月28日 13時52分20秒 | owarai
たった一つの言葉・一つの
話で、嬉しくなったり、勇気
づけられたり、心が温かくな
ったり、逆に、落ち込んだり、

涙を流したり、喧嘩をしたり、
仲たがいをしたり・・・。

松下幸之助、稲盛和夫さんを
はじめ、多くの人を成功人生
へと導いた国民的人生哲学者、
中村天風はこんなことを言って
います。

「『もう駄目だ』と言ってばか
りいると本当に死んでしまうし、
どんなに苦しくとも

『オレは大丈夫だ』と口に出し
ていれば病も回復してくれる
ものだ」

殺せばすぐに息絶えてしまう
のが言葉です。

しかし、一度生かせばどこま
でも威力を発揮してくれるの
もまた、言葉の力の不思議で
す。

落語家の落ちこぼれで元商社
マンの私がいうのも変ですが、

取引先の工場の二代目を目指
す方で精神的に不安定の方が
多かった。

ある経営者の息子が、二世の
重圧から拒食症になって入院
しました。お粥の臭いを嗅い
だだけでも、もどすほどの重
症です。

それを見舞った私の上司が、
オロオロするご両親に、お粥
をスプーンで口に持っていっ
たとき、

嘘でもいいから「あっ、少し
入ったね」と言ってあげなさ
い忠告し、ワラにもすがる思
いで、早速その場で実践され
た。

それを続けるうちに、少しず
つ食べられるようになり、見
る間に回復されました。

心のこもった言葉が、相手に
この上ない「生きる力」を
与えた話です。

商社マンなので銀行と同じよ
うに取引先の与信管理や動向を
常に見て行動するのも仕事でし
た。

一つの言葉・一つの話のプラス
面を見つけ、それを自分の力と
するためには、愛語(優しい心
のこもった言葉や前向きな言葉)

を受け取る側にも感じる力が
ないと、「見れども見えず、
聞けども聞こえず」ではあり
ませんが、

つい見過ごしたり、聞き捨て
たりしてしまい、相手の心を
揺り動かすことはありません。

そのひと言を愛語として受け
取るか否かは、「その人が、
そのとき、何に関心を持って
いるか」に大きく左右される
のです。

木の芽時

2020年02月28日 13時05分11秒 | owarai
日本の四季は春夏秋冬に
はっきり分かれているが、
その間に微妙なニュー
アンスをもつ一時期がある。

春だけをとりあげても、初春、
早春、晩春といったように、
その言葉を聞いたとたんに

それぞれの季節の雰囲気から
精神に及ぼす感じかたまで
伝わってくる。

それは季節をこまかく分類し
ているのではなく、お互いに
目に見えぬ糸でつながりつつ、

自然に春が育って行く様を表
しているのである。

中でも「木の芽時」というのは、
ものみな萌える春を象徴する
言葉として独特のもだろう。

もともと春は張るから出た言
葉で、和歌の序詞(じょことば)
として、「木の芽もはるの何々」
といったように用いられてきた
が、

やがて木の芽といえば山椒の
花や芽を意味するようになり、
樹木から茶の若葉に至るまで
そう呼ばれるようになった。

したがって木の芽時という時間
は、短いし、長いといえば早春
の終わりごろまら晩春までつづく
のである。

昔から木の芽時は、健康によく
ない時期といわれて来た。
木の芽が動く時は、人間の心身
も不安定になるからで躁うつ病
の人にはこたえる。

一年中でももっとも美しいこの
季節には魔性がひそんでいるら
しい。

昔の人々は長い経験からそうい
うことを知っており、多くの神
社や仏閣で、「鎮花祭」や「御
霊会(ごりよえ)」が行われた。

京都の今宮神社で現在も行って
いる「やすらい祭」も、花鎮め
の行事の一種で、

「やすらい花や」(花よ、静かに
お休みなさい)と囃しながら踊
ることによって、

物の怪をなだめるとともに、人
心の不安を排除したのである。


YouTube
大河ドラマ 風林火山 総集編OP

https://www.youtube.com/watch?v=H91uA1V4qX4

「自分を輝かせる人」

2020年02月28日 11時49分46秒 | owarai
積極的な姿勢の人には、幸福
の女神が微笑むと言います。

それには、何があっても自分
を受け入れ、評価し、励まし
てくれる人を持つことです。

人はまず、母親によって自信
を得、励まされ、外の世界に
向っていきます。

やがて、母に代わって恋人が
現れ、自分を評価し、受け入
れてくれるようになる。

恋人ができると、人が美しく
なるのは、沢山のライバルの
中から自分を評価し、認めて
くれた人がいるという自信か
らです。

結婚すれば、妻(夫)がその
役目を担ってくれます。

ところが長く連れ添う間に、
人間の常としてあらのほうば
かりに目がいくようになり、

互いに馬鹿にするようになり
がちです。

そこで、肯定的で積極的な
自己イメージを絶えず与えて
くれ、また信じ切って、どこ
までもついていける人生の師
とも言うべき人を、外部に探す
ことが大切になります。

結局、積極的に生きるコツは、
自分にプラスの暗示をかけて
くれる人を師として持つことで
す。

上司でもいい、先輩でもいい。
そんな人を見つけられれば、
人は大きく次の次元へと飛躍
することができます。

「人を喜ばせるとき私の命が輝く」

2020年02月28日 08時47分59秒 | owarai
お釈迦さまは、「過去も現在も、
誰からも良く言われる一方の
人もいなければ、悪く言われ
る一方の人もいない。

良い面と悪い面を併せ持つの
が人間だ」と言っています。

「あの人が好きだ」と思えば
良い面だけが見え、「あの人
は嫌いだ」と思えば悪い面ば
かりが鼻につくようになりま
す。

どちらに見えるかは、自分の
心の反映にしかすぎません。

人は誰でも、一人ひそかに
我が身を喜ぶよりも、大切
な人や他人に喜んでもらう
ほうが本来ずっと楽しい
はずです。

私が落語家を志したのもそ
のためで、自分の命が最も
輝くようにできています。

そんな気持ちを最澄は
「忘己利他(もうこりた)」と
言いましたが、簡単に言えば

「お客様第一」の心です。
ともすれば私たちは「自分ほ
ど可愛い者はない」

「自分がまず幸せになりたい」
という“我”にとらわれて、

「私が、私が」と自己中心の
考え方ばかりしている結果、
かえって煩悩の世界の中で
悲しみ、苦しんでいます。

自分の立場ばかり考えないで、
ちょっと自分を離れてみると、
いろんなものが見えてきたり、

感謝の気持ちが湧いてきます。
それが、真の「お客さま第一」
の心だと思います。



「してあげられる幸せ」を大切に

2020年02月28日 06時27分15秒 | owarai
幸せには三つあることを
知っていますか?

一番目は、やってもらう幸せ
です。皆さんが赤ちゃんのと
き、お腹がすけば泣いたし、

おむつが濡れれば泣きました。
するとお母さんが飛んできて、
おっぱいを含ませたり、

おむつを替えたりしてくれま
した。

皆さんは幸せでした。これが
やってもらう幸せです。

二番目は、自分でできるよう
になった幸せです。字が書け
るようになった。一人で自転
車に乗れるようになった。

サッカーがうまくなった。こ
れが自分でできる幸せです。

なんでも自分でできるように
なると、偉くなった気がして
嬉しいものです。

でも、その次があるのです。
それは、人にしてあげられる
幸せです。

人がしてほしいことをしてあ
げれば喜ばれますね。

そんな人は頼りにされます。
してあげる幸せは三つの幸せ
の中でも最高のものです。

私たちは、いまだに「して
もらう幸せ」ばかり求めて、
絶えず不平不満ばかり言って
います。

「してあげられる幸せ」を
噛みしめたいものです。


「春暁」しゅんぎょう

2020年02月28日 05時28分01秒 | owarai
“陽が沈む5分前の空は
陽が昇る5分前の空と
似ている

そう だから
夜が来るのをおそれな
いで“

『春の夜明けならではの
情趣』
春の曙。「春眠、暁を覚えず」
という漢詩の一節であり、

『枕草子』にも「春はあけぼの」
とあるように、古来、春の夜明け
には格別な趣があると感じられて
きました。

夜明けをいい表す言葉は数多く
あり、古くは、夜半から夜の明
けるまでの時刻の推移が、

夜更けから順に、太陽の昇る前
のほの暗いころは「暁」、

東の空が明るくなるころは
「東雲 しののめ」、

ほのぼのと夜が明けはじめるこ
ろは「曙」と区分されていました。

“春暁や低きところに月ひとつ”


※作品は”マルク”