ビスクドール・雛人形店・オーディオ販売 佐久市 ヤナギダ店長ブログ

ビスクドール64体他お節句雛人形をフランスへ輸出128年、軽井沢方面がお店の場所。

「自分を輝かせる人」/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月21日 05時03分07秒 | owarai

【コラム:】

積極的な姿勢の人には、幸運の
女神が微笑むと言います。

それには、何があっても自分を
受け入れ、評価し、励ましてくれ
る人を持つことです。

人はまず、母親によって自信を得、
励まされ、外の世界に向かってい
きます。

やがて、母に代わって恋人が現れ、
自分を評価し、受け入れてくれる
ようになる。

恋人ができると、人が美しくなる
のは、沢山のライバルの中から自分
を評価し、認めてくれた人がいると
いう自信からです。

結婚すれば、妻(夫)がその役目を
担ってくれます。ところが長く連れ
添う間に、人間の常としてあらの
ほうばかりに目がいくようになり、

お互いに馬鹿にするようになりがち
です。

そこで、肯定的で積極的な自己イメ
ージを絶えず与えてくれ、また信じ
切って、どこまでもついていける
人生の師とも言うべき人を、外部
に探すことが大切になります。

結局、積極的に生きるコツは、自分
にプラスの暗示をかけてくれる人を
師として持つことです。

先輩でもいい。そんな人を見つけられ
れば、人は大きく次の次元へと飛躍する
ことができます。



野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
~柳田二助商店~
℡0267-62-0220

『創業120年』


「見えるもの、見ようとするもの」/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月21日 04時28分24秒 | owarai

【コラム:】
私たちは、目に見えるものが即
真実であると勘違いしがちです。

いい例がテレビです。
「テレビで見たんだから間違いな
いないよ」とよく言いますが、そ
れはディレクターやカメラマンの

心の目を通した一断面の一つの見
方でしかなく、真実かどうかは別
問題です。

聖書にこんな話があります。エル
サレムの神殿の賽銭箱に献金して
いる人をじっと見ていたキリスト
が弟子たちに向かって、

「誰がいちばん多く入れたか」と
問います。答えかねている弟子た
ちに、「実は、あの小銭を投げ入れ
た貧しい女こそ、他の誰よりも多く
献金をした。

なぜなら、みなはあり余っている
ものの中から入れたが、あの女は
乏しい中から生活の費用をみな
入れたからである」と、

目には映らない真実を教えます。

私たちは目覚めている限り絶えず
ものを見ていますが、それは自分
の心の鏡に映った映像を見ている
にすぎません。

その自分の心の鏡はというと、欲や
妬み、怒り、ひがみ、今までの苦い
体験などで歪んでいます。

ですから、真実を見ているつもり
でも、感情によって歪んだ映像を見
ていることになります。

ネット社会では特にそうです。
真実は曇りがちで、心の目を開か
ないと見えないことが多いのです。
野沢93番地十二町
ぴんころ地蔵通側
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『創業120年』


「頬杖をつくキミがいた」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月21日 00時05分23秒 | owarai

【コラム:】「GOODBYE  DAY」


また一日、過ぎていく。
あなたの優しさが、わからなくな
る時がある。女はたぶん、欲が深く、
いつでもときめきに囲まれていたい
と贅沢に思う。

外は、本当に静かな、しめやかな
雨が降っていた。

あなたの淹れたコーヒーをいつく
しむように、てのひらで、ぬくもり
が逃げないよう飲んだ。

「本当に、降っているんだか降って
いないんだかわからないような、
静かな雨ね。でも、雨の気配は確実
にあって」

私は、つぶやくように言った。その
あとに、まるであなたの優しさのよ
うにと、心の中でくり返した。

・・・これ以上、愛をゆだねるなん
て、贅沢な私・・・

それからふたりは窓辺に立ち、さや
さや揺れる木々の音を聞き、

深い夜に目をこらさないと見えない
ほどの、細い、細い、糸のような雨を
見た。

『恋心のはざまに ほんの少し揺れる
ような隙間がある

それは 過ぎていく季節のせいかもし
れないし

心の 自然現象なのかもしれない

柔らかな 愛に囲まれていても 柔らか
すぎるから

無感動になったりするのかもしれな
かった

小さな その日を 大切にして

一日一日は 確実にやってくるのだし

空気や 風や 天気が 反乱を起こし
ても

やがて 穏やかな日が 繰り返しある

小さな幸福 劇的でなくても ささや
かに 確実に

自分から 反乱を起こしては たぶん
みじめだろう

メランコリーは 一種贅沢な 心の傾斜だ』


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『創業120年』


「心を温かくしてくれる人」/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月20日 04時37分26秒 | owarai

【コラム:】

私たちは愚かにも、知恵ある者の
ほうが、知恵のない者より尊いも
だと、錯覚しているところがあり
ます。

でも、この世の中不幸をジッと見
つめみると、知恵のある者が引き
起こす社会的不幸のどれほど多い
ことか。

戦争を起こすのも、自然を破壊する
のも、知恵のある人たちです。

また、知恵の遅れている人や老人な
どを、役立たずと思う傾向があり、
そのような人はまるで必要ないかの
ように扱いがちです。

でも、知恵があって役に立つはずの
人(政治家や贈収賄事件の社長など
も)が、いつの間にか刑務所に入っ
ている例が多いこの頃です。

しかし、知恵の少ない人の役ち方は、
知恵ある人のそれとはちょっと違い
ます。

知恵遅れの子は、たいてい温和で、皆
にこにこしています。一緒にいる子ど
もたちも、知らず知らずのうちに優し
くなっていきます。

札幌の岡本佳子ちゃんはダウン症です。
この子が描く絵は、お地蔵さんでも、
像でもキリンでも、メダカでも、

みんな笑っていて、見る人の心を
深くひきつけます。


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『創業120年』


「母がのこした”壮絶な愛”」/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月20日 04時19分17秒 | owarai

【コラム:】

作家の西村滋さんは、母の恩に
ついてこう語っている。

「優しかった母が結核に罹って
隔離された。大人たちは近寄ら
ないようにと言うが、幼時のこ
とで母恋しさに近寄ると、

母は私を見るなりに罵声を浴び
せ、コップやお盆などを手当り
次第にぶつけてくる。

顔は青く、髪を振り乱して荒れ
狂う姿は、鬼としか思えず、次第
に母を憎悪するようになった。

いつか、ぐれて少年院にいた。
そのときに、昔の家政婦さんが
来て告げた。

『私はもっとあの子に憎まれたい。
私はあと一年か二年の命です。
あの子は幼くして母を失うのです。

幼い子が母と別れて悲しがるのは
優しく愛された記憶があるからで、
憎らしい母親なら死んでも悲しま
ないでしょう。

夫もまだ若いから、新しいお母さん
が来るでしょう。

その方に可愛がってもらうためにも、
死んだ母親なんか憎ませておくほ
うが、あの子のためです』と。

それを聞いて、私は立ち直ることが
できた」
なんと壮絶な母の愛ではありませ
んか。

お金とか土地とか家などは、残して
かえってためになりません。

自分のつらさを隠して無償の慈しみと
愛の強さを、心から痛感しました。


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『創業120年』


「恋衣」こいごろも/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月19日 05時22分49秒 | owarai

【コラム:】

「恋衣」こいごろも
不安になるのは なぜ
孤独になるのは なぜ

好きになればなるほど
苦しくなるのは なぜ

そう 理由はわかってる

いま ここに あなたがい
ない

いま あなたがここにいない
から

『心から離れない恋のたとえ』
寝ても覚めても、思いこがれて
やむことのない恋心は、まるで

身を離れない衣のようだ・・・
というもの。

常に心から離れない想いを、衣
のまつわる様子にたとえた優雅
な言葉です。

古歌にも「恋衣」という言葉が
効果的に使われています。

妹待つと山の雫に立ちねれてそ
ぼちにけらしわが恋衣

土御門院(つちみかどいん)『風雅』
の中の一首ですが、ひたすら恋人を
待ちこがれる切々たる思いが伝わっ
てきます。

「衣」というのは、どこかなまめ
かしく、男女の秘めた熱い想いを
包み隠している気がします。

与謝野晶子たちが若き日に刊行した
歌集の名も『恋衣』でした。

行く春や畳んで古き恋衣
春雨の衣桁(いこう)に重し恋衣



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『創業120年』


「こころ泥棒」になっていないか/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月19日 04時50分37秒 | owarai

【コラム:】

泥棒をすることと、人の悪口を
言うこととどっちが罪が深いの
でしょうか?

作家の三浦綾子さんとK子さんの
話しである。

「そりゃ泥棒に決まっているじゃ
ないの。金や物を盗んだら、警察
に引っ張られるでしょ。でも、

人の悪口を言ったからって、警察
に引っ張られたって聞いたことない
わ」

「そう思うでしょう。でもね、たと
えば大事な友だちからいただいた
この銀のネックレス、高いものよ
ね、私は大事にしているけれど、

これを盗まれるより、私の悪口を
言われたほうが、ずっと心が傷つ
くと思うの。物なら盗まれても、
心まで傷つかないわ。

そりゃ大事な記念の品だから、
惜しいとは思うわよ。でもね、
悪口を言われたら、それはそれは
傷つくわ。

人の言った悪口がグサリと突き
刺さって、死んだ中学生だって
いるのよ。

親の悪口を言われて、カッとして、
相手を蹴り倒してたいへんなこと
になったことだって・・・・」

そこにいない人の悪口は、話の肴
にはおいしいもの。

二人集まればどこでも、上司や
同僚、知合いなどの悪口に花が咲
いています。

けれども悪口は周りを暗くします。
人の心を傷つけ、自分の心を汚し
ます。気をつけたいものです。


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『創業120年


運命の結びつき/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月18日 12時07分04秒 | owarai

【コラム:】

ごく自然に、あなたへお茶を淹れる
私がいる。それをごく自然に受け取り、
静かに「ありがとう」と言うあなたが
いる。

目をこすった後の瞳が潤んで、あなた
は余計柔らかい表情になっている。

そんな静かで、穏やかで、自然な私た
ちの世界が回る。
そして私にだけ見せる、眼鏡を取った
さわやかな素顔。こんなに素敵な人を
ひとりじめにして、いいのだろうかと
思う。

「ここへおいでよ」
あなたが言った。
私は、なるべくふわりと空気のように、
隣へ座る。

「愛している」と口にださなくても、
私たちはわかり合えた。室内のまわ
りの空気がそう語っていた。

『恋や愛に図式があるとしたら
複雑で入り組んでいないほうがいい
に決まっている

シンプルだけれど 柔らかに 穏やかに
調和の取れた心具合に越したことはない

特に 暮らしていくとしたら なおさら
素のままで 無理もしない 心具合は
作ろうとしても出来るものでもない

ごく自然に ふらちの調和 空気 呼吸
なじんでいけば 目に見えない赤糸
というより

もっと自然な 運命 結びつき
ゆうるやかに 時と愛は進み

確かめなくとも 確実に ふたりの
空間ゆるがない』


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『創業120年』


「悲しいことがあったなら、」ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月18日 05時28分05秒 | owarai

【コラム:】

悲しいことがあったなら、

あたまからざぶざぶシャワーを
浴びよう。

シャワーの中で思いきり泣こう。

シャツと一緒に心も洗濯しよう。

そして、お日様のひかりで、
心も体も乾かそう。


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「恋の闇」 こいのやみ/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月18日 05時14分29秒 | owarai

【コラム:】

新月の夜に現われるのは
きみの姿をした魔物かも
しれない

それでもぼくは 抱くだろう

闇と手を組み 堕ちるだろう

『恋のために理性を失った状態』
「恋の闇路」ともいい、恋のために
心が乱れて、理性を失った状態を
闇にたとえて言った言葉です。

恋をすると周囲のことが何も見え
なくなってしまいます。

心のコントロールもままらなく
なり、感情が激しく揺れ動きます。

われを忘れて嫉妬に狂ったりする
のも、まさに「恋の闇」の中に
迷い込んでしまうせいでしょう。

分別を失っている点では「恋は
盲目」も同じですが、こちらは
ぐんと明るい印象。

恋一筋で、恋人の欠点がまるで
見えなくなっている娘たちに、
「恋は盲目だね」と冷やかして
いったりする言葉です。


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『創業120年』


「のに」のない花/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月18日 04時53分07秒 | owarai

【コラム:】

今の私たちは、仕事や職場を通じ
て友を得ることが多い。

ところが、職場を離れてもな
お友であり続けることは難しい。

どこかで利ゆえにつながっていた
関係だから、利がなくなった途端
に去っていく。

そんなとき、あんなに〇〇だった
のに、という愚痴がつい口をつき
寂しい思いをするものです。

利益外の真の友をつくる努力を
したいものです。

あんなに世話をしてやったのに、
ろくな挨拶もない。

あんなに親切に、してあげたのに。

あんなに一生懸命に、尽くしたのに。
のに・・・。のに・・・(中略)

のにが出た時は愚痴

こっちに“のに”が付くと、向こ
うは恩に着せやがってと思う(中略)


花はただ咲くんです。(それを
とやかく言うのは人間・・・中略)

人間のように、のになんで愚痴は、
ひとつも言わない。

だから純粋で、美しいんです。
  (相田みつを「のに」)


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『創業120年』


「遣らずの雨」やらずのあめブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月17日 04時58分01秒 | owarai

【コラム:】

「わたしのことを雨女だと
あなたはいつも笑うけど

ねえ知っている?この雨が

あなたと逢うときにしか
降らないこと」

『行かせたくない人を
引きとめる雨』

恋する男女が久しぶりに会え
ました。けれど男はすぐに出
立しなければなりません。

短い時間を惜しむ二人。

男が「さあ行かなければ・・・」
と立ち上がったとたん。

まるでそれに合わせたかのように
激しく降り出す雨。

このように、行ってほしくない
のに行かなくてはならない人を
引きとめる雨が、

「遣らずの雨」です。

「遣る」とは、人を行かせること。
同じ意味で「遣らずの風」という
言葉もあります。

いっときでも長く、好きな人を
引きとめておきたい、そんな切なく
いじらしい女心を表す恋の
言葉です。


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『創業120年』


「好きな人をとりこにできるおまじない」/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月16日 06時37分28秒 | owarai

【コラム:】

いちばん気に入っている自分の
写真を丸めて、なるべく縦長の
花瓶の中に入れます。

さらに、ゴールドアクセサリー
も一緒に入れておきます。

好きな人の心が、あなたへと動く
でしょう。

※ゴールドのアクセサリーは、
「好きな人」を意味する太陽の
アイテム。それと自分を一緒に
することが大切です。

また、縦長で底の深い花瓶は、
「人の気持の「ディーブな部分」
を刺激する冥王星のアイテムで
す。


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「風に逆らって薫るもの」/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月16日 05時05分39秒 | owarai

【コラム:】

肩書きや地位、財産、名声などは、
すべてはかなく消えていきます。
レッテルでその人を輝かせるの
ではありません。

問題は本質です。

人はあるところまでいくと、利徳
や恐怖、権力だけではついてきま
せん。

もはや、得るものもなく、特に不
利とわかっていても、その人に徳
があれば人はついていきます。

「徳とは行である。行とは見返り
を求めずただ行うころである」と
道元は言っています。

上になればなるほど、必要なのは
徳を磨くことだと思います。

「法句経」第五四にも、
「華の香りは風に逆らいては行か
ず。栴檀(せんだん)も多掲羅(た
がら)も末度迦(まどか)も(香木
の名前)また然り。

されど良き人の香は風に逆らいつつ
も行く。良き人の力はすべての方に
薫る」とあります。

男が仕事をするときは、常に捨て身
でなければならない。

捨て身とは、何も欲しがらぬこと
である。

納得、勝ち負けという、人間の物
差しを捨てることである。

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『創業120年』


「掌」たなごころ/ブリュー・ミュージアム 軽井沢/佐久:ヤナギダ店長コラム

2015年11月15日 07時33分37秒 | owarai

【コラム:】
『優しく触れるもう一つの”心”』
「あなたがわたくしの頭を
なでると

とてもくすぐったい気分に
なって

つい口元がゆるんでしまう

あんなにふくれていたのにね」

手のひらのことを「掌」という
場合は、そこには”手の心”と
いう意味が含まれていると
いわれます。

人に優しく触れたりものを
受け取ったりするとき、手に
心があると感じられたので
しょう。

「掌中の珠」は最も大切にし
ているもの、最愛の子供を
さします。

「掌を指す」は明白で、疑問が
まったくないということ。

夏目漱石の小説『こころ』の
一節には「掌が翻ったように」
(手のひらを返したように)とい
う使われ方をしています。

どれも、心のうちを表している
言葉としての「掌」です。

あらためて自分の「たなごこ
ろ」を見つめたくなりますね。
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『創業120年』